中山秀征について、多くの人はあまり深くは考えない。考える必要がないからである。

我々視聴者にも日々の生活があり、暮らしがあり、中山秀征について考えるよりも優先される事柄は山のようにある。だから私たちは、中山秀征についてあまり深く考えようとしないわけだが、それでもふとした瞬間にテレビをつけて気付き、驚くことになる。中山秀征の立ち位置は、数年前と寸分たりとも変わっていない。2015年2月現在もなお、中山秀征は“大物”タレントとしてテレビの中にいる。

 もちろん、出演番組の変化はある。特に中山秀征の場合は2005年10月にスタートした『ラジかる!!』(日本テレビ系)から11年3月に終了した『DON!』(同)まで長く帯番組の司会を務めており、当時と比べれば現在はさまざまな番組へのゲスト出演も多い。
だが、どんな番組においても、中山秀征は中山秀征として扱われる。ブレークするわけでもなく、あの人はいま的なポジションに陥ることもない。多くの変化が日々訪れるテレビの世界において、中山秀征だけが揺るぎなく、不動の位置にいる。

 中山秀征の職業が、芸人や俳優なのであればまだ分かる。それらは目に見えやすい結果や実績が形となる職業であり、言わば替えのきかないポジションだからだ。しかし中山秀征の職業は、少なくとも視聴者から見たときには、あくまでもタレントだ。
いくらだって替わりがいるのではないかと思いがちだが、しかし事実としてそうなってはいない。それではなぜ、中山秀征だけが特別なのか? 一体なぜ、中山秀征はいまだに“大物”タレントとしてテレビから求められているのだろうか?

 その答えの一つが2月13日に放送された『ネプ&イモトの世界番付』(日本テレビ系)に隠されているわけだが、その前に、同月17日に放送された『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学』(朝日放送)を紹介したい。この日の番組は3時間スペシャルということもあり、番組冒頭から始まったVTRは実に36分以上も続く。中山秀征をはじめとするスタジオゲストはつまり、番組開始から36分間は延々VTRのワイプの中でのみの出演となる。ゲスト出演者としては、かなり結果を残すのが難しい状況であることは間違いない。

 しかもそのVTRは、50歳代の一般女性2人が、血管が若返るとされている酸性泉でどれだけ血糖値が下がるかを検証するというもの。
なかなかに、リアクションが難しいお題である。だが中山秀征は、事実、結果を残す。番組開始から36分を過ぎて初めてスタジオに降りて、メインMCであるビートたけしに続いて口を開いたのは中山秀征であった。彼はこう言った。

「テレビ界、初じゃないですか? 知らない奥さま2人の旅」

 この一言で、中山秀征のこの日の仕事は8割がた終わったと言っても過言ではないだろう。中山秀征はゲストでありながら、この一言で番組の取扱説明書を呈示している。
そして明らかにそれは、スタジオゲストに求められている役割でもある。これほどVTRの多い番組でスタジオに求められているのはプラス要素ではなく、むしろVTRと視聴者をつなぐ橋渡し的な部分だ。そして事実、それを行ったのは、中山秀征その人である。本人がどこまでそれを意識しているかはさておき、少なくとも中山秀征が重要な仕事を行ったというのは紛れもない事実だ。

 中山秀征はなぜ“大物”で居続けられるのか? その答えはここですでに出ている。中山秀征が“大物”にふさわしい仕事をしているからだ。
メインMCかゲスト出演者かどうかは関係なく、その立場において中山秀征は“大物”に求められる仕事をしている。それでは“大物”に求められる仕事とは何か? それはつまり、番組としてのある種の決まり事を視聴者に解説する、あるいはその決まり事を呈示するということにほかならない。

 2月13日に放送された『ネプ&イモトの世界番付』は、通常放送とは異なりクイズスペシャルと題して放送された。冒頭のコーナーは、○○な国1位、というヒントが4つ出されて各チームが早押しでどの国かを回答するというもの。ここでもゲスト出演者である中山秀征が、番組としての流れを作っている。数問のクイズに対して、中山秀征がどう回答したかは以下の通りだ。


「ロシア」(→不正解)
「中国」(→正解)
「インド」(→不正解)
「インド」(→不正解)

 番組開始からおよそ8分しかたっていないが、我々視聴者はすでに中山秀征が張り巡らせた罠の中にいる。お気づきだろうか? 重要なのは「インド」の2つの不正解だ。この二度目の「インド」で不正解となった際に、メインMCである名倉潤は「何回インド言うねん!」と突っ込んでいる。当然そうなるだろう。それに対して中山秀征と同じチームのハライチ澤部佑は「インドに懸けてるんです、我々!」と返す。中山秀征はだめ押しのように「次(の問題は)インドください」と要求する。そしてそこから先の展開は、言わずもがなだろう。

 二度の「インド」で不正解した後、次の問題で、果たして正解は「インド」だ。しかし、それを答えるのは敵のチームである。中山秀征が作った「インド」の流れは、すなわち番組としての決まり事は、これによって完成する。

 確かにこの流れに新しさはない。似たような景色を、我々は何度もテレビで体験している。しかしこれが、これこそが、中山秀征の真骨頂だ。テレビという非日常において中山秀征は延々と、淡々と、そして極めて巧妙に、日常を創出し続けている。いわば中山秀征とは、テレビの中から、テレビの楽しみ方を視聴者に分かりやすく伝えるという、そういった存在だと言ってもいい。

 中山秀征が目指すものは、今あるものの破壊ではなく、繰り返される楽しい日常の創造である。イノベーションではない。だが、ウェルメイドなテレビの作法を中山秀征は守り、その枠組みを越えずに番組としての決まり事を呈示する。気が遠くなるようなその作業を、表情ひとつ変えずに続けられる人物はそうはいない。そして中山秀征とは、確かにそういった人物の一人であり、だからこそ中山秀征は、今でもなお“大物”としてテレビから求められ続けているのだ。

【検証結果】
 かつて、中山秀征が批判される時代があった。それはいわゆる「タレント」に対しての批判そのものであり、テレビ自体がイノベーションを求めていた時代の要請だともいえるだろう。だが、時はたつ。その頃を振り返って当事者たちが懐かしむほどに、それはもう昔の話になった。どちらが良いとか悪いとかではなく、あの頃はあの頃であり、今は今だ。驚くべきことに、中山秀征は当時と一切変わることがない。中山秀征だけが、あの日からずっとただ一人、中山秀征を続けている。
(文=相沢直)