気分はジョバンニ! 印刷博物館で「文選」を体験
(上)文選中(下)活字の棚。すごい量だ。
ジョバンニ、と言われてピンとこない人でも、宮沢賢治の名前は知っているだろう。以下は、宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」の一節である。


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 ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子(テーブル)に座った人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚(たな)をさがしてから、
「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを渡しました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函(はこ)をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒(あわつぶ)ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、
「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわらいました。
 ジョバンニは何べんも眼を拭いながら活字をだんだんひろいました。
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筆者は子どもの頃、「銀河鉄道の夜」を読んで、この一節が非常に印象に残った。
「こういうお仕事があるんだ」と。

さて、今ではプリンタを使って自宅でも簡単にカラー印刷が出来るようになったが、以前は印刷は「印刷屋さん」のものであった。
現在の印刷の主流はオフセット印刷と呼ばれる印刷方式であるが、以前は活版印刷と呼ばれる印刷方式が主流だった。活版印刷とは、「活字」を組んで印刷する方式で、凸版印刷の一方式である。

そこで、今日はここ印刷博物館に「活版印刷体験」にやってきた。
目的は「印刷」ではない。
上記、ジョバンニがやっていたお仕事、「活字拾い」、いわゆる「文撰」を体験するためである! 
「文撰」とは、簡単に言えば、活版印刷に必要な活字を、たくさんの活字の中から見つけて拾い出す作業である。印刷は自宅でもできるが、文撰はここでしか体験できまい。

ここ、印刷博物館の1コーナー、印刷工房「印刷の家」では、一般入館者を対象に活版印刷体験を行っている。

汚れ防止のエプロンと腕カバーをして、まずは「活版印刷についてのレクチャー」を受ける。そのなかで一番興味深かったのは、活字、というのは使い捨てで、一度つかったら溶かしてまた活字を作るのだそうだ。
「えっ! そんなもったいない」と考えた私は甘かった。
よく考えたら、一冊の雑誌や書籍に使った何万もの活字、棚に戻す方が重労働。やっぱり、すべてのことには理由があるのね。ここ「印刷の家」では、活字は使い捨てではなく、何度も繰り返し利用する。鋳造施設を持たない小さな印刷場では、活字が摩滅するまで利用するそうだ。もちろん、使い捨ての活字と、繰り返し利用する活字では、金属の成分から違う。
また、上の、「銀河鉄道の夜」でジョバンニが拾ったであろう活字は、ルビに使う4ポイント。
現物を見たが、確かに粟粒のように小さい。なんでも、ルビにしか使わないので、ひらがなとカタカナしかないそうだ。ちなみに、上記「銀河鉄道の夜」はピンセットで活字を拾っているが、字面を傷つけないように、また、向きを間違えないように、手で拾うものなのだそうだ。

さて、レクチャーがすんだら、いよいよ活字を拾う「文撰」作業。…と、思ったら、あれ? 活字が少ない。係の人曰く「今日はアルファベットですからねえ。
日本語の日もありますよ」うう…そうか…、日本語の活字、探したかったよ。
筆者の体験した日はアルファベットですぐ探せてしまったが、日本語の日は印刷工房壁いっぱいに並べられている日本語の活字が拾えるそうだ。
アルファベットは文字数が少ないので、「文撰箱」には入れず、活字を拾いながら直接組んでいくという「拾い組み」と呼ばれる作業になる。ええい、この際拾い組みでもいいです! やらせてください!

拾い組みをする際に使うのが、「ステッキ」と呼ばれる、拾った活字を入れる用具。これに拾った活字を並べ、崩れないように親指で押さえる。
いや、これがなかなか楽しい。
普段パソコンでちょちょっと打っている文章を、一字一字拾うってのが大変で、新鮮なのだ。
拾ったアルファベット活字は、DTPをやる人にはおなじみ、「フーツラ」という書体。おお〜!フーツラは元々活字の書体だったのか!

それで、活字が拾えたら印刷にうつるわけだが、それはここの主題ではないので、割愛する。できあがった作品をみると、字のふちに、凸版印刷ならではの「へこみ」がついていて、「ああ、これが噂に聞く…」としみじみしてしまった。

「活字拾い」体験、それは限りなくアナログで、パソコンやプリンタのありがたみを思い出させてくれる体験だ。
ぜひとも、みなさんも印刷博物館で「活字拾い」をやってみてほしい。
その夜、空から銀河鉄道が迎えに来る………かもしれない。(バーバラ・アスカ)