何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。
第27回 言葉が届かない家族の闇『花ぶらんこゆれて…』太刀掛秀子 著
【子供心に、大きな疑問を抱いた作品】
6月11日の朝日新聞夕刊に掲載された「中条省平のマンガ時評」によって、「太刀掛秀子展」が弥生美術館で開催(2026年4月4日~6月28日)されていることを知った。
太刀掛秀子! 何という懐かしい名前!
小学校4年生から私は毎月、『なかよし』を買っていた。講談社が発行する漫画誌で、当時いがらしゆみこの『キャンディ・キャンディ』や里中満智子の『スポットライト』が人気だった。
一方同じマンションに住む同級生の春美ちゃんは集英社の漫画誌『りぼん』を買っていた。『なかよし』よりもやや大人びた雰囲気の作品が多く、一条ゆかりの『デザイナー』や、弓月ひかるの『ナオミあ・ら・か・る・と』などが人気連載だった。
私と春美ちゃんは『なかよし』と『りぼん』を交換し合っていた。
太刀掛秀子は1973年に『雪の朝』で「りぼん新人漫画賞」の大賞を受賞し、その後、『りぼん』に作品が載るようになった。とにかく絵がかわいい、というか、キレイ。
陸奥A子、田渕由美子とともに、「おとめチック」少女漫画の代表作家とされる太刀掛だが、扱うテーマは病気、死、児童虐待と重く、そこがまた魅力だった。
早速弥生美術館に出かけてみると、入口では、私と同年代と思われる女性の二人連れが展覧会のポスターの前で記念撮影をしていた。
館内に入ると、デビューから時系列に原画の展示がされており、作者本人が当時を振り返るコメントなども付されていて、興味深かった。
観覧者のほとんどは、『りぼん』で太刀掛作品を読んでいたと思われる世代の女性たちで、あちこちで、「懐かしい~」の声が上がっていた。
しかし、記憶というのはいい加減なもので、今回取り上げた『花ぶらんこゆれて…』を、私は春美ちゃんから借りた『りぼん』で読んだと思っていたのだが、この作品が連載されたのは1978年から80年まで。私はとうに小学校を卒業していて、しかも小学校6年生の時に引っ越し、中学校は春美ちゃんとは違う学校に行ったので、彼女から借りた『りぼん』で読むはずはない。
となると、自分で『りぼん』を買って読んだのだろうか。そんな記憶は全くない。ではどこで『花ぶらんこゆれて…』を読んだのだろう…と、変なところで頭を悩ませてしまった。
ただ私がこの作品を読んだことは間違いない。Kindleで購入して1~4巻を読み返してみたが、細部までよく覚えていた。
数ある太刀掛作品の中で『花ぶらんこゆれて…』を取り上げたのは、子供心(読んだのは中学生の時だが)に、大きな疑問を抱いたことを覚えているからだった。
【繊細な絵とは裏腹にドロドロのストーリーが展開】
この作品の主人公・篠原るりは日本人の父とフランス人の母を持つ。父の茂は実業家で、仕事でバリに行った際、あるパーティでソニアというフランス人女性と知り合い、恋仲となり、周囲の反対を押し切って結婚。ソニアは日本でるりを生んだが、慣れない日本での生活に疲れ果て、茂と、生まれたばかりのるりを置いて、フランスに帰ってしまう。間もなく茂とソニアは離婚し、るりは母親を知らないまま育つ。
るりが3歳の時に茂は再婚。新しい母の杪(こずえ)と義兄の真幸(まさき)を迎えた。杪は茂が自分との結婚後もなお、るりの母、ソニアを思い続けていることを知る。やがて茂と杪の間に唯(ゆい)という女の子が生まれ、家族は一つになったかのように思われた。
実業家の茂は金持ちで、大きな洋館に住んでおり、庭には花ぶらんこがゆれている。綱につるばらを巻き付けたぶらんこで、こぐ度に花が舞い散る。幸せな家族を象徴するようなぶらんこなのだ。
ところが、唯が生まれても茂の心がソニアから離れることはなく、杪は大きなショックを受け、母親そっくりに成長していくるりに辛くあたるようになる。
母親に冷たくされ、傷つくるりを義兄の真幸は守り続けるが、母が父から愛されていない事実を知ると、るりを守ることが苦しくなり、家を出て、高校の寮に入ってしまう。
一方義妹の唯は先天性の心臓病で、小さい頃から入退院を繰り返す生活を強いられている。唯自身は姉のるりを慕っているのだが、杪は健康で美しいるりへの憎しみを募らせていく。
そこに、唯の家庭教師として登場するのが、安積惣一郎。この頃はもちろん『冬のソナタ』の影も形も見えていないけれど、ペ・ヨンジュンを漫画にしたような風貌である。もっとも私はこのタイプの優男は苦手で、男っぽいところのある義兄の真幸のほうが好みだったが。
この惣一郎に唯が恋をし、しかし惣一郎はるりのことが好きで、実は義兄の真幸もるりが好き。しかも惣一郎の父は、るりの父に恨みがあり復讐する機会を狙っていて……と、キレイで繊細な絵とは裏腹にドロドロのストーリーが展開されていく。
中心にいるのはるりと惣一郎。二人がそれぞれの家族のしがらみを乗り越え、いかにして愛を実らせるかが物語のテーマなのだが、根本にあるのが、茂のソニアへの愛と杪のるりへの嫉妬と憎悪なのである。ところが、この根本が終盤になって、覆るのだ。
自分の死が近づいていることを悟った唯がるりへの感謝を口にしながら花ぶらんこに乗っている時に、ぶらんこの杭が折れて唯は落下し、心臓発作を起こし亡くなってしまう。一方唯を助けようとして頭に大けがを負ったるりはその影響で目が見えなくなる。
茂は失明したるりを慰めようと、母のソニアの話をする。ソニアはフランスで再婚し、娘を一人生んだが、娘がまだ小さいうちに亡くなっていた。るりに「ママを…追わなかったこと――後悔しなかった?」と聞かれた茂は「後悔していない」ときっぱり返し、「他の誰でもないママ(杪)に初めて会っとき、ああ…この女性とならやりなおせる。ほんとうにパパはそう思ったんだよ」と言う。
それを部屋の外で立ち聞きしていた杪は自分が夫から愛されていたのだということを知り、愕然とする。夫に愛されないことが辛くて、るりを憎み続けていたのに。私は一体今まで何をしてきたのか、と。
ここ、まさにこここそ、私が子供心に疑問に思ったところだ。
だって、夫婦でしょう。一緒に生活して、寝室も同じで、いくらでも話す機会はあるのに、そんな大切なことをどうして茂は杪に言わなかったのだろう。
【家族だから、近いからこそ、言えないことがある】
しかし、60年以上生きてきた今は分かる。
家族だから、近いからこそ、言えないことがあるのだ。
だいたい私は父が母に、母が父に、「愛している」と言っているのを聞いたことがないし、そもそも夫が私に、私が夫に「愛している」と言ったこともない。
日常生活の中で「愛している」を口にするのは難しいとしても、もしも相手に対する愛情や感謝の気持ちを自然に言い合える家族があるとすれば、その家族は恐らく、そうするための努力を続けているに違いないのだ。
茂は自分と娘を置き去りにしたソニアを愛し続けていた。一方ソニアに対するのとは別の形で杪のことも愛していた。剛腕の実業家のくせに、いちばん身近にいる妻に、自分の気持ちを伝える術が分からなかったのだ、多分。
それは大きなツケとなって、回ってきた。
夫に愛されていたことに気づけず、るりを憎み続けてきた杪は自分の過ちの大きさに耐え切れなくなり、ガス自殺をはかろうとする。すんでのところで茂が止めるが、ガスに火が引火して爆発が起こり、洋館は花ぶらんこもろとも焼け落ちてしまう。
炎に包まれた洋館の中から、逃げ遅れたるりを助け出したのが、惣一郎だった。
洋館が焼け落ちる光景と幸福な家族という虚構の崩壊とを重ね合わせているわけが、このパターンは他の漫画でも見たことがある。
大島弓子が1977年、白泉社の漫画誌『LaLa』に発表した「夏の終わりのト短調」である。
この作品の主人公は袂(たもと)という名の高校三年生女子。父が母を連れて三年間のアメリカ出張に出たため、夏休みが始まるタイミングで母の妹・蔦子のもとに預けられる。蔦子は夫と二人の息子とともに素敵な古い洋館に住んでいて、袂にとっては理想の家族だった。
蔦子一家のもとで大学の受験勉強に励む袂だったが、良き家庭人だと思っていた義叔父は実は浮気をしていて、秀才の従兄は薬中で、蔦子は精神を病んでいた。理想の家族の現実を知った袂は両親と暮らしていた団地に帰ろうと、洋館を出ていく。それを知った蔦子の張りつめていた精神の糸が切れ、蔦子は洋館に火をつける。虚構の家族は洋館とともに焼け落ち、新たな家族のつながりが生まれる。
火事で大けがを負い、瀕死の杪の手をとり、茂が言う。
「…おまえに そんなにも…つらいおもいをさせてすごした十何年を…これからの生涯をかけて…とり戻させてくれ…杪 おねがいだ…おまえの手が…必要なんだよ…」
結婚して十何年も経って、ようやく茂は自分の気持ちを梢に伝えることができたのだ。
中学生だった私は、ここもまた体よく終わらせるためのご都合主義の場面だと憤っていたのだが、今回読み返したら、やたらに感動して落涙してしまった。
そして、思った。
十数年かかっても言えてよかったじゃないか。一生言えない人もいるのだから。
そう、家族だから、何でも言えて、分かり合えるわけではない。家族だからこそ、言えないし、分かり合えないのだ。家族には言葉が届かない闇があるのだ。
太刀掛秀子展に行って、改めて知り、驚いたことがある。
太刀掛が「りぼん新人漫画大賞」を受賞したのは広島県立広島高校に在学中のことで、その後は大学での学業と漫画家の仕事を両立させていたというのだ。
太刀掛作品は初期からシリアスなテーマ扱っていた。デビュー翌年に発表された『ライラックの花のころ』(1974年)は、精神分裂症(現在の総合失調症)の母を持ち、その遺伝に苦しむ娘リラが主人公である。こんな作品を二十歳にもならない頃から描いていたとは!
『花ぶらんこ揺れて…』が描かれたのは、太刀掛が22歳~24歳の時。まだ結婚経験もない大学生に何故夫婦関係の機微や家族の闇を描くことが出来たのか、不思議でならない。
私なんて、60歳を過ぎて、ようやく実感出来たというのに。単に自分が迂闊だったということか――。
文:緒形圭子
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