ジャニーズ事務所には先輩後輩関係があるように、同期もある。
1998年11月8日のオーディションに合格してジャニーズ事務所に入所したのが、増田貴久(NEWS)、中丸雄一、亀梨和也(KAT-TUN)、赤西仁(もとKAT-TUN)、藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2)、塚田僚一(A.B.C-Z)という個性の強いメンバーだ。

入所17年目の昨年、藤ヶ谷は都合が合わず欠席だったが、4人で初の「同期会」を開き、昔話に花を咲かせたという。

それぞれグループの要やエースとして活躍する1998年入所組だが、その活躍は一朝一夕のものではなく、笑顔の奥のさまざまな苦労があったことは意外に知られていない。

増田貴久「中途半端には再始動できない」


いつもニコニコ、ぬいぐるみを思わせるおっとり癒やし系ジャニーズ、増田貴久。
手越裕也とのヴォーカルユニット、テゴマスとしても活動しており、可愛い顔とギャップのある骨太の低音ボイスが人気。ライブでは衣裳や構成を考えるNEWSの頭脳だ。東京ドームへの思いが強く、2007年、NEWSが初めて東京ドーム単独公演を行った時は、ひとりオープニングから号泣していた。

NEWSは2003年に結成されCDデビュー(メジャーデビューは2004年)。
1998年11月8日入所組では増田が一番早いデビューだった。けれども、NEWS結成後、森内貴寛、内博貴、草野博紀、山下智久、錦戸亮が次々と脱退し、9人いたメンバーが半数以下の4人に。

特に、グループの二本柱だった山下、錦戸の同時脱退はショックが大きかったという増田。解散という選択肢もあったという。その時、リーダー役をかってでて、4人での再始動を強く推したのが小山慶一郎だった。
やりたいビジョンが違う4人。
増田は「やるからには中途半端ではなくちゃんとした形でやりたい。復活コンサートは東京ドームでできるまで、やらなくてもいい」と、頑固にこだわり、再始動が遅れてしまったそう。2013年、4人のNEWSで10周年ライブを東京ドームで開催することができた日、増田はステージセットを見て泣いたという。

「ほうきでサッと掃いたら消えるジュニア」と言われた亀梨和也


大勢いるジャニーズJr.の中からデビューできる人は少ない。亀梨和也は、「3年B組金八先生第5シリーズ」の生徒役に選ばれ、まずまずのスタートだった。
しかし、高校進学で進路を選ぶ時期に、事務所のある人に「君はほうきでサッと掃いたらいなくなるJr.」と言われ、芸能コースの推薦をもらえなかったという。「母親の前で言われて男としてプライドもあるし、悔しかった」。
辞めたいとも思ったが、その悔しさこそが、努力家で地に足がついた亀梨を形成したのではないだろうか。

数年後、「ごくせん第2シリーズ」で俳優として大ブレイク。KAT-TUNの絶対エースとして、感情を繊細に演じ分ける俳優として、野球スペシャルサポーターとして成長。独自の亀梨イズムは、「ジャニーズ嫌い」の老若男女からも幅広い支持を集めている。

「カメラに映りたい」と努力を続けた中丸雄一


一方、中丸雄一は、ギラギラオラオラのKAT-TUNの中で強烈な個性をもたず、それでも「なんとかしてカメラに抜かれる(映る)ように」と、ボイスパーカッションを独学で身につけた。
24歳の時には、自分の足りないところに気づき早稲田大学に入学。仕事の合間に勉強を重ねて、5年で通信教育課程を卒業した。
その経験と努力は、「シューイチ(日本テレビ系)」のコメントなど、仕事の場でも十分生かされている。

一見、没個性でビビリキャラながら、しっかりと将来を見据えて行動する努力家で、スポーツ、音楽、アート、さらには料理まで、何をやらせても勘がよく高いレベルでこなす中丸は、凡人どころか秀才である。

ビジュアル、ダンスセンス、歌唱力、女性ファンを引きつける魅力もあり、もともと、ポテンシャルが高かったのが赤西仁だ。しかし、はじめからやりたい方向性が違っていた彼は2010年にグループを脱退、2014年に退所し自主レーベルを立ち上げ、国内、アジアを舞台に音楽活動を続けている。

地道に経験を積んだKis-My-Ft2


KAT-TUNは結成から2006年のデビューまで約5年かかった。その間、グループ結成が後のNEWS、関ジャニ∞がデビューしていって「もうデビューできないのではないか」という焦りもあったという。

そのKAT-TUNより時間がかかったのが、エビキスだ(A.B.C-ZとKis-My-Ft2)。
2011年デビューのKis-My-Ft2は、同期の亀梨、中丸ら、KAT-TUNのバックとして地道に経験を積んだ。
「事務所を辞めたい」ともとKAT-TUNの田中聖に相談。「必ず必要とされる時がくる」とメールで励まされ、耐えたからこそ現在がある。亀梨と同様、藤ヶ谷も、Jr.当時から “自分の魅せ方”が上手で、イケメンオーラをまとっていた。

2012年にデビューしたA.B.C-Z


そのKis-My-Ft2との共演が多かったのがA.B.C-Z(当初はA.B.C)だ。特に塚田僚一は、アクロバットが上手すぎるために、ジャニーズの舞台のバックに欠かせない存在で、多くの先輩たちのバックを務め、舞台では縁の下の力持ちとして支えた。
デビューは2012年、入所から14年かかった塚田だが、今や筋肉、金髪、天然発言とキャラで今やバラエティ番組に引っ張りだこだ。

ジャニーズ事務所もアイドルも、どんなにモテモテでもラクではない。先輩のみならず同期の主役をバックとして支える。先を行っても、自分の都合に関わらず休憩を強いられたり下剋上もある。
けれども、同じ事務所ならではの仲間意識や結束も強い。刺激しあえる同期もいる。明るくポジティブにコツコツと努力した先にはきっと得るものがあるはずだ。
(佐藤ジェニー)