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昭和のサンドイッチマンは凄かった

モノを宣伝する方法は新聞の広告やテレビのコマーシャル、該当で配られるティッシュなどさまざま。そんな広告の中で歴史の古いものに「肉体を使った広告」がある。始まりは紀元前に栄えた都市カルタゴ(現在のチュニジア)だと言われている。櫂(かい)を奴隷に漕がせたガリー船と呼ばれる船が港に到着すると、積荷の内容を記したシャツを着た男が町中を歩いて告知したというのがそれ。今でいう「サンドイッチマン」のようなもの。

ところで「サンドイッチマン」というのは和製英語のように聞こえるがこれはれっきとした英語(sandwich man)で辞書にも載っている。

広告の板を体の表と裏にさげているところから、広告でサンドイッチになっている、という意味で呼ばれるようになった。日本でも明治21年(1888)、銀座に行灯のような木枠に紙を貼り、そこに広告文を書いたものを背負って町を歩き、夜はろうそくを灯したサンドイッチマンスタイルの広告が出現したらしい。

今ではあまり見かけなくなってしまったが、日本にはサンドイッチマンに似た職業にチンドン屋があってこちらは日本独自の文化が生み出したもの。1845年(弘化2年)、大阪千日前の香具師の元締めの子分だった飴勝(あめかつ)という若い江戸者がすっとんきょうな売り声を張り上げて大阪の町中に飴を売り歩いたのがはじまりといわれている。その後芝居の口上をまねたり、太鼓や三味線をもつようになりどんどんと進化した。

ところで、日本にサンドイッチマンが最も多くいた時代がある。それは第二次大戦後の昭和24年頃。多くは戦後の混乱で職場が得られず、チンドン屋のように楽器を演奏したりもできない人々だったらしい。中には海軍の大将の息子までもがサンドイッチマンになり人々を驚かせたこともあったらしい。

しかし、そんなサンドイッチマンの中でも創意工夫を凝らした人もいて、下駄をスタンプにして地面に広告を打ちながら歩くサンドイッチマンや水死体を装い数寄屋橋下の川に浮くサンドイッチマンもいたのだそうだ。水死体のまねはいくら何でもまずいけど、いかに人目を引くかと考えたのは素晴らしい(?)。(こや)

2005年2月27日 00時00分

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