私はかつてあの様な 悲惨な光景を見たことがない

こんなフレーズから始まる、なぎらけんいちの『悲惨な戦い』という楽曲をご存知でしょうか?

大相撲のハプニングを歌にした『悲惨な戦い』


1973年にリリースされた同曲で描写されているのは、NHKが中継した大相撲のある取組の模様。歌の中で相対する力士は、巨貫の雷電と、“地獄の料理人”の異名を持つ若秩父。
ガッチリと組み合う2人でしたが、なんと若秩父のマワシがポロリ。
結果、若秩父の「モノ」が、全国の相撲ファンに晒されてしまったのです。

以上が歌詞の全容。なんとも “悲惨な戦い”ではないでしょうか。

もちろん、これは創作。雷電も若秩父も、なぎらが案出した架空の力士です。であるにも関わらず、「相撲協会に配慮すべし」との名目により、長らくこの曲は放送禁止の扱いを受けていました。


滅多にない「不浄負け」


取組中にマワシが取れて男性の大事なモノが露出してしまうことを、大相撲の規定では「不浄負け」といい、ポロリしてしまった側は、反則負け扱いになります。
つまり「ポロリ」は、れっきとしたオフィシャルルールなのです。それなのに、なぎらの歌が自主規制されたのは、「不浄負け」が滅多にないことだからに他なりません。

楽曲が発表された1973年より前に遡ると、公式記録に残る「不浄負け」の実績は、1917年5月場所ただ1例。大正6年の話です。これでは、たとえルールにあったとしても、存在していないも同然。なぎらの歌が悪い冗談と見なされてしまうのも、無理はないというものでしょう。


しかし、事実は小説よりも、いや、コミックソングよりも奇なり。日本相撲界において実に83年ぶり2例目となる“チン事”が、2000年の5月場所で起こったのです。

寸法の合わないマワシをしていたことが悲劇の始まりに


2000年5月13日・名古屋場所。朝ノ霧‐千代白鵬の取組で、歴史的瞬間は訪れました。両者見合って待ったなし。ガップリ四つに組み、熾烈な攻防を繰り広げます。

朝ノ霧にとっては、今日勝って2勝2敗のイーブンに持ち込むか、負けて1勝3敗と借金を増やすかという重要な取り組み。
当然、千代白鵬のマワシを掴む手にも力が入るわけですが、もっと瀬戸際に追いやられているものがあると気付きます。そう、自分のマワシです。

「マワシと腹の間がユルユルになっていた」
朝ノ霧は後に、こう述懐しています。どうやら、一時的な体重の変化に合わせてマワシの寸法を変えたものの、体重がすぐ戻ったために、自分の身体にフィットしていなかったようなのです。

「マワシだ!マワシ!」と叫ぶ審判員たち


異変を察知した朝ノ霧は、目先の勝利など思慮の外。敵のマワシを掴んでいた右手を即座に離し、自分のマワシを押えます。「ヤバいヤバい…!」必死の抵抗を試みるも、無情にも重力に屈したマワシはズルズルとほどけていき、ついに秘部が露わになってしまったのです。


「マワシだ!マワシ!見えてる!」と絶叫する審判員たちと、唖然・騒然とする観客たち。幸い、テレビ中継には映らなかったものの、場内では鳴戸審判長(元横綱隆の里)から物言いがつき、「東方力士の前袋が落ちたので、西方力士の勝ちとします」と説明がなされました。

朝ノ霧はあまりの恥ずかしさで、このアナウンスが耳に入ってこなかったといいます。

ロイター通信が世界へ向けて発信


翌日、このニュースは日本中を駆け巡り、「モロ出し」の見出しを一面トップに持ってきた日刊スポーツが飛ぶように売れるという、空前の不浄負けブームとなります。
さらに、ロイター通信によって世界へ打電され、後に「相撲で最もまれな負け方」としてギネスブックにも掲載されました。

結局、この敗戦で調子を崩した朝ノ霧は、名古屋場所を1勝6敗と大敗。
翌2001年には、引退を表明してしまいます。なお、不浄負けを喫したときに使用したマワシは、好角家であるやくみつるが所持しているのだとか。
物好きにもほどがあるというものですが、いずれにしても、私はかつてあの様な悲惨な光景を見たことがありません。
(こじへい)