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戸並誠はなぜマック赤坂となり選挙に出て落選を繰り返したのか3

2013年12月26日 11時00分

ライター情報:HK(吉岡命・遠藤譲)

「人物レビュー・マック赤坂」後編。嘲笑われた。蹴飛ばされた。負け続けた。それでも孤独に戦った。過去は振り返らぬと心に決めた。母校京大に始まり、同志社、立命館を巡る京都編。マックの大学行脚は終わりを迎えようとしている。一億円の愛車ロールスロイスのなか、彼は言う。俺は幸せだよ、と。

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前編中編より続く

戸並誠、65歳。彼はいかにしてマック赤坂となったのか。

【マック赤坂、炎と化し天に昇る───俺はマテリアルで死にたくない】

11月24日。京都大学11月祭。
門の真正面には、巨大なマック赤坂講演会の看板が設置してある。全長4メートルはあるだろうか。初となる母校での講演会。マックの意気込みが感じられる。

OBということで知名度も高く、7割ほどが京大の学生や関係者である。
自身の受験秘話、大学生時代のエピソードを語り始めるマック。

マック赤坂、本名、戸並誠は、1948年、名古屋の貧しい家庭に生まれた。早く金を稼げるようになりたい。大企業に勤め成功をおさめたい。とにかくナンバーワンを目指した戸並少年は、愛知県立瑞陵高校から、東京大学を目指した。
現役時代は理科II類を受験。結果は不合格。1点差で落ちたんだ、とマックは当時を振り返る。人生初の挫折であった。

浪人時代は予備校に通わず自学。
「当時は完全に東大病というか……。食事をする時間も怖かった。もう強迫観念だよ。朝昼晩、引きこもって勉強したね。……何度か電車に飛び込もうとしたよ。今でいう鬱病だな」
その経験が、政治家としてのマニフェストである鬱病、自殺対策に繋がったことは想像に難くない。

1968年。京都大学農学部に入学。
「京大で学んだのは、自由と自治。そして反中央の精神。なぜこの言葉に私は狂気乱舞したのか。この中央が、東大に見えたんですね」
当時は全共闘の時代だが、曰く「学生運動の旗振り役でもなんでもなかった」。

京都大学を卒業した戸並は、伊藤忠商事に入社しビジネスマンとして才覚を現す。48歳のときに伊藤忠を退社。貿易会社マックコーポレーションを設立。レアアース、レアメタル輸入の先駆者となり財を築いた。一時は50億円以上の年商があったという。
数年前に会社を一人息子である健太郎さんに譲り、自身はスマイルセラピー協会を立ち上げ、現在はセミナー活動等を行っている。

スマイルセラピーとはいかなるものなのか? 一言でいうと「メイクスマイル(作り笑い)」をすることで、心を「ネガティブからポジティブに切り替え」ていくという、一種の自己啓発である。
「マテリアルで死にたくなかった。俺はマネーじゃない! 貿易だけやっていて死にたくないんだ。メンタルで生きたかったんだ」
誠だからマック、好きな街は赤坂。戸並はマック赤坂を名乗り始めた。着実に老いつつある自分。

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ライター情報

HK(吉岡命・遠藤譲)

文芸カルチャーマガジン「HK」の2人組ユニット。編集長の吉岡は元旅人。遠藤は89年生まれのフリーライター。雑誌ではシェアハウス、ホームレス、老人ホーム、現代葬儀事情など体当たりのルポルタージュ記事を書いています。文学から社会問題まで幅広く扱います。基本的になんでもやるのでお仕事のご依頼はツイッターまで。

ツイッター/@HKeditorialroom

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