中学校の必修科目となった「ダンス」。30代の筆者にしてみれば隔世の感と言いたくもなるところだが、文部科学省によると「イメージをとらえた表現」の力を養ったり、「ダンスを通じて仲間とのコミュニケーションを豊かにする」といった目的があるとのことで、必修科目に定める理由としては納得もいく。


反面、ダンスに対してネガティブな印象を抱くことも少なくない。ダボダボな服装や周囲の迷惑を顧みないような騒音……。ダンスは、“チャラい”とか“不良のもの”といったイメージを持っている人も居るかもしれない。
そんななか、古都・鎌倉の伝統あるお寺でダンスフェスティバルを開催し、成功を収めたプロダンサーの噂を聞きつけた。「お寺とダンス」……一見、かけ離れた存在を、イベントとして融合した背景は何だろうか。また、お寺も納得するような、ダンスの本当の魅力とはいったい何なのか。

答えを探るべく、この鎌倉でのダンスフェスティバルの主催者であり、プロダンサーのOBAさんに話を聞いた。

14歳からストリートダンスを始めたというOBAさん。「父はドラマーだったので、子供の頃から音楽に興味があったんですけどね。もっと体を使うものの方が、自分には向いているかなと思ったんです。で、兄がやっていたダンスに僕もチャレンジしてみたんです」

地元・鎌倉でストリートダンスをやりながら、子供のころの夢であったパン屋を目指して製菓専門学校へも通うようになったというOBAさん。「その学校では、僕、けっこう優等生だったんですよ。
パンづくりの修行のために、ドイツへ留学することも決まったんです」。しかし、パン屋の道も甘いものではない。ストリートダンスにも打ち込むOBAさんに、学校の先生は迫った。

「先生からは『パンづくりの道に進むなら、ダンスはやめろ』って言われたんです。そして、『おまえは、パンとダンス、どっちに狂えるんだ?』と迫られて、僕は迷わず思えました、狂えるのはダンスだよなって」。パン屋になる夢を捨ててでも、狂えるのは、ダンス。
筆者にはまだ、その理由は理解ができずにいる。

学校を卒業後、ダンス留学のためニューヨークに飛んだOBAさん。そこで、アメリカダンス界の伝説的グループ「LA CITY ROCKERS」の創立者であり、有名振付師のJAZZY Jと出会い、彼を師と仰ぐようになる。

「JAZZY Jと出会ってからの2年半は、それこそ狂ったように学びましたね。僕の、プロダンサーとしての原点は、JAZZY Jにあります」とOBAさん。そして、ダンサーとして大きな成長を遂げた彼は、アメリカの各地域で開催されたダンスバトルの大会で次々に優勝していく。


20歳で帰国した後も国内のダンスバトルで優勝を重ね、日本のダンスシーンに大きな衝撃を与えたOBAさん。プロダンサーとして仕事の依頼も殺到し、「本格的にダンスで食べられるようになっていったんです。けど……、順調に仕事をこなすうちに、なんかおもしろくなくなっていったんです」という。

インストラクターとしての仕事もこなさないと、ダンサーは職業として成り立たない風潮が強い。そんな日本のダンスシーンにも思い悩んだOBAさん。そこで、一度日本を離れ、オーストラリアに向かった。
そして、OBAさんが行ったのは、彼にとっての“ダンスの原風景”ともいえるストリートダンスだった。

「オーストラリアは路上パフォーマンスが盛んな国で、理解も深いんです。僕は、彼の地で仲間とともにストリートで踊りまくり、お金を稼ぐこともできました」。そのお金を元手にしてOBAさんはさらに世界中を巡り、さまざまな国のダンスを吸収していった。

再び日本に戻ってきた後のOBAさんは、この国のダンスシーンの常識を打ち破るかのように、刺激的な仕事を精力的に行っていく。それが、インストラクターの仕事の依頼をほとんど受けない形でのプロダンサーとしての活動であり、前記した、2014年に初めて開催された「KAMAKURA DANCE FESTIVAL」などである。


古都・鎌倉の中に数ある神社仏閣の中でも、代表的なお寺として知られる円覚寺。「KAMAKURA DANCE FESTIVAL」は、その円覚寺佛日庵を舞台として開催された。

その実現のためには、お寺の深い理解が欠かせなかったと思うのだが、説得は大変だったのではないだろうか。
「楽ではなかったですね(笑)。けれど、ダンスのことを真に理解してくださったからこそ、場所の提供にも応じてくれたのだと思います」とOBAさん。ダンスのことを真に理解する……、というが、ダンスっていったい何なんですか?
「体の自然な反応の一種です」
うん? どういうこと?
「ダンスは、誰の中にもあるものなんです。日常の動きに宿っているもの、ともいえると思います。少なくともダンスは、特別なものなんかじゃないんです」。
OBAさんが言うには、人は誰しもがダンサーなのだそう。だが、少なくとも筆者にその自覚は無い。「ダンスとは体の反応にすぎないものですが、一般の方と異なるのは、ダンサーはそれを意識しながら、コントロールしながら反応する点にあります。体の自然な反応を、しっかり認識しながら反応するんです。それはつまり、自分というものをしっかり自覚した上で、理性を超えて自分を解放する作業、ということです」

たとえば、子供と一緒に幼児番組を見ながら、ちょっとしたダンスを踊る。お気に入りの音楽を聴きながら、小さな動きで踊ってみる。これだけでも、気持ちが良くなったりするものだ。「快感を感じているときは、自分を解放しているときなんです」とOBAさん。
上手に踊れなくたって、誰しもちょっとしたダンスくらいなら踊れる。それだけで、自分を解放できるのだ。「それこそが、ダンスの真の魅力だと思いますよ」とOBAさんが話す。

「世界中のいろいろな踊りを見てきてわかったのですが、どの国の踊りも、神事であり奉納として行われているんですよね。そこを理解してもらえたことが、円覚寺佛日庵をダンス舞台とすることにつながったと思います」。なるほど、ダンスとは元来、自分を解放した先に、自我を超越して、大いなる存在に身をささげるものということか。古来から世界中で受け継がれてきたこの行為が、日本ではともするとネガティブなイメージで捉えられている。これは由々しき事態に思えてならない。

「ダンスがネガティブなイメージを持たれやすいのは、ファッションに目が向きがちだからだと思います。例えば、ヒップホップのファッションはダボダボで不良みたいにも見えるかもしれません。けど、たとえばクラブでも、踊っているフロアではケンカなんか起きないんです。それは、ヒップホップで踊っている人たちが、自分を解放して、イヤなことも全部吐き出せて、気持ち良くなれている証ではないでしょうか」とOBAさん。

ちなみに、ヒップホップの根底にあるのは「反骨精神」だという。世知辛い世の中をたくましく生き抜いていくには、大切な精神ともいえよう。そういった部分には目を向けず、ファッションにばかり目を向けて評価をしてしまうから、誤ったネガティブイメージが生まれてしまうのだ。

「僕は、ダンスを通じてその真の魅力を伝え、日本の世の中に貢献したい。そして、その上で、日本の素晴らしさを背負って、ダンス文化が根付く海外を舞台に踊っていきたいです」と夢を語るOBAさん。内にためこまず、ダンスで自分を解放する日本人が増えたとき。この国は、明るく楽しい国へと生まれ変われるかもしれない。
(木村吉貴/ 編集プロダクション studio woofoo