「少年、なんだか分かんないけど人生そんなに捨てたもんじゃねえぞ」
「シグ?死がねぇよ。空飛ぶんだ。
月にタッチするなんてわけないよ」
 
I Can Fly! そう絶叫しながら、窪塚洋介は空を飛んだ。あ、映画の中の話だけど。2002年7月20日公開の映画『ピンポン』。ご存知、松本大洋の人気原作漫画の映像化。監督は曽利文彦、そして脚本は宮藤官九郎。熱狂的なファンを多く持つ松本大洋とクドカンのゴールデンコンビが実現し大きな話題を呼んだ。


主人公ペコ役には当時人気絶頂の窪塚洋介、ペコの幼馴染みでライバルのスマイル役には売れっ子モデルARATA(現:井浦新)が扮し、軽快なSUPERCARの『YUMEGIWA LAST BOY』が鳴り響く中、卓球に燃える青春映画。恐らく、この作品で中村獅童や大倉孝二を初めて知ったという人も多いのではないだろうか。
挿入歌には石野卓球、砂原良徳、BOOM BOOM SATELLITESといったオールスター的な豪華メンツが集結。日韓W杯の熱狂の直後、02年の旬の才能が集結して作られた快作にして傑作だ。

『ピンポン』の違和感の正体


今回、このコラムを書くにあたり久々に映画を見返してみたが、驚くほど色褪せてなかった。公開当時、大学の同級生たちと劇場で観た時の妙な照れ臭さと違和感。もしかしたら、その違和感の正体は「新しさ」だったのかもしれない。


あの頃、あまり日本映画を観ない人たちに理由を聞くと、「なんか暗いから」という答えが圧倒的に多かった。台詞が聞き取りにくい、ストーリーが暗い、なにより画面が暗い。いわゆるひとつのスクリーンから漂う、悲しいくらいのマイナー感。だから、例えば広末涼子主演の『秘密』を男同士で見ていると死にたくなってくるあの感じ。同級生の気になるあの娘を『バトル・ロワイアル』に誘って完全にドン引きされたあの記憶。
そこに颯爽と登場したのが『ピンポン』である。
言ってみれば、デートムービーとして気軽に誘える軽さと明るさが本作にはあった。(実際に画面が明るいと当時の映画雑誌では話題になった)

革新的だったビジュアル再現度の高さ


そして、なにより革新的だったのが登場人物たちのビジュアル再現度の高さである。ペコやスマイルは激似だったし、いかにも漫画的な造形の海王学園高校のドラゴンやアクマも、よくぞここまで……と感嘆するなりきり具合。原作ファンで作品の雰囲気に違和感を持った人はいても、役者のキャラの作り込みに文句がある観客はほとんどいないだろう。
同じく人気漫画原作で、このわずか6年前の96年に公開された映画『ろくでなしBLUES』では、主人公の前田太尊役に当時すでに三十路目前のキックボクサー前田憲作、ライバル鬼塚役には金髪の格闘家ジャイアン・ジュンという「あんたらいったい誰やねん」的な格闘ガチンコ映画と化して物議を醸したことを考えると、『ピンポン』の原作ビジュアル再現力は衝撃的だった。

これ以降、漫画原作映像作品のキャラデザインレベルが一気に上がったことからも、『ピンポン』が日本映画界に残した功績の大きさを実感する。
ついでに現在は地上波でも放送されるようになった卓球中継だが、福原愛と並んでこの映画も卓球のイメージアップに大きく貢献したのではないだろうか。

曽利監督は当時TBSの社員にして、ジェームズ・キャメロンの『タイタニック』のCG製作スタッフとして参加したという異色の経歴の持ち主。もちろんストーリー的には、ペコの「挫折」と「復活」という原作通りのロッキー風王道展開を忠実に再現。幼馴染みのスマイルとのすれ違いと決勝戦での再会は、輝かしい少年時代との決別の儀式だ。

新しく明るい邦画。2002年夏、公開直前に発売された映画雑誌Cutの表紙にはこんな一文が書かれている。

「ぼくらの日本映画は『ピンポン』から始まる!」
本当にその通りだと、今思う。

『ピンポン』
公開日:2002年7月20日
監督:曽利文彦 出演:窪塚洋介、ARATA、中村獅童、サム・リー、大倉孝二
キネマ懺悔ポイント:85点(100点満点)
注目の若手俳優の脇を竹中直人、夏木マリ、松尾スズキといったベテラン陣がしっかりサポートする万全の体制。撮影時、窪塚洋介は松本大洋の世界観に浸るため、その日撮るシーンを、しっかりマンガで読んでから現場に向かっていたらしい。
(死亡遊戯)


(参考文献)
Cut 2002年8月号(ロッキング・オン)


※イメージ画像はamazonよりピンポン [DVD]