未曾有の無差別テロ事件として歴史に刻まれる、1995年に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件。この他の事件にもオウムが絡んでいたとされ、当時はテレビや雑誌も連日、オウム報道一色であった。


そんなオウム関連の事件によって、結果的に評価を上げる形になった人物もいる。

「脱洗脳」のスペシャリスト・苫米地英人


オウムが関わったとされる、95年の警察庁長官狙撃事件。脳機能学者の苫米地は、オウム信者だった警視庁巡査長の狙撃に至る記憶を鮮明に呼び起こすことに成功する。ニュース番組でその一部を公開することにより、「巡査長はシロ」としていた警察当局は混乱。
結局的に、巡査長は証拠不十分により釈放されるも、苫米地は「脱洗脳」のスペシャリストとして一躍脚光を浴びることになった。

その後はお笑いコンビ「オセロ」の中島知子の脱洗脳にも協力するなど、苫米地は「脱洗脳」のスペシャリストとしてその名をとどろかせている。

「わしはオウムに殺されかけた」小林よしのり


そしてもう一人は小林よしのりだ。
小林は89年に坂本弁護士一家殺害事件が起きた際、漫画『ゴーマニズム宣言』の中で、オウム(と推定される存在)を激しく追及した。これを受けてオウム側は人気漫画家である小林の発言力を恐れ、小林を何とか取り込もうとするも、失敗。

最終的にオウムはVXガスを用いた小林暗殺を計画していたが、未遂に終わった。小林は「世界初の暗殺されかけた漫画家」として、事件すら漫画のネタにして、言論界でより大きな影響力を持つようになってゆく。
また、ジャーナリストとして当時、坂本弁護士一家殺害事件のオウム関与を指摘していた江川紹子もオウムに暗殺されかけている。

このようにみると、命の危険がありながら追及し続けた彼らの凄さが分かるだろう。

(青木ポンチ)