熊鈴を鳴らしていれば大丈夫、という前提を一度外してほしい。渓流は、音による警告が効きにくい場所だ。



沢の音は絶えず鳴り続けていて、鈴の音をその中に埋めてしまう。しかも渓流釣りには、それ以外にも条件が重なっている。偏光グラスで水面だけを見つめているので視野が狭い。沢を遡っていくので、風下から距離を詰める形になりやすい。手には魚の匂いが付いている。帰りは同じ道を逆に歩く。

互いに気づかないまま距離が縮まる条件が、渓流にはひと通り揃っている。

その前提の上で、数字を見たい。環境省の集計によると、2025年度のクマ出没件数は5万件を超え、記録が残る範囲で過去最多となった。速報値である。

各地の漁協や自治体は、渓流釣り場や渓流沿いの林道を予防的に閉鎖したり、立入を制限したりする対応を取り始めている。判断は自治体や漁協ごとに違い、同じ河川でも上流と下流で扱いが分かれることがある。


では入渓前に何を見るか。確実なのは、都道府県と市町村の公式サイトが出す出没情報、そして入漁券を扱う地元漁協の告知だ。この2つは更新責任がはっきりしている。SNSの目撃情報は速いが、場所と日付が不正確なまま広がることがあるので、最終判断は公的な情報で裏を取りたい。

確認するタイミングも大事だ。出没情報は日々更新される。前の週に調べて安心するのではなく、出発する当日の朝にもう一度開く。閉鎖の告知は、前日や当日に出ることが少なくない。

装備の話も、優先順位を付け直したほうがいい。鈴が沢で効きにくいなら、単独で入らないことが最も強い対策になる。人が二人いれば会話の声が出る。声は鈴より低く、沢音に埋もれにくい。


入る時刻も見直したい。渓流は早朝が本番だが、薄暗い時間は互いの視認距離が縮む。単独なら明るくなってから入る。複数人なら早朝でも声を出しながら進む。条件によって使い分けたい。

そして引き返す基準を、入る前に決めておく。真新しい足跡を見た、糞があった、木の幹に爪痕があった。このうち一つでも見つけたらその沢はやめる。現場で判断しようとすると、せっかく来たのだからという気持ちが必ず邪魔をする。判断は、家を出る前に済ませておくものだ。

そして最後の選択肢を手元に残しておきたい。装備を整え、情報を確認したうえで、それでも「今日は入らない」と決められること。
渓流は逃げない。

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