自らを“偽善者”と呼ぶ男―そんなヤツ、キミは信じられるか? だが、山中光茂は紛れもない三重県・松阪市の「市長」。しかも次々と市政改革を実現し、市民の熱い支持を受けて今年再選を果たしている。
彼はいったい、何者なのか? そして彼の説く“新しい行政スタイル”とは?

■行政と市民が互いに意見をぶつけ合う!

―全国最年少の市長(当時33歳)となったのは今から4年前。今年1月に再選を果たしましたが、選挙戦は大きな話題になりました。

山中 そうですね(笑)。対立候補は自民党の三重県議会議員を3期務め、自民党と民主党が推薦し、公明党なども支持。市議会議員もほとんどすべてが相手方につき、職員組合も向こうを応援せざるを得ませんでした。

―自民党に政権交代した直後だったため、大物政治家も相手方の応援に次々とやって来て……。


山中 自民党の幹事長になったばかりの石破茂(いしば・しげる)氏をはじめ、現役や前職の大臣たちが応援演説に来ました。一市長をどれだけ潰したいのかって思いましたよ。

―地方都市の市長選にしては異様な感じがします。

山中 事実無根の怪文書もいろいろと流されましたよ。「市役所職員の愛人宅から出てくる山中市長」とコメントされた動画がYouTubeにアップされたり、暴力団関係者と宴会しているという写真が捏造(ねつぞう)されたり。どう見ても、横に写っていたのはただのおじいちゃんでしたけど(苦笑)。


―対する山中市長はどのような選挙戦を展開したんですか?

山中 私は最初から「選挙活動はしない」と宣言し、選挙期間中も市役所で仕事をしていました。代わりに支援してくれる市民団体が選挙事務所を立ち上げ、ポスターも一枚一枚手書きで作ってくれたんです。負ける気はしませんでした。私は1期目の4年間、仕事自体は少なくとも市民のために、できることを精いっぱいやってきた自信はあったので。あとは私を選ぶかどうか、市民の責任ですよと。

―結果、約8000票の大差をつけて、無所属の山中市長が再選を決めました。
ある意味で、“市民派”の勝利と言えたのでは?

山中 市民が責任を果たしてくれました。これまで、市民と職員が一体となり、ともに汗を流しながら改革を進めてきました。市民にとっては“市民革命”を実現したという感覚があると思います。


―松阪市は山中市長が立つまで、過去40年間で3回しか市長選が行なわれていなかったとか。

山中 そうなんです。松阪市はゼネコンや教職員組合をはじめとした労働組合が大きな影響力を持つ土地で、投票が行なわれた3回の市長選も、結果が見えている談合選挙のようなものでした。
要するに、市民がないがしろにされていたんです。政治の世界ではよく「義理と人情」という言葉が使われるんですが、それは税金を払う市民に対してではなく、ゼネコンや支援団体に対するものなんです。

当時、私は民主党の三重県議会議員でしたが、そのことにずっと異を唱えていました。市長選に出馬する際は、それまで私を買ってくれていた岡田克也さんに「民主党が世話してやってたんだろ。将来は衆議院議員にと期待してるんだから」などと散々説得され、しまいにはあきれた表情で「その程度の政治家だったんだな」と言われてしまいましたが(笑)。

―それにしても、知名度も地盤もないなかで当選したのはすごい。


山中 ただ、今回選んでいただけましたけど、だからといって私自身の価値観が正しいというワケじゃない。これまでの行政は事業方針などを出して一方的に説明して、ある意味で市民を丸め込んでいたんです。それが良い悪いではなくて、世の中には多様な価値観があるのに、行政の言いなりでいいのかと思うんですよ。だから、市民にも発言してもらって、自分たちの立ち位置のなかで役割と責任を持ってもらおうと。今の社会環境のなかで、自分で決めて、考えて行動する幸せがある。それを、市民と一緒に作り上げていきたい。


―その言葉どおり、就任して以来、山中市長は市民との対話に重点を置いていますよね。

山中 市民との意見交換会やワークショップを毎日のように開き、土日もシンポジウムや懇談会で飛び回っていたので、大げさではなく、就任3年目までは一日も休みませんでした。対立軸でやっていても意味がないですし、みんなで思いを共有しないと。

―自分たちの生活は、自分たちで決めて有意義に暮らすべきだと。

山中 そこで始めたのが、市政全般に関わる重要案件を議論する「シンポジウムシステム」。代表者のみが討論するのではなく、市民それぞれに意見をぶつけ合ってもらうんです。例えば市民病院に高額なCTを導入するかについての意見聴取会には200人を超える市民が参加し、長時間議論し合いました。すると最低限の合意を得て高性能CTを導入する方向性が決まった上、当時累積赤字が77億円を超えていた病院に対する市民の不信感が運営サイドに伝わり、医療サービスも改善されました。導入された先端医療機器による診断と治療の実施で病床の利用率も大幅に上昇し、ここ3年の収支は単年度黒字に転換しています。


―もうひとつ、住民が地域マネジメントを自分たちで行なう「住民協議会」を全域で整備しました。

山中 小学校区ごとに立ち上げ、政策コンペも実施します。各会の責任で提案された地域活性化のアイデアを審査し、順位づけして、最高25万円の交付金を与えるようにしました。最近では中高齢者の婚活事業を実施したり、嬉野(うれしの)大根という地域野菜をブランド化するため、料理コンテストを開いたり。

―市民を巻き込みながらの政策は素晴らしいですが、かなり労力と時間がいりそうです。

山中 現場に応じてカタチを変えていくときには、いろいろな議論が起こります。被災地のがれきの受け入れについてもシンポジウムを開いたんですけど、反対派と賛成派で大激論になりました。でも、価値観の対立を恐れてはいけない。八方美人でいるのは全然解決にならない。多くの自治体が何も変わらない理由って、保身が入ってぶつかり合いを恐れるからなんですよ。国にも、異なる意見を戦わせる度量を持ってほしいですね。

―でも、トップダウンで決めるほうが楽じゃないですか?

山中 「職員の給料をカットします」とか「改革します」とか言うのは簡単なんです。けど、言うだけなら誰でもできる。大阪市の橋下徹市長は「道州制」や「都構想」をぶちあげていますが、私は正直に言って意味がわからない。名古屋市の河村たかし市長も減税を言い続けているものの、借金はドンドン増えていっている。両市長とも市民と地道にコミュニケーションを取り、ひとつひとつ制度を積み上げているとは思えないんです。結局、ふたりとも市長ではなく、政治屋なんですよね。

■学生時代は歌舞伎町のスゴ腕スカウトだった

―山中市長は次世代のリーダーとして期待されていますが、政治の世界に入ったキッカケは?

山中 小4のときにアフリカ難民のビデオを見せられて、そこから「自分は地球の裏側の人たちのために生きていくんだ」って思い込むようになったんです。 私はもともと弱い人間で、食べることも好きですし、エロいことも好きですし、遊びたかったりもしますし、本当に欲望にまみれた人間なんです。すぐに目先の誘惑に溺れそうになってしまうので、明確な目的意識がなければ、たぶんここまで生きてこられなかったと思うんです。だから、偽善者でもいいから、「地球の裏側の、一番痛みの大きい立場の人たちに寄り添っていこう」と。そのためのプロセスとして、慶應義塾大学時代は外交官を目指していました。


―その大学時代は、歌舞伎町でキャバクラのスカウトをされていたんですよね?

山中 お恥ずかしい話、学費を稼ぐためにお金が必要だったんです。ただ、あの頃はすごい生活をしていましたよ。朝から大学に行って、夕方から21時くらいまで公務員セミナーで勉強。そのあと、歌舞伎町で仕事をして、朝方は3時間くらいコンビニのイートインコーナーで勉強していました。睡眠時間は一日2、3時間程度。体重も今より20kgくらい痩せていて、当時は本当にストイックでしたね。

―その後、外交官試験の学科試験は合格するものの、群馬大学医学部に編入。卒業後は松下政経塾に入り、医師として南アフリカやケニアに渡りました。

山中 想像していた“地球の裏側”に実際に行き、スラム街でしばらく生活したんですが、アフリカにはアフリカの価値観があるんだなって感じました。孤児で、エイズに感染していて、売春もしてるけど、ちゃんとそこにも幸せがある。一方で、日本人は恵まれた環境にありながら、不安だったり苦しかったりする。生まれてきた自分の環境は変わらないのだから、今、生きている環境を人間は受け入れなくてはならない。

―現在の「市民とともに考える」山中市長のスタイルは、このアフリカでの経験がベースになっているそうですね。

山中 現場のなかで本当に必要なものは何か、みんなでコミュニケーションを取って、責任を共有しないと何も残らないですから。

―市長2期目はまだ始まったばかりですが、任期を終えた後は何をしようと思っていますか?

山中 市長選にはもう出ません。政治の世界へのこだわりが、まったくありません。“永遠の偽善者”として、地球の裏側の問題まで考え続けていきたいと思っています。ただ、総理大臣や大臣を任せてもらえるのなら、すぐにでも国は改革できるし、1年以内に結果を出す自信もありますけどね(笑)。

(取材・文/高篠友一 撮影/井上太郎)

●山中光茂(やまなか・みつしげ)


1976年生まれ、三重県松阪市出身。慶應義塾大学、群馬大学医学部を卒業。その後、医師としてアフリカでエイズ対策活動に従事。2009年に松阪市長に当選し、今年1月、再選を果たす。2010年に第5回マニフェスト大賞(首長の部)でグランプリを受賞。著書に『巻き込み型リーダーの改革』(日経BP社)

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