【城下尊之 芸能界ぶっちゃけトーク】


 あの高田みづえ(66)が先日、NHK「うたコン」に出演し、「一夜限りの復活SP」として特集されていた。


 番組で高田は約40年ぶりにNHKホールのステージに立ち、観客こそいなかったが、フルバンドの演奏で「私はピアノ」「硝子坂」を生声で歌い上げ、引退していたとは思わせないほどの歌唱力を見せつけていた。


 高田は1977年にアイドル歌手としてデビュー。大手のバーニングプロダクションに所属し、アッという間にスターアイドル歌手として活躍。NHK紅白歌合戦にも7回出場している。


 そして85年に大相撲の当時大関だった若嶋津と結婚し、芸能界を引退。その後は松ケ根部屋、二所ノ関部屋のおかみとして親方を支え続けていた。親方は長く体調を崩して入院・闘病生活を送っていたが、今年3月に死去している。


 僕が覚えているのは、85年の高田のファイナルコンサートの取材だ。ラストなのに会場内の撮影はNGで、僕たちは楽屋口に陣取って出てくる高田からひとこと話を聞こうと待っていた。ただ、当時も今も芸能界では力のあるバーニングプロのマネジャーが「取材はNO」と言ってきた。「みづえはアーティストだよ。ワイドショーの取材なんか受けない」と言い放ったのだ。最有力といわれた事務所からそう言われ、各局ワイドショーも妙に納得してしまい、出口からこちらに笑顔を向ける高田の様子だけを撮影させてもらって帰ったものだ。


 ちょっと高田からは外れるかもしれないが、高田が連続で紅白に出演していた時のことも思い出す。黒柳徹子が4回連続で紅組司会者を務めていたのだが、確か3回目の司会者記者会見の際、駆け出しの記者だった僕は黒柳に「ディレクターたちにも(進行などの)意見を言いますよね」と質問してみた。すると黒柳は「今年は演出面にも口を出します!」と答えた。


 シメタと思った僕は「今年の紅白は黒柳が演出」という大見出しでスポーツ紙の芸能面のトップ記事を書いたものだ。ただ、翌朝、ベテランの放送担当記者が僕に激怒してきた。いわく、「紅白に何人のプロデューサーと演出ディレクターがいると思ってるんだ。みんな怒るぞ。これから行って謝ってくる」。


 ところが、NHKから帰ってきたその記者は「みんな、『大きな記事にしてくれてうれしい』と言うんだよ。で、『オレが書かせた』と威張ってきた」そうだ。


 約40年前、NHKホールで行われた紅白では黒柳の言い間違いを高田がやさしくサポートする姿も見られたが、早くも芸能界では高田の“復活コンサート”や“ディナーショー”を考えるプロデューサーが出ているそうだ。


(城下尊之/芸能ジャーナリスト)


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