当サイト「エキレビ!」の朝ドラ毎日レビューでもお馴染みのライター・木俣冬の著書『みんなの朝ドラ』の出版を記念したインタビュー第2弾。
(全三回の二回目 一回目はこちら

これまで意外と語られてこなかった各時代における女性観を切り口に、朝ドラを分析している本作。
朝ドラではどんな女性たちが書かれてきたのか!?

異色の女性像を書いた朝ドラから、近年最大の問題作『純と愛』の話にまで……。
絶望的だった『純と愛』も実はキライじゃなかった『みんなの朝ドラ』木俣冬に聞く

毎日どれだけ心を動かされたのかを書き残していきたい


───『みんなの朝ドラ』で主に取り上げている2010年代以降というのは、男性の視聴者も増えて、朝ドラが「女の」から「みんなの」になったタイミングですよね。

木俣 『ゲゲゲの女房』(第82作・2010年前期)あたりから漫画好きな男性たちが入ってきて、『あまちゃん』(第88作・2013年前期)ではサブカルな男性が入ってきて……というのは感じましたね。

それですごくSNSも盛り上がったんですが、やっぱり批評みたいなことは男性の方が好きなんだなって思います。

『あまちゃん』や『カーネーション』(第85作・2011年後期)についてすごく語っている人って男性が多いし、SMAPに関する本なんかも著者はほとんど男性じゃないですか。ファン層は女性なのに、批評を書くのは男性なんですよね。

そういう人たちが入ってくることによって、新しい見方、知的な遊びみたいなことを朝ドラでもやるようになったんだなって思いました。


───めんどくさい批評おじさんも多いですけどね(笑)。何でも『あまちゃん』に絡めて語りたがったり……。

木俣 『あまちゃん』至上主義の人とか、いますよね。

今の『ひよっこ』(第96作・2017年前期)も、宮本信子さんが出てくるだけで「夏ばっぱを出しちゃって! 『あまちゃん』を意識してる!」とか言われちゃうじゃないですか。

そういう人たちは、もっと過去作の具体例をあげて語ってほしいって思うんですけどね。なんなら、毎日見てもいない人がそういうことを言ってると思うんですよ。


ネットでも、視聴率だけ見て書いているような記事も見かけますし。数字だけでドラマを語っている人は残念です。

そういう記事へのアンチテーゼとしても、一般視聴者と同じように毎日見て、毎日どれだけ心を動かされたのかを書き残していきたいと思っています。

───確かに毎日レビューしていたら、「絶対に毎日見ているぞ」っていう証明になりますよね。

木俣 それでも「こいつ見てないだろ」って書かれることがありますけど(笑)。

───見ないで書くくらいなら、ちゃんと見て書いた方がラクですよ!

「さわやか」「真面目な」以外の女性像


───『みんなの朝ドラ』で扱っているラインナップを見ていくと、基本的には2010年代以降の朝ドラですよね。そこに『おしん』(第31作・1983年)が入ってくるのは分かるんですけど、どうしていきなり『私の青空』(第62作・2000年前期)が入ってきたんですか?

木俣 そうですよね(笑)。
2010年代のもの以外では『おしん』だけを入れて、「特別」という位置づけにしてもいいかなとも思ったんですけど、それはまあ当たり前過ぎるかなと。

本当はもう数作、80年代、90年代の代表的なものも入れたかったんですが、ページ数の都合もあって入れ切れなかったので、1990年代から2000年代へと時代が大きく変わった時期に、シングルマザーを扱った朝ドラをやっていたということで『私の青空』を取り上げることにしました。

脚本の内館牧子さんは『ひらり』(第48作・1992年後期)も書かれているので、普通だったら『ひらり』の方を取り上げるんでしょうけど、ここでは、あえてシングルマザーという、今まで朝ドラでなかった題材を扱った『私の青空』を取りたいと思いました。

それに、次の次の朝ドラ『半分、青い。』(第98作・2018年)で、北川悦吏子さんがシングルマザーを書かれるようですし。

───シングルマザーの問題にしてもそうですが、この本全体として、それぞれの朝ドラが扱った時代における女性の生き方を切り口にしていますよね。


木俣 朝ドラというのはどういうものなのかを書くにあたって、色々見たり、取材したりしていくと、「女性の一代記である」ということがまず全面に出てくるんですよ。

だから朝ドラというのは、その時代時代の女性をどういう風にとらえるか、ということでずっと続いてきているんだろうなと思ったんです。

時代背景にあわせて人物をどう書くか、というのは他のドラマや映画でもやっていることだとは思いますが、これだけ長く続いている朝ドラというものを通じて、時代ごとの女性観が可視化されていったら面白いのかなと思いました。

───本の中でも、『リーガル・ハイ』(フジテレビ系・2012年)の「朝ドラのヒロインのようだ」というセリフに触れられていますけど、朝ドラにおける典型的なヒロインのイメージってありますよね。

木俣 「さわやか」とか「真面目な」というイメージですよね。かつて私が朝ドラを見ていなかったのも、「さわやか」「真面目な」しか書かれていないドラマだと思い込んでいたからだと思います。


本の中で『花子とアン』(第90作・2014年前期)の中園ミホさんが「完全無欠の人とか、清廉潔白な人とかは書けないし、書きたいとは思わないです」と語っているインタビューを引用させて頂いていますが、中園さん自身もやはり「朝ドラはそういうものを求められているんだ」という先入観を持っていたんでしょうね。

でも、『カーネーション』(第85作・2011年後期)などが、それ以外の部分をひもといていたりしますし、明るく正しいヒロインじゃない人たちもいるんだ、ということを書くことに、みなさん挑戦はされているんじゃないかなと思います。

『みんなの朝ドラ』の目次を見ても、「妾」とか、「道ならぬ恋」とか「シングルマザー」とか「おひとり様」とか……結局私はそういう部分に興味が行ってるんですよね(笑)。

それに、過去の作品を見てみても『澪つくし』(第34作・1985年前期)なんかは、主人公が妾の子供だったり。意外と昔の朝ドラも、典型的なイメージと外れた部分を描いていたりするんです。

もしかしたら当時は妾の子供くらいのことは普通だったのかも知れないですが……まだまだ調べることがあるぞと思いましたね。

絶望的だった『純と愛』も実はキライじゃなかった『みんなの朝ドラ』木俣冬に聞く
きまた・ふゆ
東京都生まれ。フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。エキレビ!名物「朝ドラ各話レビュー」をきょうも連載中(いまは「ひよっこ」)

現存する朝ドラ全レビューをしたい


───『みんなの朝ドラ』は朝ドラ論であるとともに、朝ドラのガイド的な部分もあるのかなって思いました。とっくに放送が終わっている作品なのに、ネタバレを避けていたりしますよね。

木俣 ネタバレに関しては悩ましかったですけどね。そのドラマを見たことのない人が読んだときに、見たくなるような作りの方がいいのか、ネタバレをして、ドラマを見ていないのに、見た気になれた方がいいのか微妙なところです。

───でも、おかげで『私の青空』を見てみようと思いましたもん。

木俣 総集編ですが、DVDがツタヤで借りられますし、NHKオンデマンドとかで配信されるのを待って見てください、面白いですよ!

───朝ドラって150話とかあるから、後から過去作を見ようと思っても、なかなか手を出しづらいんですよ。だからこそ、ちゃんと面白いヤツを教えてくれると嬉しいです。

木俣 実は、それに関しては考えていて、できれば現存する朝ドラ全レビューをしたいと思ってるんですよ!

やっぱりこれはちょっと……というのもありますから。

───そういうのはTwitterで毎日見ながら文句言いながら見るのは楽しいんじゃないですかね。

木俣 今、BSで再放送している『こころ』(第68作・2003年前期)は、そんな感じで盛り上がっているようですね(笑)。どれも同じような作品かと思いきや、やっぱり、作品によって、差が出るようで……。

───そういう意味では、ボク的には『純と愛』の再放送をやってもらいたいところです。

木俣 ……確かに(笑)。最終回でひどいことになって、みんなガッカリしちゃったようですけど、実は私『純と愛』はキライではないんですよね。

主人公が崖みたいなところに立って誓うという最終回も、これは本当にひどい目にあった人が踏ん張って生きていくことへのエールなんじゃないかと思って。ちょっと演劇みたいでしたよね。

でも私以外には誰一人そう思っている人がいなかったので……。

───『家政婦のミタ』の大ヒットの後だったし、脚本の遊川和彦さんに誰も口を出せず、暴走しちゃったという印象が強いです。

木俣 でも『家政婦のミタ』も絶望の世界を書いてヒットしていたわけですよね。その「絶望を書く」というのを朝ドラでもやってみたかったのだろうなと思ったんですけど……朝ドラでは受けなかったんですねぇ。

───せめて最終回でもうちょっと希望が持てれば評価も変わったんでしょうけど。

木俣 そこをあえてやるのが遊川さんの素晴らしいところですよ!

(北村ヂン)

第三回に続く