今振り返ると、昔のテレビには「遊べるスペース」が存在していました。80年代~90年代は深夜帯にそのスペースがあり、『タモリ倶楽部』『トゥナイト』をはじめとした自由度の高い番組が、数多くつくられたものです。


2000年代以降は、視聴者やスポンサーの目が厳しくなり、深夜帯は「遊び場」ではなくなりました。代わりとして早朝に、『働くおっさん人形』『鈴木タイムラー』などの実験的番組が、00年代前半にちらほらと作られたものの、現在は、通販番組のオンパレード……。もはや創り手たちが、創造力を発揮する余白は、テレビというフィールドにないのかも知れません。

そう考えたときに懐かしさを覚えるのが、かつて『ガキの使い』で放送された2つの罰ゲーム企画。『24時間浜田雅功営業中』と『早朝松本レンジャイショー』です。どちらもラテ欄に載るか載らないかのほんのわずかな隙間を活用した、名企画として後世に名を残しています。


90年代~00年代前半、多彩な罰ゲームが放送されていたガキ使


かつて『ガキ使』では、ガキ使メンバーがゴルフやボウリングなどで対決したり、浜田と松本がプロ野球の勝敗を予想したりするなどして、負けた方に過酷な罰ゲームを課せられるのが恒例行事となっていました。

企画内容は、『冬の湘南赤フンドシで寒中水泳!!』(1991年)、『浜ちゃんNYの坂本龍一宅までシャープペンを取りに行く!!』(1995年)、『ノーリアクションパイ地獄』(2002年秋)など実に多彩。
その一環として行われたのが、『24時間浜田雅功営業中』(1999年)と『早朝松本レンジャイショー』(2002年夏)です。

丸一日スポットCMに出続けた『24時間浜田雅功営業中』


1998年秋に行われたゴルフ対決で敗れた浜田。彼が受けた罰ゲームは、日本テレビで当時放送されていた3秒間の短編CM「日テレ営業中♪」に、24時間生放送で出演し続けるというものでした。

1999年4月19日の早朝から、SM嬢⇒ピンクレディー⇒筋肉マン⇒スタンハンセン⇒八つ墓嘉村⇒シノラーなど、様々なコスプレをして「日テレ営業中♪」とコール。丸1日かけて合計32回、全て別のコスプレを着て登場するため、わずか5分~30分あまりの短い間隔で、次々と着替えていきます。時には、1分30秒での早着替えもありました。
もちろんその間、睡眠もろくに取れません。最後は、AM2時42分に美空ひばりのコスプレで『サライ』を熱唱して終了。
普段、何気なく流れている番宣のスポットCMに異形の浜田が突如出現する……。ガキ使ファンじゃない一般視聴者にも、そんなちょっとしたサプライズ感を与えたという意味で、ガキ使史上に残る名罰ゲームの一つであるのは間違いありません。

松本一家が総出演した『早朝松本レンジャイショー』


その4年後となる2002年。またしても空き地で戯れる子供のように、ガキ使制作陣は、誰もつかってない空白の枠に目を付け、そこで罰ゲームを敢行します。
その名も『早朝松本レンジャイショー』。

これは、同年行われた走り幅跳び対決に敗れた松本が、早朝4時25分~4時30分の5分間、生放送でヒーローショーを演じるというもの。実はこの数年前にも、『松ちゃんカラーバーでTVジャック!!』(1992年)、『局タイトルのハトになってクルックー!!』(1993年)、『早朝親子寄席』(1994年)なる、同じく早朝の時間帯を活用した罰ゲームを放送していたのですが、この『松本レンジャイショー』は特に大掛かり。
なんせこの企画のために、松本一家が総動員で出演したのですから。父の譲一、母の秋子、姉の直美、兄の隆博と、末っ子の人志戦隊モノになりきってカメラの前に登場する姿は、何だか圧巻でした。

こんなふうに、好き放題やっていたガキ使の罰ゲーム。
もともとは罰ゲーム企画の一つだった『笑ってはいけない』が年末特番化してから、放送しなくなってしまいましたが、また、早朝なり番宣CMなりをつかって、趣向をこらしたバカバカしい罰ゲームを実施してもらいたいものです。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりダウンタウンのガキの使いやあらへんで !! 1 浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ ! [DVD]