いつの時代もメディアを賑わせてきた「プッツン女優」。昔、明石家さんまが石原真理子(現・石原真理)への悪口として使った言葉ですが、石原以降も、そのレッテルを貼られた女性タレントは次々と誕生。

代表的な例をあげると、華原朋美、広末涼子、沢尻エリカなどがメディア等でそう呼ばれていました。

しかしよく考えれば、さまざまな思惑が複雑に絡み合い、普通の社会に生きるよりもずっと過酷だろう芸能界に、10代~20代の少女が放り出されるのです。余程、周囲のフォロー体制がしっかりとしているか、本人が図太くない限り、精神的に病むのも致し方ないというものでしょう。

本稿で紹介する藤谷美和子も、心のバランスを崩し、「プッツン女優」と呼ばれるに至ってしまったタレントの一人です。

朝ドラヒロインに抜擢! アカデミー賞の常連女優だった藤谷美和子


「100円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスで100円は買えません」
1977年、このあまりにも有名な糸井重里によるキャッチコピーを使用した、カルビーポテトチップスのCMに出演していたのが誰あろう、当時12歳の藤谷美和子です。

子役からキャリアをスタートさせた藤谷は、『ゆうひが丘の総理大臣』や『池中玄太80キロ』など、名作ドラマに次々と出演。
1984年には、NHK・朝の連続テレビ小説『心はいつもラムネ色』のヒロインにも抜擢。
同年の映画『海燕ジョーの奇跡』では主演女優賞、1992年には『女殺油地獄』『寝盗られ宗介』で助演女優賞を受賞と、かなり凄いキャリアの持ち主です。

『愛が生まれた日』が大ヒット、90年代中頃以降はバラエティでも活躍


もっとも、30代中頃~40代前半の方にとって、藤谷美和子といえば『愛が生まれた日』における歌唱が、印象深いのではないでしょうか。
歌手・大内義昭と共に歌ったこの楽曲は、デビューシングルにして、132万枚以上を売り上げるという大ヒットを記録。今でも、デュエットソングの定番中の定番として歌い継がれているのは、ご存知の通りです。

さて、そんな藤谷美和子も90年代中頃以降は、女優としてよりはバラエティタレントとしての色合いが強くなり、『さんま御殿』などのトーク番組に出演しては、どこか一般感覚の欠如したエキセントリックな言動を繰り返し、笑いをとっていたものです。

しかし、そのエキセントリックさが度を超し、笑えないレベルに達してしまった事件が今から14年ほど前に起こりました。

警備員に皇居開門を要求した藤谷美和子


2003年6月26日。この日、藤谷は東京の皇居坂下門に突如タクシーで乗り付け、警戒中の警察官に開門を要求。
もちろん、聞き入れられるはずもないのですが、ここで藤谷は警備員に詰めより、こんな一言を言い放ちます。

「紀宮さまは私の妹。お会いしてお手紙を渡したいのです」

「紀宮さま」とは、この1年後に東京都職員・黒田慶樹氏と結婚して話題となる、紀宮清子内親王(現・黒田清子さん)のこと。
藤谷美和子は皇族だったのか? ……もちろん、そんなはずありません。さらに、1時間にわたってタクシーに篭城するという行動に出たため、現場は一時騒然。この一連の出来事は、当時のニュース番組などでも「事件」として報じられ、大きな話題を呼んだものです。


「徘徊」報道も飛び出した藤谷美和子の現状とは?


こうした騒動の影響を鑑みてか、所属事務所は藤谷の休養を発表。2005年には、演出家の岡村俊一と結婚するも、「結婚しないと離婚できないでしょ?」と早々に離婚を希望するという発言でまたも世間を驚かせました。

最近では、2012年4月6日に発売された雑誌『Friday』で、神奈川県小田原市内における「徘徊生活」が報じられましたが、それ以降は音沙汰なし。夫が語るところによると「更年期に伴う心身の不調」をきたしているとのことなので、今後は表舞台に復帰することなく、安穏とした余生を送っていくのでしょう。
(こじへい)