万感の思いで読んだ。
ヤングエース2013年7月号。
この号を忘れない。
95年に連載がはじまった漫画版「新世紀エヴァンゲリオン」がついに完結したのだ。

エヴァといえば、いまやすっかり「エヴァンゲリオン」じゃなくて「ヱヴァンゲリヲン」のことになってしまった中で、貞本義行は、ただひとり「エヴァンゲリオン」を描き続けてきた。
95年、10月テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の放送開始にあたり、前年創刊した角川書店「月刊少年エース」のメディアミックス企画として連載されることになった漫画版は、アニメに先行した95年2月号からはじまった。

セカンドインパクトという大災害が起こった地球に襲来する謎の存在・使徒。少年少女が人型兵器・エヴァンゲリオンに乗り込んで使徒と闘うというストーリーや設定の魅力もさることながら、アニメのキャラクターデザインを手がけた貞本義行が描く、包帯と眼帯の少女・綾波レイは強い求心力となる。
同じ頃、美少女モデルとして鮮烈に登場した栗山千明を綾波のイメージで撮ったグラビアなんかも初期には載っていたなあ、と遠い目。

貞本エヴァは、テレビシリーズが終わり、劇場版が公開され、エヴァスタッフが実写や新作アニメを手がけるようになっても、ヱヴァンゲリヲン新劇場版がはじまっても、序破急の急がQになっても、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」にまたまた変化して、それがいつ公開なのかまだ発表されてなくても、掲載誌が「ヤングエース」に変わっても(2009年)、時々休載しながら、18年間、コツコツと連載は続いてきた。
ついに訪れたLAST STAGEは、その数回前でスペクタルが起こり(これがすごい)、すべてが終結したあとのエピローグ。ケレン味は排除され、静謐で素朴ないい締めになっている。
シンジ君があることをしに電車に乗って東京へ出かけるところを描いた漫画版の最終回は、言ってみたらテレビシリーズの最終回に近く、まわりまわっていろんなエヴァがあったけれど、そもそものエヴァンゲリオンが終わるのだという気にさせられた。
というと、まだ読んでない人は、え、あの終わり方に!? と身構えるかもしれないが、あれほどアバンギャルドではない。
あり得たかもしれない世界を描くという点において、という意味だ。

テレビシリーズの最終回は、遅刻しそうで慌てて登校するシンジ君が食パンくわえた綾波レイとぶつかるという典型的なボーイ・ミーツ・ガールの情景が描かれていたが、漫画版最終回では、シンジ君が出会う人はーー。

扉から数えて15ページの最後のコマのシンジ君の表情に引っ張られてページをめくると、16、17ページの見開きのドキドキ感といったらない。
たった5コマの絵の中に「運命」がある。「すべて」と言っても過言ではない。物理的にも心的にも引力が確かに描かれている。


また、扉開けて2、3ページめの見開きから、4、5ページめにかけての空間を生かした画面も叙情性に満ち満ちている。
それほど複雑でない描線によって時間や空間や感情をこんなに大きく立ち上らせることってすごい。
シンジ君の、少し離れ気味のつぶらな瞳と、小さな鼻と口、余白の多い頬やおでこが想像力を喚起させる装置のようなものである。
あえて改めて言いたい、貞本義行、天才。

そして、貞本エヴァは最も地に足のついたエヴァンゲリオンであったとも言いたい。
「エヴァは複合人格」(多くのスタッフによって作られている)と庵野秀明監督が常々語っていて、実際アニメはたくさんのアニメーターによって描かれているから、シーンごとに絵が微妙に違う。
それはそれで面白いし、エヴァの物語が様々に分岐していく状況ともリンクしている。
その中で、漫画版エヴァンゲリオンだけが、貞本義行がたったひとりで描いた(アシスタントもいるとはいえ)ある意味、混じりっけのない極めて固有のエヴァンゲリオンなのだ。

貞本の漫画について、最終回記念の貞本先生と新劇場版の監督をつとめる鶴巻和哉対談(なぜか写真が鶴巻さんばかり)で、鶴巻が「第一巻から絵が変わってない」と指摘している。連載が長くなると、次第に頭身が変わったり、顔も変わったり、タッチも変わったりしてしまうものだが、貞本の場合、キャラクターの目の形や顎のラインの微妙な印象があまり変わらない。
終わってみれば、そこも重要だったのではないかと思える。

貞本は、真夏からスタートした作品を、どういう風景で終わらせようと考えていたか、対談で明かしているが、ある風景の「白」がすごく生きたことに胸のすく思いがした。
この「白」は、貞本キャラの顔の余白と同じ、幾多の思いを内包している。
終わらない夏の中、出口を求めてグルグルと彷徨い続ける14歳の少年シンジ。彼が違うところへ一歩踏み出す瞬間のために、18年間、絵はあまり変わっちゃいけなかった。最後の最後の時まで、耐えて耐えて耐え抜く必要があったのだ。

それをやり遂げた貞本は、アスリートが記録を保持し続けるような、三浦知良が現役を続けるような、由美かおるが何十年もウエストをキープしているような、おそるべき(漫画を描くための)身体能力の持ち主である。

最終回、キープされた絵柄でシンジ君は相変わらず長々と思考していて、元祖中二病の面目躍如的の最終回ではあるが、彼の思いは吹っ切れて、達観があり、希望にあふれた感じがするのは、作家が50歳を超えたことがあるだろうか。

振り返れば18年前は世紀末に世界が滅亡することを待ち望む声もあった。それがなんにもないまま過ぎてしまい、やがて実際大災害が起こったときに我々の「生」の意識は確実に変わった。
最終回、シンジ君がある種の悟りの境地に至るには、この18年分の歳月が必要だったとも言えるだろう。

ただ、そもそも、エヴァがはじまった当時、庵野秀明監督も鶴巻和哉監督も独身だったけれど、貞本先生は家庭をもっていたし、世界は男の子と女の子によって始まる、というシンプルな心境にとっくに達していたのではないだろうか。
そこへの憧れと絶望と破壊を繰り返しながら、何年もかかって体で理解していった監督たちを横目に、それを漫画で描く時をずっと待ち続けていたのだとしたら、本当に長いことお疲れさまでしたと讃えたい。
18年間、見つめてきた途方もない時間に報いた最終回を描いた、貞本義行の度量に感動する。ちゃんと終わらせることって一番大変だ。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開される前に、漫画版が完結したことで、永続するエヴァンゲリオンの夏が終わる、そのカウントダウンがはじまった気がする。