アメリカの製薬会社がどうやって、新たな日本のうつ病観を作り上げたか。新しい「うつ」を、どうやって「病気」にしたてあげ、ブームを作り、一大マーケットを形成したか。
それを描いているのが『クレイジー・ライク・アメリカ』という本の第四章「メガマーケット化する日本のうつ病」だ。

いきなり京都での豪勢な接待場面からはじまる。接待されているのは精神科医であり研究家のカーマイヤー。接待しているのは製薬会社だ。
だが、「我々の薬を使ってください」という接待ではない。
“文化がどのように病気の体験を作り上げていくのか”を調査するためだ。

それまで、日本の「うつ」は、“慢性的で破壊的な、仕事を続けたり、上辺だけでも普通の生活を送ったりすることが困難になるような精神疾患”だった。重く、珍しいものだった。
だが、それでは市場規模が小さすぎる。
製薬会社としては、日本人に、悲しみや抑うつに対する考え方を変えてもらう必要があったのだ。

1902年の日本。
“診察を求めて病院を訪れる患者全体の実に三分の一がこの新しい病気にかかっている”と記事に書かれた「病気」がある。

何か?
神経衰弱である。
大ブームだったのだ。
神経衰弱の自己診断法やチェックリストがメディアで喧伝される。
不眠や耳鳴り、集中力の低下、目の疲れや、頭に鍋をかぶっているような感じといった症状が挙げられ、エリートがかかりやすいと言われ、自分は神経衰弱ではないかと心配になり、薬市場が活況を呈す。
こういった状況と今のうつ病の状況が似ている、と著者は指摘する。

著者はイーサン・ウォッターズ。
アメリカのジャーナリスト。
接待の現場や、被験者募集に見せかけて新聞に何度も全面広告を出したことや、研究論文の多くが製薬会社の雇ったゴーストライターの手によるものだと発覚したことや、うつ患者擁護団体風なサイトだが製薬会社が資金援助していることとや、捏造や、捏造が生まれる仕組みや、「心の風邪」という表現で深刻な疾病でないことを印象づけようとした過程などが、ルポルタージュスタイルで書いてあって、読みやすい。

特に、あああーと思ったのは、「中立な立場での研究がいかに難しいか」というその仕組だ。
抗うつ剤に関しての臨床試験研究を調べた結果、74本のうち、肯定的な結果が得られた試験(38本中37本)は専門誌に載ったが、否定的な結果が出た36本のうち公になったのはたった3本だというのだ。
しかも、残り33本のうちいくつかは、“実際とは異なる肯定的な結果が出たとする形で報告”されていたのだ。
これ、研究者の立場になると、肯定的な結果が出る方向でしか研究したくなくなっちゃうだろう。

そうしないと、出世どころか、発表もままならないのだから。

イーサン・ウォッターズは、こう書く。
“他国の文化に及ぼしている厄介な影響の象徴はマクドナルドではなく、人の心に対する見方を均質化させようとする潮流であるということだ。我々アメリカ人は、世界における人間の心についての理解の仕方をアメリカ流にしようという壮大な陰謀に加担しているのだ”

マイル・ミルズ監督も、アメリカ人でありながら、同じような不安から作品をつくったひとりだ。
“ハッピーじゃないとダメだ、という考え方を輸出することで、私たちアメリカ人はビジネスをするわけです。だから、このプロジェクトをはじめるにあたって、グローバリゼーションというものが、まず頭の中にありました”(マイク・ミルズ監督インタビュー)

マイク・ミルズ監督は、ネットを使って以下の条件に合う人を募集した。

・抗うつ剤を飲んでいること
・日常生活をありのままに撮らせてくれること
・東京都内在住者

こうして集まった人の中から、ドキュメンタリー作品『マイク・ミルズのうつの話』に登場するのは5人。
ミカ:酢を呑むことを日課にする20代、実家暮らし。
タケトシ:うつ歴15年。仕事なし、両親と同居。
ケン:ハイヒールとホットパンツで外出。縄師のもとに通って、縛ってもらうのが趣味。

カヨコ:自殺願望あり。犬と暮らしている。
ダイスケ:毎日4種類の抗うつ剤を服用しつつ、飲酒、喫煙。

映画は、彼/彼女たちの生活を、静かに映し出す。
専門家が登場して「うつ」や「抗うつ剤」について語るシーンはない。膨大な統計データを差し込んだりすることもなく、ナレーションで解説することもない。
「うつ」になっている本人と暮らしが、展開していく。
自分の息子について、ほとんど何も語ることができない父親。
ケンが通っている縄師の先生が語る、縛ってもらうお客さんのなかには何故かうつの人が多いという言葉。
集会で描いているたくさんの絵をカメラに見せるタケトシの表情。
「うつとではなく、抗うつ剤と戦ってる」というミカの声。
犬がいなかったら自分はもう死んでいただろうと語るカヨコ。
どこにでもある、でも、それぞれの人がそれぞれに生きている様子。

いろいろな暮らしがあって、その人らしく楽に生きていけるといいと思う。
ハッピーでありたいと思う。
でも、それを疑ってもいい。
ぼくたちは「ハッピーであれ」という単純な呪文で生きていくには繊細すぎるのかもしれない。
(米光一成)

『クレイジー・ライク・アメリカ』(イーサン ウォッターズ著/阿部宏美訳/紀伊國屋書店)、副題は「心の病はいかに輸出されたか」。第一章:香港で大流行する拒食症/第二章:スリランカを襲った津波とPTSD/第三章:変わりゆくザンジバルの統合失調症/第四章:メガマーケティング化する日本のうつ病

『マイク・ミルズのうつの話』(マイク・ミルズ監督/84分)2013年10月19日、渋谷アップリンク/ブリリアショートショートシアター公開中。2013年冬、大阪シネマート心斎橋公開。