日本プロ野球に大きな影響を与えた選手と言えば、昭和は長嶋茂雄と王貞治、平成なら野茂英雄とイチローだと思う。ONがテレビを通して日本中にプロ野球を広め、野茂とイチローはそのプロ野球を海の向こうのメジャーリーグに持っていった。


波瀾万丈な野茂英雄の球歴


いまや歴史に残る伝説的選手として語られる野茂英雄だが、その球歴は波瀾万丈だ。
高校受験時に近大付属高のセレクションに落ちて、中学の野球部の先輩がいた無名の大阪府立成城高に進学。68年生まれ野茂の、1学年上の同地区には、あの桑田清原のKKコンビ擁する全盛期のPL学園がいた。甲子園なんて夢のまた夢の環境。

そんな高校生活を終えて、当時の大企業・新日本製鉄で思う存分野球が出来ると思ったら、子会社の新日鉄堺の総務部へ配属。世の中の荒波に揉まれまくる10代の野球少年はそれでも腐らず、伝家の宝刀フォークボールを習得すると弱小チームを都市対抗に導き、ソウル五輪の日本代表チームのエースとして銀メダルを獲得。89年ドラフト会議では、史上最多の8球団からドラフト1位指名を受けた。

交渉権を獲得した近鉄バファローズに対して、投球フォームを変えないことを条件に入団。今では当たり前になった、1億円を超える契約金を初めて手にした新人選手は野茂である。

当時のプロ野球記録も 野茂の初勝利

 
日米ともに1年目はいきなり大活躍のイメージが強い選手だが、実際のところ90年4月10日西武戦で先発デビューするもなかなか勝ち星がつかず、プロ初勝利は4試合目の登板となった4月29日オリックス戦。
前年まで閑古鳥が鳴いていた西宮球場には3万人を超える観客が押し寄せ、ブーマー、門田博光、石嶺和彦、松永浩美らが顔を揃えるブルーサンダー打線相手に野茂は、当時のプロ野球記録となる17奪三振の2失点完投勝利を挙げてみせた。
なお「ドクターK」のプロ初奪三振は、デビュー戦の初回無死満塁のピンチで西武の清原和博から奪ったものだが、引退後にテレビ番組で野茂と対談した清原は、規格外のルーキーとの初対決の印象を嬉しそうにこう語っている。
これが野茂か!マウンドの立ち姿、でっかいなぁ~!と。速かったねぇやっぱ。
フォークも色んな落ち方するし。ボールの出先もまったく分からなかった」

「トルネード投法」の誕生

 
その後、5月からは順調に勝ち続け、6月には近鉄球団が打者に背中を見せる独特な投球フォームのニックネームを募集。そして決定したのが竜巻を意味する「トルネード投法」だったというわけだ。

平成に突入したばかりの90年のパリーグには、黄金時代の西武ライオンズが君臨していた。この年の西武は日本シリーズで、セリーグ独走優勝を果たした巨人を4勝0敗で一蹴するほどの戦力充実期。
今でもプロ野球史上最強とすら称されることのあるチームだが、近鉄仰木監督はルーキー野茂をあえて西武戦にぶつけ、8試合に先発させると4勝を挙げる活躍。
当時、清原や秋山とAKD砲を形成したデストラーデは「トルネード投法はタイミングが合わせづらくて仕方がなかった。
最初の頃は全然打てなくて、三振しまくったはずさ。あれほど苦労した投手はいなかった」とのちにルーキー野茂の実力を認めている。

ファン投票1位で選出された野茂英雄


真夏のオールスター戦でもファン投票1位で選出されると、主役として大車輪の働き。今では考えられないことだが、野茂は第1戦に中継ぎ登板すると、第2戦では先発としてマウンドに上がっている。
全セの4番バッター落合博満(中日)との対決が話題となり、初戦は全6球直球勝負で右飛に打ち取り野茂の勝ち、第2戦ではその異様な緊張感に実況アナが「名勝負とはプライドの勝負になるんですねぇ」と口にした瞬間、落合が左中間スタンドに2ランアーチを放ち意地を見せた。

結局、野茂はルーキーイヤーを29試合18勝8敗(21完投)、防御率2.91、287奪三振(三振奪取率10.99)という堂々たる成績で終え、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン、新人王、MVP、沢村賞と怒濤の8冠獲得。

今では寡黙なイメージが強い男だが、当時はまだマスコミにも無防備で大阪人らしいノリのよさも度々見られた。1年目の前半戦終了時には雑誌『Number』のインタビュー企画で近鉄OB梨田昌孝(現楽天監督)から「(三振を避けて当てにくる)そんな打ち方をされると、堂々と向かってこいと思うだろ?」と聞かれ、野茂は冗談めかしてこんな発言をしている。
「小さいのを並べてこられてバントとかやられると、なんや、こいつらプロのくせにレベルの低いことやりやがってと」

のちに「偉大なる先駆者」として語られる前の、気ままでやんちゃな22歳のルーキー。黄金時代の西武に挑み、最強打者の落合に真っ向勝負を仕掛け、三振記録を次々と塗り替え、ベンチではその姿を時に笑みを浮かべながら見守る仰木監督がいた時代。1990年の野茂英雄は最高で最強だった。

そして日本球界を驚かせたトルネードは、この5年後、全米を震撼させることになる。

(死亡遊戯)


(参考資料)
Number完全保存版 野茂英雄(文藝春秋)
週刊プロ野球セ・パ誕生60年 1990年(ベースボール・マガジン社)