歌川広重『東海道五十三次』より「日本橋」
まぁそういった声はさておいて、江戸時代の人には、「アレが見つからない!」というストレスがほとんどなかったと考えられます。なんでだと思いますか?それは、火事がとてつもなく多かったことが原因なのです。空気が乾燥して風も強い冬の年末~2月に、江戸の大火は集中していました。
江戸時代にそんなに火事が多かったのは、木造であったことと、江戸が密集地だったからが原因としてあげられています。江戸で最も大きな火事は、明暦3年(1657年)1月18日午後2時から2日間にわたって燃え続けたという「明暦の大火」です。2日間燃え続けたというから、相当火は広がったことは容易に想像できますが、実際に歌舞伎の中村座や湯島天神、遊郭の吉原など至るところが燃えて、死者10万人以上だったとか。この明暦の大火で亡くなった人々を供養するために作られたのが、墨田区にある回向院なのです。
戸火事図巻 田代幸春画
そんなこんなで、いつ火事があってもすぐに逃げられるよう、江戸時代の人々は荷物を最小限にしていたんですね。
火事がそんなに何度もあったら、私だったら心が折れてしまいそうですが、江戸時代の人々はそんなことを言ってもいられなかったのでしょう。そもそも「心が折れる」なんてネガティブワードは、なかったですものね。
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