監督のポン・ジュノは『グエムル -漢江の怪物-』や『スノーピアサー』といったヒット作を手がける、現代の韓国映画を代表する人物。その作風の特徴は「居心地の悪さ」である。

Netflixにて公開「オクジャ」食肉の闇とネット配信映画のこの先

ポン・ジュノの映画は、その構造でもって見る者の常識や価値観をひっくり返しにかかる。陰惨な未解決事件の捜査では刑事たちが何度も失敗し、すっきりと解決しない。もし巨大な怪物が、なんの準備もできていない人々の前に現れたらどうなるかを可能な限りリアルに描写する。「こういう映画ならこういう展開になるだろう」というこちらの予想をひっくり返すのが本当にうまく、しかも見ている側の欺瞞や油断を突くので観客にとっては居心地が悪い。でも、面白いから見てしまう。

「食べられるトトロ」が暴く、食肉と人間の関係


『オクジャ』の物語は2007年から始まる。世界的な畜産企業であるミランド社は遺伝子組換えによって生み出された巨大で味のいい豚である「スーパーピッグ」を発表。
世界各国のオーガニックな畜産農家にこのスーパーピッグを預け、10年間育てた後にコンペを開き、最もうまく育ったものを表彰するキャンペーンを展開する。

10年後の2017年。韓国の山奥の小さな農家で、少女ミジャと「オクジャ」と名付けられたスーパーピッグ、それにミジャの祖父は平和に暮らしていた。しかしそこにミランド社に務める叔父とアメリカからの取材チームが現れ、オクジャはコンペで最優秀を獲得したのでニューヨークへ移送され、食肉に加工されることを告げる。オクジャはミランドから買い取ったと祖父から聞かされていたミジャだが、それが嘘だったことに激怒する。

連れ去られたオクジャを追い、単身ソウルへ行くミジャ。
しかし大企業であるミランドには相手にされない。オクジャを乗せたトラックに追い縋り、ソウル市街で大騒動を繰り広げるミジャ。そこに介入してきたのが、過激な動物愛護団体ALFのメンバーたちだった。ALFとミランド社、さらにミランド社内部の勢力争いに巻き込まれたミジャとオクジャは、果たして無事に平和な日常を取り戻すことができるのか。

前半でのオクジャとミジャの仲の良さは丁寧に描写されており、それがいきなり大企業の手によって引き裂かれるところは胸が痛む。しかし、そもそもオクジャは食用であり、この前半の内容は要するに「食べられるトトロ」だ。
ストレートな少女と巨大な動物の心の交流ではないのである。意地の悪い設定だ。

そして映画は後半、我々が肉を食べるためにどのようなシステムを構築し、動物たちにどのような犠牲を払わせてきたかを暴き出す。大企業と動物愛護団体はどちらもエゴイスティックに振る舞い、巨大な工場で食肉にするためだけに育った豚が、ベルトコンベアーで加工されていく。消費者たちは「自然に育てられた」というイメージに一喜一憂し、遺伝子組換えの豚だろうが安ければ買う。しみじみと居心地が悪い。


『オクジャ』がNetflixで公開された意味


『オクジャ』はこんな内容の映画なので、ハリウッドのメジャースタジオでは撮影できなかった。実際にポン・ジュノは、他のスタジオからは食肉工場の描写などを差し控えるように要求されたことをインタビューで語っている。

しかしNetflixは最初から「監督が編集したバージョンに手をつけずに公開する」と宣言。『オクジャ』は過激な描写もそのままに、全世界のユーザーに向けて公開された。インディペンデントな存在でありながら、ハリウッドのメジャースタジオに負けないほどの予算を投入できるNetflixは、ポン・ジュノのようなエンターテイメントと問題提起を両立できる監督にとっては非常に魅力的なはずである。

「ネットを経由した動画配信」という選択肢の増加によって、ビジョンのある映画監督はいわばゲリラ戦のような形で仕事ができるようになった。
『オクジャ』はその最も顕著な例である。そしてこのような形でのコンテンツの投入は、今後おそらく増えていくだろう。そう考えると、『オクジャ』のNetflixでの公開は単なる映画一本ぶんの価値に止まらない。今後の映画と興行のシステムを変化させていく、過渡期を象徴する事件なのである。

このように設定、内容、そして配信方法と、すべてが極めて今日的な映画が『オクジャ』だ。とにかくフレッシュなうちに見て、評論が出揃う前に自分の頭で考えておかないともったいない。

(しげる)