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「マッサン」人情社長を好演、西川きよしの暑苦しいほどに人情味あふれ腰の低い実人生がまるで朝ドラ

2014年11月4日 10時50分 ライター情報:近藤正高

木村政雄『やすし・きよしと過ごした日々 マネージャーが見た波瀾万丈回想記』(文藝春秋)
著者は吉本興業の社員として、同社のスター漫才師だったやすし・きよしのマネージャーを務め、のちにはやすしに解雇を言い渡す役目を担った。小林信彦『天才伝説 横山やすし』に記されたやす・きよの関係についても言及している。

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先週の月~土に放送されたNHKの連続テレビ小説「マッサン」の第5週。鴨居商店の鴨居(堤真一)からの誘いを断ったマッサンこと亀山政春(玉山鉄二)は、あらためて住吉酒造社長の田中大作(西川きよし)とともにウイスキーづくりの夢をかなえようと誓い合う。2人して資金づくりのため奔走、やっと開催にこぎつけた株主会議で好感触を得るが、最終的に出された結論は彼らの夢を打ち砕くものだった。辞表を提出したマッサンを、大作は「どこへでも行ってまえ!」と心とは裏腹の言葉で送り出す――。

大作社長を演じたのは、昨年、芸能生活50年を迎えたタレントの西川きよしである。所属する吉本興業の後輩、島田紳助からかつて「あの腰の低さはきっと何か魂胆があるはずや」と疑われ、ダウンタウンからは、その過度なサービス精神と律儀な性格が「しんどい」と、彼らの番組で「西川きよししんどいわ裁判」という企画まで組まれた。ある雑誌の密着取材中には、テレビ番組の収録前に司会の明石家さんまの楽屋へあいさつに出向き、「うわっ。こっちから行かんといけないのに」とさんまをあわてさせている(「AERA」2003年12月15日号)。「マッサン」における暑苦しいほどに人情味あふれ、どこまでも腰の低い大作社長は、やはり西川きよしという人そのものであった。

■「クマ」役で人気番組に初出演
横山やすしとのコンビで漫才師として名声をあげた西川だが、じつは出発点は役者である。中学卒業後、自動車修理工場に就職したものの、勤務中の事故で大やけどを負ったのを機に退職、一転して芸人をめざした。ミヤコ蝶々や藤田まことといった売れっ子に弟子入りを断られた末、西川少年は喜劇役者の石井均のもとに行き着く。東京で一座を率い、伊東四朗や財津一郎を育てた石井は、このころ大阪の松竹家庭劇に長期客演していた。西川少年は、石井のもとに9日間通いつめ、ようやく弟子入りを許される。1963年2月、西川が16歳のときだった。

それから石井が東京に戻るまでの1年間、西川はみっちりしつけられた。大阪・朝日放送のディレクターだった澤田隆治は、スターとなってからの西川の評判がどこでもいいのは、石井の最初のしつけの厳しさに負うところが大きいと書いている(「新劇」1976年12月号)。それでも、石井のしつけには厳しいなかにも愛情が込められていたようだ。あるとき西川は、父親が弟子入りの際に買ってくれた時計を楽屋でなくし、石井から「楽屋でなくしたなんて言ったら、みなさんにご迷惑をかける。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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