しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。
芸人・有吉弘行の才能は、説明するまでもなく、すでにテレビで十分に開花しているように見える。
だが、そんな鮮やかでマジカルな変身譚が、事実であるはずはない。芸人が才能を開花させるためには、必ず適切なフィールドを必要とする。どんなに能力があっても、それを発揮させてくれる場がなければ、世に知られぬまま終わる。
あらめてそんなことを考えたのは、彼のラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系 日曜20:00~21:55)こそが、有吉の才能を最大限に引き出すことのできる究極のフィールドであると感じているからだ。この番組を聴いた者は必ず、テレビにおける有吉の面白さには、まだ先も奥も果てしなく存在していると知ることになる。
普通に考えれば、お洒落イメージの強いFMラジオというのは、純粋な笑いを志す芸人にとってあまり良いフィールドではないかもしれない。ましてこの番組は、JFN系列の番組ではあるが、その中心であるTOKYO FMでは放送されていないのである。
番組は有吉のフリートークとリスナー(この番組では愛を込めて「ゲスナー」と呼ばれる)からのメール、そしてネタコーナーというオーソドックスな構成になっているが、番組の自由すぎる空気を作り出しているのは間違いなく、有吉の思いつき次第でどこへ飛んでいくかわからない変幻自在のフリートークである。『24時間テレビ』(日本テレビ系)の裏で、番組冒頭からロクにやったこともない加山雄三のモノマネで「サライ」の一番を朗々と歌い切る。アシスタントの若手芸人には単なる思いつきで足の角質を一週間分集めてこさせた上、名前が悪いと言いがかりをつけて突如「イノシシ太郎」に改名させる。『キングオブコント』決勝進出を決めた前途有望な若手を呼びつけて、最下位になるよう呪いを掛けるなど、なんの意味もない、誰も得しない思いつきを暴君のごとく連発していくという完全なフリースタイルは、もちろんそれだけでは終わらない。
リスナーからのメールは「おい有吉!」から始まるのがいつしか当たり前になり、ネタコーナーには、ゲストに来たふかわりょうが「同じ無法地帯でも2ちゃんのほうがまだいい」と嘆くほどに行きすぎた芸能人イジリが殺到、一方で後輩芸人も単に有吉に従うだけでなく、時に調子づいた有吉をスカして巧みに泳がせ、機を見て果敢に反論を試みては見事な返り討ちに遭う。そうやって番組を構成するすべての要素が先鋭化し、それらが入り交じって渦をなすことで、有吉の独裁政権下にありながら遠慮無用の無礼講状態であるという、高度な矛盾を孕んだ笑いのカオス=磁場が完成しているのである。
だがそんな強力な磁場は、決して偶然の産物ではない。ラジオにおいて優秀な投稿者やアシスタントを育てることは重要であると同時に非常に難しいことだが、有吉はかつての戦国武将のように自ら鬨の声(この番組の場合「奇声」)を上げ、先陣を切って「ここまでやっていいんだ」と限界を取り払ってみせることで、リスナーやアシスタントが存分にその能力を発揮できる自由で柔軟なフィールドを、地方のFMラジオというアウェイの地に構築してみせた。
(文=井上智公<<a href="http://arsenal4.blog65.fc2.com/"target="_blank">http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)
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