大学受験の準備は、高校3年生になってから始めればいい――。そんな日本の感覚は、アメリカでは通用しないといいます。


高校進学後に履修できる科目や、部活動・芸術活動の選択を左右する分岐点は「13歳」。17歳で出願を迎えるころには、すでに大きな差がついていることもあります。なぜ13歳が重要なのでしょうか。

『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』(冷泉彰彦/クロスメディア・パブリッシング)から抜粋してご紹介します。
○大学へのモチベーション点火のスタート地点は「13歳」

日本や韓国の大学入試のことを「受験地獄(エントランス・エグザム・ヘル)」というのは、アメリカでもよく知られています。

ですが、実態を知ったアメリカの高校生や大学生からは「ペーパーだけの一発勝負というのは甘いのであって、本物の『地獄』はこっちのほうだ」というコメントが返ってくることが多いのも事実です。

中には「化学が好きでたまらなく、自然に大学レベルの学力もついたし、自分の研究テーマも持っている」というような高校生もいるわけです。アメリカの大学が最も評価するのはこのタイプです。ですが、こうしたホンモノの天才や秀才というのはごく少数にすぎません。

ほかの多くの「普通の秀才」たちは、名門大学の合否ラインの上で悪戦苦闘しているのです。ですが、「合否ライン上での悪戦苦闘」というのは語弊があるかもしれません。というのは、アメリカの大学入試において十分な「準備」をするには、1年や2年の「受験勉強」では間に合わないからです。


多くの高校生は、高校4年生(シニア・イヤー)になると大学の出願準備に追われるわけですが、この時点では実は「ジタバタ」しても始まらないのです。本当の競争は実はもっと早期に始まっているし、17歳のシニアという時点では、すでに相当な差がついているのは事実だからです。

では、何歳がアメリカの大学受験のスタート地点なのでしょうか?

やや受験「地獄」を煽るような言い方になりますが、「13歳=高校進学の前年」をひとつのスタート地点とするのが妥当だと思われます。

ちなみに、日本の6・3・3制のような固定的な「学年構成」というのは、アメリカの公教育には厳密には存在しません。市町村によっては、小学校が「初級小学校」と「上級小学校」に分かれていたり、中学が2学年だったり3学年だったり、あるいは4学年制の中学校もあったりというようにバラバラです。ですが、無償の公教育の最後にあたる高校というのは、だいたい14歳から18歳にかけての4学年ということで統一がとれているのです。

その前年、つまり12学年制で言えば8年生にあたる「中学の最高学年」、満年齢で言えば13歳というのが、鍵を握る学年だと言えるでしょう。このタイミングで、将来へ向けての知的好奇心に点火をし、そのエネルギーで基礎学力の確立へ向けて自発的なモチベーションを獲得できればベストと言えます。

この「13歳」をターニングポイントとするということには、複数の理由を指摘することができます。この学年から学校の宿題の量や授業内容が一気に難しくなるということがひとつ。また、部活に関してもこの学年から本格化しますし、音楽などの芸術活動に関しても、この学年の実績を基にして高校進学後の「選択」が考慮されることになるからです。

もっと具体的に言えば、多くの学区の公立高校で、この学年の成績をベースに「高校1年生に進学後の選択科目」の受講許可を出すということがあります。


特に数学に関しては、高校進学のあとは得意・不得意によって、「科目の飛び級」をする生徒と、ノンビリと「卒業の最低条件」のクリアでよしとする生徒の間でどんどん段階の差がついていきます。その中で、「1年でも先へ」とより高度な科目を履修することが、名門大学への近道であることは間違いありません。

はっきり言って、その前の学年、つまり12歳までであれば、多少の成績の良し悪しはいくらでも挽回(ばんかい)できるのですが、13歳から先は「1年1年が重要」ということになります。

ここまでの「科目選択の飛び級」の話は、あくまで公立高校の話ですが、私立の進学校、特に「プレップスクール」と呼ばれるエリート養成高校に入学したい場合は、入試を受けなくてはなりません。その入試があるのも、「8年生」――つまり「中学の最高学年となる13歳」なのです。

ちなみにプレップスクールは、年間学費が日本円で600万円以上かかり、お金で「足切り」されてしまう世界で、かなりマイナーな存在です。ほとんどの高校生は地元の公立高校に行きます。

というわけで、13歳というのが大学受験のスタート地点になると言って構わないでしょう。競争はこの時点から始まるのです。

ちなみに、ここで言う「競争が始まっている」というのは、「同学年の生徒同士がお互いをライバル視して蹴落とす戦い」という意味ではまったくありません。

そもそも、アメリカの大学入試には、厳密な定員というものはありません。また多数の学校を併願することが多いので、1校あたりの合格者数は「辞退を考慮した」分の水増しがされています。


さらに言えば、アメリカの大学の合格基準というのは基本的に「加点法」です。100点満点の試験を行って、100点から減点していくのではなく、平均的な18歳の若者像をまず想定し、そのレベルと比較していくことで、学力という意味でも、経験の総量、そして経験から得たものという意味でも、加点していくのです。

何しろ、上を見れば、プロの音楽家や五輪の金メダリストという履歴書を出す受験生もいて、学力という意味でも本当にトップ校にトップで入る生徒は、すでに「30年後のノーベル化学賞の可能性を秘めた着想」を持っていたりするわけです。

そのようなレベルを100点として、誰もがそこを目指したり、その100点から減点法で相対評価を行ったりなどということは、まったく無意味です。つまり、平均的な学生像から、いかに「上を目指して」いくのか、そうした「加点法のルール」に従って、貪欲に上を目指していくというイメージになります。

そんな中では、「限られた定員」を前提とした「椅子取りゲーム」という感覚では、とてもこの長くて厳しい「戦い」を勝ち抜くことはできません。競争というのは、ライバルより一歩でも先に出る競争というよりも、平均的な高校生というレベルからすべての領域で「非凡」なレベルに一歩でも先へ進める、――つまり自分との戦いになるのです。

それは、単に物理的に「楽をしたい」という誘惑に勝つだけではありません。「自分の進路はこれでいいのだろうか?」とか、「自分の目指している専門職は、自分が社会に出るときには消滅していないか?」といった、試行錯誤や方向性の迷いも含めた戦いになります。

そして、そのような試行錯誤もまた、本人の「成長の材料」になっていくのだと思います。

○『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』(冷泉彰彦/クロスメディア・パブリッシング)

AIが初級の知的労働を次々と置き換えていき、グローバル化がさらに進んでいく時代。一握りの天才だけでなく、「第2グループ」と呼ぶべき、自己管理力と実行力を備えた若者こそが今後ますます求められることになります。
では、そうした人を育てるために、親や学校、周りの大人たちは、子どもに何を伝えればよいのでしょうか? 本書の著者は、米国東部のニュージャージー州プリンストンに30年以上暮らし、作家・ジャーナリストとして活動しつつ、現地で3人の子育てを経験。その傍ら、プリンストン日本語学校高等部で、数多くの日本人・日系人の高校生を指導し、アメリカの名門大学に送り出してきた教育者でもあります。そうした経験なども基に、アメリカの大学が思い描く「期待される18歳の人物像」を出発点として、幼児期から思春期に至るまで、年齢に応じてどんなメッセージを子どもに伝えるべきかを具体的にお話しします。
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