ちなみに、橋本版の『セーラー服と機関銃』は、赤川次郎著の『卒業-セーラー服と機関銃・その後』が原作となっており、薬師丸版の原作の続編にあたる。とはいっても、両作とも、原作と映画はストーリー展開が違っており、直接繋がる要素は乏しい。が、このシリーズの大体の流れを知りたいならば、橋本版を観に行く前に、確認しても良いかもしれない。
続けて、しょうもないことに言及するが、劇中で薬師丸が持っている銃は、通称「グリースガン」と呼ばれる、「M3サブマシンガン」なので、正確には「セーラー服と短機関銃」の方が正しい。実際の機関銃はサブマシンガンのように拳銃弾を発射するものではなく、ライフル弾やもっと大きな弾丸を使用するので、大型だ。
内容についてだが、会った事もない血縁者の死により、突然、泉がヤクザの組長になって奮闘するというものだ。「おもしろいの?」と聞かれれば、多くの人が「うーん、薬師丸ひろ子が可愛いかな」と返すような作品である。内容がない訳ではないが、ストーリーの面で期待しすぎると、肩透かしを食らう作品かもしれない。
とはいっても、演出面では、アイドル映画とは思えない斬新なショットなどもあるので、薬師丸以外に見所がないのかといえばそうではない。それらの要素を感じさせないほど、薬師丸の印象が強烈すぎるのだ。今でこそ母親役などが多い薬師丸だが、当時はそれこそ美少女で話題だった。その影響力はすさまじく、角川映画がそれまでの予算をつぎ込んだ大作路線の他に、アイドルを中心とした青春映画に力を入れるきっかけを作った作品でもある。
普通の女子高生が、ひょんなことからヤクザの組長に担ぎ上げられてしまうという構図は、一種の異世界ファンタジー要素であり、現在のライトノベルに近いものがあるかもしれない。作品内容に、アイドルという、強烈に記号化されたキャラクター性が合致しており、それだけでこの作品を魅力あるものとしている。
ただ、コメディー的な要素は前半部に集中しており、単純に“可愛い”キャラクターを愛でることで終わっていないのがこの作品の特徴だ。大人達の勝手な都合で、泉は過酷な使命を背負わされる。
普通の女子高生のはずなのに、クレーン車で吊られて、セメント漬けにされる、責め苦を受けたり、誘拐されて十字架に括りつけられたりと、ショッキングなシーンの数々は、全て終盤のサブマシンガン乱射の爽快感に繋がっていく。溜めに溜めて、最後にスローモーションで銃を乱射するシーンはまさに「カ・イ・カ・ン」だ。
あと、この作品を語る上で欠かせないのが、相米慎二監督のロングショットでの長回し演出だ。重要な会話シーンなどをロングショットの長回しで映しており、普通に撮るだけならば、ただのロングショットになってしまうところを、無駄なカット割を挟んだシーンよりも、キャラが活き活きとしている雰囲気にしてしまうのが不思議な感じだ。
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)