現在、ネット上を中心にひそかに話題を集めるマンガがある。その名は『中国のヤバい正体』。
タイトルからもわかるように、現代中国の社会問題を正面からえぐり出す「政治系」のマンガだ。

だが、作者の身辺で起きた問題が多数取り上げられているため、エッセーマンガのような面白さもある。それもそのはず。作者の孫向文(そん・こうぶん)氏は、中国浙江(せっこう)省の出身。正真正銘の中国人なのである。

しかも彼は、学生時代から日本のマンガやゲームにハマり、ついには日本でのマンガ家デビューを夢見るようになった変わり種。
過去には日本の某マンガ誌にラブコメ作品を投稿して新人賞を受賞したこともある。しかつめらしい政治的主張とは縁もゆかりもなさそうな、生粋のオタクなのだ。

昨今の中国は、親日的・反政府的な言論に対する弾圧を進めている。今年7月には、在日中国人学者の朱建栄(しゅけんえい)氏をはじめ、「親日派」と目された言論人を当局が次々と拘束。また、中国司法当局は9月、微博(ウェイボー)(中国版ツイッター)上で「デマ情報(当局に不都合な情報)」を拡散させたユーザーに最大3年の禁錮(きんこ)を科すと発表し、実際に検挙者も出ている。

本書の存在が当局の耳に入れば、孫氏は監視や拘束を受けても不思議ではないはず。
オタクの世界に生きる青年マンガ家が、なぜこんな作品を発表したのか? 存分に語ってもらった。

■ラブコメを愛する中国青年が“巨人”に立ち向かう

―かわいらしい絵柄ですが、内容は反日デモへの当局関係者の関与を指摘するなど、中国のタブーに踏み込むハードなもの。描くのは怖くなかったのでしょうか?

孫 最初はためらいましたよ。そもそも、僕の夢はラブコメマンガ家になることですから。でも、母国では言論統制のせいで、エッチな描写はもちろん、普通の学園ラブコメすら自由に描けない。そんな現状に反発していたところ、編集者の方から今回の企画を打診され、「これもチャンスだから思い切って描いてやろう」と。


―以前から中国政府への批判的な気持ちは強かったんですか?

孫 2008年頃、まだ中国で閲覧規制(*1)を受ける前のYouTubeで天安門事件(*2)の動画を見たんです。事件当時の僕は子供で、おぼろげな記憶しかなかったんですが、動画を見て「これが真相なのか!」と。政府に不信感を持ったのはそれからです。

(*1)閲覧規制……中国国内ではフェイスブックやツイッターなど、共産党体制への批判的な情報に触れられるサイトへのアクセスが遮断されている。YouTubeも2009年3月から見られなくなった

(*2)天安門事件……1989年6月、民主化を要求した北京市民や学生のデモ隊を中国人民解放軍が武力鎮圧した事件。数千人の犠牲者が出たとされ、現代の中国国内ではタブー視されている


―でも、実際に中国で話を聞くと「リスクを負ってまで国の体制を批判したくない」という若者も多いようです。
孫さんはなぜ、ほかの人よりも危険な場所への一歩を踏み出したんですか?

孫 『進撃の巨人』(*3)の存在が大きかったと思います。主人公のエレンは、人類の自由を束縛する巨人を相手にあくまでも立ち向かう。それがすごくカッコよくて、勇気づけられたんです。

(*3)進撃の巨人……2009年から『別冊少年マガジン』(講談社)で連載中。人間を捕食する巨人と、それに立ち向かう人類との戦いを描く

―『進撃の巨人』は中国のネット上でも話題ですね。圧倒的な力で人間を食い荒らす巨人や、強固な壁の内側で事なかれ主義的に生きる庶民の姿に、抑圧的な共産党政府と中国国民のイメージを投影する声もあります。


孫 そのとおりです。アニメ版のオープニングテーマの歌詞に「家畜の安寧(あんねい) 虚偽の繁栄」っていう一節があるんですが、まさに現代の中国のことじゃないですか? 僕は作中の「調査兵団」みたいに、あくまでも“巨人”に屈服しない道を選びたいと思ったんです。

―母国で執筆したそうですが、ご両親はどう言っていますか?

孫 心配をかけたくないので両親にはナイショです。ネームや原稿用紙も家族の目に触れないよう気をつけて執筆しました。「ずっと部屋に引きこもって、あなたはニートなの?」と、母から小言を言われたりもしました。別のペンネームで日本や中国のマンガ誌に寄稿もしていて、収入はちゃんとあるはずなんですけどね(笑)。




インタビューの多くは日本語だった。語学力のみならず、日本のサブカルチャーへの造詣も感じさせる孫氏。その秘密に迫る。



孫 僕の日本語は日本のマンガやゲームで覚えましたね。大学時代に少しだけ日本語の授業に出ましたが、進度が遅いのでやめました。当時はすでに「おにいちゃんのいぢわるー!」みたいな表現まで知っていましたし、学校で勉強しなくてもいいかなって。

―すごいですね。具体的には、どういう作品が好きでしたか?

孫 やっぱりラブコメ。『電影少女』にはハマりましたね。ゲームも『Kanon(カノン)』や『ときメモ』など恋愛AVG(アドベンチヤーゲーム)が好きでした(笑)。


―中国人が日本語のAVGをプレイするのは大変そうですね。

孫 だから必死で日本語を覚えたんです。選択肢を間違えたら、お気に入りの女のコを彼女にできないですから! あと、字幕に合わせて声優さんの音声があるからリスニングも伸びる! 特に『サクラ大戦』は選択肢を10秒くらいで選ばないとストーリーが勝手に進むので、いい修業になりました。

―日本的なマンガの描き方はどうやって習得したんですか?

孫 中国でも出版されている、菅野博之(かんのひろし)さんや樹崎聖(きさきたかし)さんのマンガの描き方マニュアルで独学しました。2005年前後から「孫向文」とは別名義で日本の出版社の新人賞に投稿を続けています。中国のマンガ誌にも寄稿していますが……。

―孫さんのマンガには、中国国内の出版社が、CLAMP(クランプ)など日本のマンガ家の作品をトレースしたパクリ作品の制作を作家に強制する描写がありました。

孫 腹立たしいですが、そうです。でも、カメラワークや効果線の描き方など、結果的に自分が身につけた技術も少なくない。パクリ文化と規制の多さで、中国ではあまりマンガを描きたくないですけどね。

―今後は日本で描きたい。

孫 はい。だって、日本のマンガ文化は世界一ですから。日本のプロ野球の選手が大リーグに挑戦するように、僕も世界一の国で活躍できるマンガ家になりたいんです。

―政治的なマンガで、ですか?

孫 いえいえ。僕が描きたいのはあくまで、すごく萌えるエッチなラブコメ作品です。日本で大人気になって、中国で海賊版を出されるくらいの作品を残したいです(笑)。



『中国のヤバい正体』は、食の安全や住宅問題など中国のさまざまなタブーに切り込んでいる。どうやって取材したのか。



孫 多くは自分自身や友人たちの実体験です。あとは香港や台湾の報道がソース。日本の報道よりも、現地の体験や華人系メディアが取材したもののほうが中国の実態に迫った情報が多いと感じます。

―中国政府に対して、孫さんのお友達はどう見ていますか?

孫 党の関係者以外、中国人はみんな共産党が大嫌いですよ。このマンガのトーン貼りを手伝ってくれた親友もいます。摘発のリスクがあるので、マンガを彼に献本できないのが残念ですね。

―刊行後の反応は?

孫 当然ですが、中国ではほぼ反応ナシでした(笑)。日本では、日中友好系の立場の方から「こんなマンガを描くな」というお手紙が来ましたが、あとは好意的です。週刊誌など複数の媒体で中国マンガの依頼もいただきました。

―おめでとうございます。でも、そのなかには在日外国人への警戒心を煽る過激な論調の雑誌もありますよ。日本で暮らす中国人として、「ネット右翼」的な媒体への違和感はありませんか?

孫 えっ、そうなんですか? 誌面を見たけど、イラストだけ見て記事をあまり読まなかったんですよ。でも、現時点ではとにかく仕事を多くこなすほうが大切だと思っています。

―将来のラブコメ大作のため、まずはいろいろやってみると。

孫 ハイ、そうです! いつか、集英社のマンガ誌で連載……できるようになるのが夢ですね!(笑)

(構成/安田峰俊)

●孫向文(そん・こうぶん)


30歳、中国浙江省出身。幼い頃から日本のマンガやゲームにハマり、20代でマンガ家を志す。当局から身元を隠すためメディア出演の際はガッチリ変装する

■『中国のヤバい正体』


危険すぎる食品の実態、規制だらけの表現、人が住めない環境……などなど巨大国家・中国の暗部を同国で生まれ育った著者が赤裸々に語ったコミック作品(大洋図書/1103円)

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