先月、待望の第一子妊娠が報じられた保田圭。元・モーニング娘。
モーニング娘。時代は決して人気メンバーとは言えなかった保田圭だが、2013年にイタリア料理研究家の小崎陽一氏と結婚し、幸せそうな30代を送っているようだ。「妊活」を公表し、悩みも吐露していただけに、第一子妊娠には祝福の声が多く届いている。
そんな保田圭のデビューは1998年、モーニング娘。の第2期メンバーとしての加入だった。モーニング娘。の2ndシングル「サマーナイトタウン」が保田のデビュー曲となった。
同期メンバーは、市井紗耶香・矢口真里。ちなみに市井は結婚・離婚・再婚を経て現在4児の母! 矢口は言わずと知れたお騒がせタレントとなったが……。いずれも、当時から現在に至るまで、エネルギッシュなキャラの濃い2期メンバー3人だ。
今でこそモーニング娘。といえばメンバーの入れ替わりが当たり前となったが、1期メンバーにとって増員は受け入れがたいものであったようだ。プレッシャーを感じつつも新たなモーニング娘。の一員として務めを果たし、さらなるブレイクへの礎を築いてきたのが2期メンバーたちだった。
そんな初期の保田の活動として忘れてはならないのが、「プッチモニ」の結成。市井紗耶香、後藤真希と3人で結成されたプッチモニは、1999年のデビュー曲「ちょこっとLOVE」が2週連続オリコン1位という大ヒットを叩き出す。
ついつい口ずさんでしまうような歌詞と、耳から離れないメロディーで、カラオケでも当時から現在に至るまで大人気。この曲でプッチモニは女性3人組ユニットの売り上げ日本新記録を達成し、この記録は未だに破られていない。
その後、市井が卒業して吉澤ひとみが加入した後も、保田はユニットに留まったまま、「青春時代1.2.3!/バイセコー大成功!」「BABY! 恋にKNOCK OUT!」「ぴったりしたいX’mas!」とヒット曲を連発。
同時期に活動していたもうひとつのグループ内ユニット「タンポポ」が女の子らしさ全開のスウィートな世界観だったのに対し、プッチモニの元気でクールなイメージは時代にもフィットし、幅広い層に共感を得たのではないだろうか。
しかし、保田圭のアイドル時代は決して順風満帆なものではなかった。
加入直後から他のメンバーが自分よりかわいいという劣等感を抱いていた保田。さまざまなキャラ作りを試みるがうまくいかず、トークも上達することなく、「空気」のような存在になっていったという。
そんな保田が自身のポジションを見出したのが、「お笑い路線」だった。
あるインタビューで、好きな食べ物を「白子と軟骨」と答えたことが思いがけずウケたことにより、「これだ!」とお笑いキャラへの転向を決意した保田。
そのキャラを確固たるものにしたのが、当時の人気番組「うたばん」だった。
この番組内でMCの石橋貴明・中居正広にアイドルとは思えないほどさんざんイジられた保田。これは保田にとっておいしい転機となり、他のメンバーにはないキャラを確立することとなった。
こうして5年間にわたってモーニング娘。を支え続けた保田は、加護亜依・辻希美をはじめとする後輩にも慕われ、2003年に惜しまれつつモーニング娘。を卒業する。
「お笑いキャラ」が定着したことにはデメリットもあり、モー娘。卒業後には婚活に苦労したという保田だが、TVの中の姿ではなく素の自分を見てくれる相手と出逢い、幸せな結婚をした保田圭。
アイドル時代に培ったスキルで、子どもにも好かれるママになれそうだ。
(空町餡子)
※文中の画像はamazonより保田圭 エッセイ 『 美ブス婚 -最下位娘。
という肩書きは未だに健在だろう。
モーニング娘。時代は決して人気メンバーとは言えなかった保田圭だが、2013年にイタリア料理研究家の小崎陽一氏と結婚し、幸せそうな30代を送っているようだ。「妊活」を公表し、悩みも吐露していただけに、第一子妊娠には祝福の声が多く届いている。
モー娘。2期メンバーとしてのデビューした保田圭
そんな保田圭のデビューは1998年、モーニング娘。の第2期メンバーとしての加入だった。モーニング娘。の2ndシングル「サマーナイトタウン」が保田のデビュー曲となった。
同期メンバーは、市井紗耶香・矢口真里。ちなみに市井は結婚・離婚・再婚を経て現在4児の母! 矢口は言わずと知れたお騒がせタレントとなったが……。いずれも、当時から現在に至るまで、エネルギッシュなキャラの濃い2期メンバー3人だ。
今でこそモーニング娘。といえばメンバーの入れ替わりが当たり前となったが、1期メンバーにとって増員は受け入れがたいものであったようだ。プレッシャーを感じつつも新たなモーニング娘。の一員として務めを果たし、さらなるブレイクへの礎を築いてきたのが2期メンバーたちだった。
プッチモニも大ヒット
そんな初期の保田の活動として忘れてはならないのが、「プッチモニ」の結成。市井紗耶香、後藤真希と3人で結成されたプッチモニは、1999年のデビュー曲「ちょこっとLOVE」が2週連続オリコン1位という大ヒットを叩き出す。
ついつい口ずさんでしまうような歌詞と、耳から離れないメロディーで、カラオケでも当時から現在に至るまで大人気。この曲でプッチモニは女性3人組ユニットの売り上げ日本新記録を達成し、この記録は未だに破られていない。
その後、市井が卒業して吉澤ひとみが加入した後も、保田はユニットに留まったまま、「青春時代1.2.3!/バイセコー大成功!」「BABY! 恋にKNOCK OUT!」「ぴったりしたいX’mas!」とヒット曲を連発。
同時期に活動していたもうひとつのグループ内ユニット「タンポポ」が女の子らしさ全開のスウィートな世界観だったのに対し、プッチモニの元気でクールなイメージは時代にもフィットし、幅広い層に共感を得たのではないだろうか。
悩み多きアイドル時代
しかし、保田圭のアイドル時代は決して順風満帆なものではなかった。
加入直後から他のメンバーが自分よりかわいいという劣等感を抱いていた保田。さまざまなキャラ作りを試みるがうまくいかず、トークも上達することなく、「空気」のような存在になっていったという。
そんな保田が自身のポジションを見出したのが、「お笑い路線」だった。
あるインタビューで、好きな食べ物を「白子と軟骨」と答えたことが思いがけずウケたことにより、「これだ!」とお笑いキャラへの転向を決意した保田。
そのキャラを確固たるものにしたのが、当時の人気番組「うたばん」だった。
この番組内でMCの石橋貴明・中居正広にアイドルとは思えないほどさんざんイジられた保田。これは保田にとっておいしい転機となり、他のメンバーにはないキャラを確立することとなった。
こうして5年間にわたってモーニング娘。を支え続けた保田は、加護亜依・辻希美をはじめとする後輩にも慕われ、2003年に惜しまれつつモーニング娘。を卒業する。
「お笑いキャラ」が定着したことにはデメリットもあり、モー娘。卒業後には婚活に苦労したという保田だが、TVの中の姿ではなく素の自分を見てくれる相手と出逢い、幸せな結婚をした保田圭。
アイドル時代に培ったスキルで、子どもにも好かれるママになれそうだ。
(空町餡子)
※文中の画像はamazonより保田圭 エッセイ 『 美ブス婚 -最下位娘。
の婚活物語- 』
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