映画『STAND BY ME ドラえもん』が大ヒットを記録中だ。興行収入はすでに50億円を突破、邦画としては今年一番のヒットとなりそうな気配である。
フーンといった感じだ。

今年は「藤子・F・不二雄生誕80周年記念」と銘打たれ、数多くのイベントや出版が行われているが、それらの流れとは別に、筑摩書房より刊行されたのが『ちくま評伝シリーズ <ポルトレ> 藤子・F・不二雄』である。

「ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>」とは、筑摩書房が立ち上げた中高生向け近現代人の伝記シリーズ。装画をイラストレーターの寺田克也、装幀を人気ブックデザイナーの名久井直子が手がけている。

第1期全15点のうち、8月下旬に
「スティーブ・ジョブズ」
「アルベルト・アインシュタイン」
「マーガレット・サッチャー」
「長谷川町子」
「藤子・F・不二雄」の5点が同時に刊行された。漫画家が2人もラインナップされているところが面白い。


数多くの参考文献からまとめあげた伝記ということで、『藤子・F・不二雄』の内容はファンにとってよく知られているエピソードが多い。生い立ちから手塚治虫との出会い、そしてトキワ荘での日々などに関しては、全国民必携の基礎教養書・藤子不二雄Aの『まんが道』とも被っている。

この本のポイントは、藤子・F・不二雄(以下、F先生)の2つの大きな挫折をクローズアップしているところだ。

藤子不二雄、漫画界から追放!

最初の挫折は21歳のとき。郷里の高岡から上京した藤子不二雄の2人(藤本弘=F先生と安孫子素雄=A先生)は、折からの少年漫画ブームとも相まって早々に人気漫画家としての道を歩みはじめていた。次々とやってくる話はどれも魅力的なオファーで、デビューしたての新人漫画家だった2人には到底断ることなどできなかった。


箸を使わず食べることができる食料を買い込み、食事をしながらもペンを走らせ続けた。70時間不眠不休で描き続けることもあったという。そんな生活が3カ月続いたが、それでもオファーは止むことがなかった。気が付けばすでに年末。日々の仕事に疲れ切った2人は、仕事の締め切りを抱えたまま母の待つ故郷に里帰りすることを決める(2人とも幼くして父を亡くした母子家庭だった)。しかし、気が緩んだ2人はもう元のように漫画を描くことはできなくなってしまった。
里帰りしたまま、抱えていた連載や読み切りなどいくつもの仕事を全部落としてしまったのだ。全部。全部である。

編集者たちは激怒し、2人は仕事をすべて失った。「藤子不二雄には仕事を出さないほうがいい」という情報が編集者の間でかけめぐり、事実上漫画界から追放された。原稿を描いても旧知の編集者に突き返される辛い日々。
貯金とたまにもらえるカットの仕事で食いつなぐ時期が1年以上続いたという。

気持ちが折れてしまいそうになりながらも、F先生は「時間がある今こそ自分たちの作品を描くチャンス」と捉え、コツコツと漫画の案を出し続けた。また、トキワ荘の若い漫画家仲間との集まりにもずいぶん救われた。同世代のライバルたちの活躍には、自然に闘志がわいた。もちろん、A先生という相棒の存在にも。藤子不二雄が2人でなければ、トキワ荘に集う仲間たちの存在がなければ、この挫折は乗り切れなかっただろう。


「描けるわけがない。骨の髄までお子さまランチなんだから」

もうひとつの大きな挫折は35歳のとき。『少年サンデー』に連載した『オバケのQ太郎』が社会現象ともいえる大ヒットとなり、2人は押しも押されぬ人気漫画家になっていた。しかし、その後がパッとしない。『オバQ』に続けて『サンデー』に連載した『パーマン』も『21エモン』も思ったほどのヒットにはならなかった。

焦るF先生に追い打ちをかけたのは劇画ブームだ。
『ゴルゴ13』『カムイ伝』『あしたのジョー』など、リアルタッチで描かれた青年向けの漫画が大ブームになった。子ども漫画を追求してきたF先生は、流行から完全に取り残されてしまったのだ。「僕は読者層の変質についていけない」。苦悩したF先生は、とうとう『サンデー』の連載陣から自ら降りることを宣言する。スランプのあまり、漫画の執筆をやめてしまったのだ。

充電期間中、取材などを通じて自分の漫画を模索していたF先生のもとにやってきたのは大人向き漫画誌『ビッグコミック』編集長の小西湧之助だった。小西はF先生に『ビッグコミック』への執筆依頼をするが、自信を失っていたF先生は拒絶する。

「冗談じゃない。描けるわけがない。僕の絵を知ってるでしょ。デビュー以来子どもマンガ一筋。骨の髄までお子さまランチなんだから」

「お子さまランチ」という表現がいかにも自虐的だ。その後、藤子不二雄賞を創設し、子ども漫画、児童漫画の興隆に力を注いだF先生とは思えない言いぐさである。

それでも小西は食い下がった。『藤子・F・不二雄の発想術』(小学館新書)によると、小西は残酷な後味のある民話などを語って聞かせたという。小西の話に触発されたF先生が描いたのが、初めて大人の読者を意識した短編『ミノタウロスの皿』だった。

F先生は子ども漫画の可愛らしいタッチを残したままシュールでシリアスな世界を描く「SF異色短編」と呼ばれる作品を次々と発表していき、一時期の低迷を脱することに成功する。SF異色短編の好評ぶりが、本来の子ども漫画の充実にもつながった。『ドラえもん』の連載が始まったのは、『ミノタウロスの皿』の翌年のことだ。ここでも人との出会いが挫折を乗り越えるきっかけになっていた。

<ポルトレ>のウェブサイトには「創刊の辞」が記されている。書き出しはこうだ。
「あなたはだめな人間なんかじゃない」

10代の若者たちはいつだって悩み、苦しんでいる。そんな人たちに届けたい本だからこそ、F先生の評伝でも2つの挫折がクローズアップされているのだろう。中高生だけでなく、『STAND BY ME ドラえもん』を観てドラ泣きしているような人たちに、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。
(大山くまお)