はなわの第2の故郷(?)、”北の鎌倉”を歩く
(上)手賀沼にはカッパ伝説があり、市内の盆踊りには「河童音頭」が欠かせない、らしい!?(下)公園として整備された志賀直哉邸跡。現在は母屋の離れにあった書斎が残っている。
「佐賀県」のヒットで有名になった芸人はなわは、かつて千葉県に住んでいた。「じゃあ千葉県も歌にしろ!」と、千葉県民の肩書きを自ら捨てた私は怒っていた。
が、はなわは歌っていた。アルバム「HANAWA ROCK」の中で、「千葉県」という歌を。

歌によれば彼が住んでいたのは千葉県・我孫子市。我孫子市には、2000年度まで27年連続で水質日本ワースト1だった手賀沼がある。市は手賀沼を美しくするために、沼上にカッパの銅像(噴水)を立てちゃうくらい燃えている(※その熱意のおかげで手賀沼は’00年度以降、水質ワースト5ランク外をキープしているのだ!)。

そんな手賀沼は、その景観美により、大正から昭和にかけて“北の鎌倉”と呼ばれ、白樺派の文人たちが好んで居を構えた。
志賀直哉の代表作「城崎にて」「和解」「小僧の神様」はこの地で誕生。かの名作「暗夜行路」も前編は我孫子時代に書かれたものである。

今も旧武者小路実篤邸跡や志賀直哉邸跡などが残され、古き良き時代の風情が残っている手賀沼界隈。隠れた名所として訪れてみる価値はある。
(エキサイトニュース編集部 さと)