プロの作家になりたい人、この指とーまーれ。
と言って手を挙げた人をよく見たら、なんと大沢在昌だったよ!
小説家としてデビューを目指す人のためのハウツー本、新人賞の獲り方を教える本ならばたくさんあるが、「親分」こと大沢在昌の教えは一味違う。
『小説講座売れる作家の全技術』は、「デビューだけで満足してはいけない」という副題が物語るように、デビュー後に小説家として一生飯を食っていくことを目標とした本なのである。「プロととして生き残ることの厳しさ」について、本の中では何度も強調されている。ちょっと抜粋してみよう(太字強調は引用者)。
ーー一旦プロデビューしてしまえば、「入れる」よりも「出す」ほうが忙しくなりますから、本を読む数はどうしても減っていきます。一方で、今この瞬間、皆さんのようにプロを目指して一生懸命本を読んでいる人たちがいる。書く時間よりも読む時間をはるかに多く持ち、どんどん読んで、どんどん引き出しを増やして、アイデアを膨らましている人がいるわけです。
結局、早くデビューして運がよかったのではなく、プロになって足りないことに気づいて運が悪かったということになってしまいます。
おお。
ーーあの宮部みゆきさんですら、「今度の本、売れないから」と言いますよ。そう思うことで、今書いている作品をより良くしようという気持ちを奮い立たせているんですね。自分はもう安全だ、適当に書いても一生本が売れるんだと思った瞬間から、その作家は落ちていきます。
おおお。

ーーさらに、「元Jリーガー」や「元プロ野球選手」はあっても、「元作家」という肩書きはありません。現役以外は「作家」とは呼ばないからです。仕事をしている間は作家と呼ばれるけど、仕事をしなくなったら、「元作家」ではなく「ただの人」です。いないのと同じ、存在が消えてなくなるだけです。
おおおお。
やめて、もう勘弁して、という声がどこからともなく聞こえてきたのでこの辺にしておく。
ここまで言い切れるのは、大沢自身が不遇時代を体験し、それでもめげずに30年以上の長きにわたって作家として生き抜いてきたという自負があるからだろう。

もちろん本書は「心構え」だけの本ではない。それどころか、よくぞここまで丁寧に教えた、というぐらい親切な技術論が開示されているのである。いわば「小説術のオープンリソース化」だ。世に多くあるカルチャーセンターの小説講座は、これから本書を教科書として受講者に手渡すべきである。
大沢の技術論は、まず視点を統一することから出発している。
小説世界を映像としてスクリーンに映し出すためのカメラとして視点を捉え、それをぶれないようにさせるためにはどうしたらいいか、一目見ただけではわからないような細部まで無矛盾で書ききるにはどうしたらいいかを説くのである。そのために推奨するのが「一人称の書き方を習得する」ことだ(第2回)。次に小説のストーリーを支え、読者の興味を引き付け続けるための伴走者としての「強いキャラクターの作り方」(第3回)を教える。第4回が「会話文の秘密」なのは、登場人物が読者に情報を開陳する主要な手段が「会話」だからだろう。そこまでが小説の世界観を下支えする基礎工事の部分、第5回で初めて「プロットの作り方」を教えて、物語の骨格の組み方に論は入っていく。
第6回の「小説には「トゲ」が必要だ」(トゲはフックとも言う。
読者の心をつなぎとめるために必要な、作品としての特徴)、第7回の「文章と描写を磨け」(語り口そのものの魅力)は、借り物ではなくて自分自身のものとして作品を書くための技術と言うことができる。第8回の「長編に挑む」で短編にはない長編の書き方を教え、第9回の「強い感情の描き方」、第10回の「デビュー後にどう生き残るか」で講座はまとめに入る。

作家志望者にとってはありがたいことに、大沢は本書の中でかなり手の内を明かしている。たとえば「会話文の秘密」で重要性が強調されている「隠す会話」である。
ーーAとBが会話をしているとします。Aには秘密があるのですが、ここで「秘密がある」と書いてしまっては小説が成立しませんから、作者はそこをうまく隠さなければならない。
その方法が「隠す会話」です。Aが何か秘密を持っていることを読者にわからせるかどうかは、AとBの会話のやり取りを演出することによってコントロールすることが可能です。
この技術について、いくつかの例によって書き方が示されるのである。
それ以外にも「物語をひねる」「謎は2回解く」といった、現役の作家ならではの皮膚感覚の教えが多い。しかも特に重要な個所は赤字で強調までしてあるのである。受験参考書かよ。試験に出るのかよ! どこまで親切なんだか。
百取材して使えるのは四十以下、あるいは使いたくても四十以上は使わない
「(主人公には)簡単に目標を達成させてあげないこと
自分の中のイメージを一生懸命言語化しようとして流されていったとき、書き手は得てして論理性を欠いた文章を書いてしまう
そのシーンで一番大事なものは何なのか、描写の濃淡で差をつけてみてください
わはははは。なるほどなるほど。もっともと思うようなことばかりである。ほかにもいろいろあるのだが、後は本を買って読んだ人だけのお楽しみということで。

書くのが遅れたが、本書は雑誌「野性時代」連載が元になっている。小説家デビューを目指す12人の書き手が受講生となり、大沢が教室形式で講師を務める形で講座は始められた(ちなみに連載当初は〈第1回講師・大沢在昌〉という紹介のされ方をしていたが、後のほうでは無くなっている。もともとは大沢に続けて他の講師を起用し、講座連載を雑誌の定番化したいという意図があったらしい)。講座が開かれた1年間、受講生には定期的に短編執筆が課せられていた。むろん、課題をサボれば即除籍である。ちなみに第1部の第9回が「強い感情の描き方」という題名なのに内容がそうなっていないのは、「恐怖の感情を描く」という課題が出されて、それの講評が主になっていたからだ。課題作の梗概とそれに対する大沢の講評は第2部にまとめられており、第1部で語られた内容が具体例として示されるので、読めばより理解が進むはずである。
ベストセラー作家から直接教えを受けるという機会はそうそう簡単に与えられるものではないだろう。受講生たちは得がたい体験をしたものだ。だが、講座参加は楽しいだけのものではなかったはずである。第2部の講評を読むとわかるが、大沢の講義は一切の甘えを許さないものだった。作家として生き続けることの厳しさをつきつけられ、自分には無理だと筆を折りたくなったとしても不思議ではない。講義が最終段階に近づいたとき、大沢はこんなことも言っているのである。

ーー何かを思いつけるというのは「才能」です。その思いついたものを最良の形で小説に仕上げていくのが技術です。(中略)でも、アイデアを生む「才能」は教えられない。そして、アイデアが出せなければ、作家になる才能がないということなんです。(中略)「いや、私にできないはずはない。どうしても作家になるんだ」と思うのであれば、歯をくいしばってでも、これまで誰も書いたことのない話をひねり出してください。それをストーリーにする技術は教えました。これから皆さんがしなければいけないのは、とにかく頭をひねること。それに尽きると思います。

1年近く講義を受けてきて最後の最後にこれですよ!
だが、これは本当のことだ。「技術」は教えることができても「才能」はそうはいかない。その当たり前のことを実感したとき、人ははじめて夢物語ではなく現実のものとして乗り越えるべき壁を認識することができる。その覚悟のために、この本は書かれたといってもいいのである。
(杉江松恋)