暴力が人を従わせる絶対的な力であることを、男は、10代で学んだ。

男には、チーマーとの喧嘩のなかで仲間となった「親友」がいた。

中学校のときに世話になった「地元の先輩たち」は、次第に闇社会で影響力を持つようになった。
17歳のとき、男はヤクザになった。刑務所にも入れられた。シャバに戻ると、「地元の先輩たち」は「親友」を本格的に潰そうとしていた。
結果、無関係の男性が殺されてしまった。

男は後悔した。
こんなことになる前に、両者を繋ぐことができたかもしれない、と。
今、自分が知るすべてを明かすことで、憎しみの連鎖を終わらせたい。
男は一冊の本を書いた。

それが『遺書 関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆』である。
著者の瓜田純士は、傷害、脅迫など、数々の事件に関わってきたアウトロー。2013年10月にも路上で刺されており、重傷を負っている。



2012年9月、東京・六本木のクラブ「フラワー」。
「関東連合」の関係者らが、飲食を経営する一般男性を「人違い」で襲撃し、金属バットなどで撲殺するという事件が起きた。
2014年4月までに、本件に関わったとされる15名が逮捕。2013年の一審判決で、うち9名が傷害致死などの罪で懲役8年から15年と告げられた。(4月22日の控訴審判決で3名の被告にそれぞれ2年の減軽/『読売新聞』同日夕刊)
組織のトップであり事件の首謀格とされる見立真一容疑者は、現在も海外に潜伏中と見られている。

2010年の市川海老蔵暴行事件で表社会での知名度が飛躍的に上昇した「関東連合」。

その前後からマスメディアでもさかんに取り上げられるようになり、週刊誌や雑誌などで芸能人との「アブナい」関係が「売れるネタ」として扱われている。
呼応するようにネット上では、「2ちゃんねる」の「アウトロー板」や有志によるwiki形式のサイトで、関連人物や事件の情報がまことしやかに語られてきた。
また、作家の溝口敦が『ヤクザ崩壊 侵食される六代目山口組』(2011年)のなかで「堅気とヤクザの中間的な存在」として「半グレ」という言葉を生み出してから、「関東連合」はその典型例とされることが多かった。

しかし、一部マスコミとネット、そしてときには警察組織までもが互いを情報ソースとして活用したことで、「関東連合」(とされるもの)のイメージは虚実とり混ぜて肥大化していったという側面がある。
結局のところ、正体は長らく謎に包まれていたと言ってよい。

そんな状況のなか2013年7月に刊行されたのが『いびつな絆 関東連合の真実』であった。

著者の工藤明男(筆名)は「関東連合」のOBであり、元幹部というふれこみ。まさに当事者しか知りえないと思われる内容。筆致は告発の緊張感に溢れ、正史としての説得力に満ちている。
ただし、この本がどれだけ「真実」を公にする目的で発表されたにせよ、工藤は集団内での反見立派(=反主流派)の人物。裁判を控えていた一部被告の支援者だということも忘れてはならない。一定の留意が必要だ。


同年9月には「実話ナックルズ」の編集長を務めていた久田将義による『関東連合 六本木アウトローの正体』が刊行された。
これは「関東連合」が成立、発展した90年代から2000年代の空気をまとめた貴重な資料ではあるが、情報通の久田による取材をもってしても、かえって実態の見えづらさが強調されるに留まっている。

なお、起訴された元メンバーのひとり、石元太一被告の著書『不良禄 関東連合元リーダーの告白』(2012年)は、残酷な「ヤキ」や金属バットによる襲撃作法などから暴力性や狂気こそ伝わってくるが、タレントとしても活動していた石元のプロモーション的要素が強いように感じられる。

つまるところ、利害関係が薄く、かつ「関東連合」に近しい第三者による書籍の登場が待たれていたというのが、その「真実」を取り巻く状況であった。
では、私たちは「関東連合」関連本の系譜として、本書をいかにして読むべきなのだろうか?

もともと関東連合とは、70年代から存在する関東の暴走族が集結してできたグループである。だが近年話題となっているのは、90年代に見立らが復活させた暴走族「永福町22代目ブラックエンペラー」のOBを中心に指すという。
『いびつな絆』や『関東連合』にも共通する認識だ。
この記事でも基本的に、「関東連合」という語をこの狭義の意味で用いている。また、本書の記述にならい、以下一部の人物名は仮名とする。

「フラワー事件」の真の標的は、これまでほとんど報じられてこなかった。
その人物こそ、本書で語られる「K村兄弟」の弟・孔次郎である。
「関東連合」とK村兄弟は長きに渡って、幾人もの死傷者を出しながら、抗争を繰り広げてきた。
彼らは警戒心が強く、居場所や連絡先を徹底的に隠している。連絡がとれるのは、兄弟間を除けば瓜田だけであるという。

「関東連合」という名前は聞いたことがあっても、K村兄弟については初耳の人も多いだろう。兄弟に関しては『いびつな絆』でも言及されているが、なぜ対立するに至ったのかまでは触れられていない。
すべては「ボタンのかけ違い」と瓜田は語る。実は、彼もまたその発端に当事者として密接に関わっている。

瓜田は「関東連合」の人間ではない。だが、見立をはじめとする幹部たちは、中学時代からよく知る「地元の先輩たち」だ。
そして、K村兄弟の兄・泰一郎とは同い年で、15歳の頃からの「親友」であった。

彼らの人物像は、書き手の体験を通して表現される。本書の最大の特徴は、この人物描写の巧みさにある。
たとえば、『いびつな絆』を読む限り、工藤明男は冷静沈着で、他者への気配りを怠らない紳士的人間のように思えるが、『遺書』を読むと、その印象は異なって感じられた。
工藤と瓜田の初対面のシーンを引用しよう。

《工藤は、ズカズカと僕らの間に割り込んできて、宮前愚連隊の昭和53年世代の先輩のひとりを、スパーン! と殴った。下からジャンプするように突き上げたパンチは、アッパーカットみたいに強烈だった。ぐらついた先輩に、工藤が言い放つ。
「てめえこんなところで何やってんだよ! 油うってるヒマがあるなら、もっと地回り強化しろよ!」
そして眉に思いきりシワを寄せて、僕をじろりと見渡した。そして、絶対に気づいたはずなのに、わざとM嶋くんに言った。
「どれが瓜田ですか? 会わせてくださいよ」
僕はピンときた。
この場をプロデュースしたのは、工藤だ。》

瓜田が過去に著した自伝的作品である『ドブネズミのバラード』で見られた、「THE・虎舞龍」の歌詞にちょっと似た独特の文体は消えている。会話文が多用される本書は、いわば「小説風」の端正なノンフィクションだ。
この書き方の変化に、見てきたものをひとりでも多くの人に伝えたいという、確固たる意志を感じる。

とは言え、気になる点がないわけではない。
副題である「関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆」は、『いびつな絆 関東連合の真実』をずいぶんと意識しているように思える。
事実、見立による恐怖政治のなかで醸成された「負の『絆』」を原因とする後者に対して、前者は対称的に「関東連合」が唯一制圧できなかった兄弟の「愛の『絆』」を強調して締めくくられる。
「疑心暗鬼」と「信頼」。まるで計算されたかのように収斂する構成は、少しばかり出来過ぎの感がある。

また、瓜田は『週刊大衆』2013年3月27日号のインタビュー記事において、「フラワー事件」で先んじて出頭した小池幹二被告と國田正春被告を「仲間や後輩を売る」行為をしたとして非難している。
本書のなかにも彼ら(と思われる人物)が登場するが、裁判で公平に裁かれるべき被告に対してバイアスがかかるおそれがある。

ゴシップ記事やネット上の有象無象のうわさ話を、好奇心から消費している私たち。本書はその種のものと一線を画していることは間違いない。
書き手の言葉を本気で受け止めなければならないと思わせる、それだけの強度が確かにある。少なくとも『いびつな絆』に勝るとも劣らない作品だ。

理由はシンプル。それは、書き手が生命を賭して世に送ったものだからである。
工藤明男は出版がひとつの要因となり「関東連合」の主流派から命を狙われているという。現在、彼は警察の保護対象者となっている。
瓜田純士もまた「伝えたい事実が伝われば、どんな誹謗中傷も受ける覚悟はできている」、「死ぬまでにどうしても世の中に残しておきたい」と綴っている。『遺書』という題名には、後悔と、責任と、覚悟が込められているのだ。

暴力が人を従わせる絶対的な力であることを、男は、10代前半で学んだ。
30歳を過ぎて、男は、言葉が人を動かす力になりうることを信じている。
(HK 吉岡命)