この人のようにあっぱれの人生を送れる人は少ないだろう。


 6月2日に76歳で亡くなったガッツ石松さん(本名・鈴木有二)のお別れの会が9月2日、東京・文京区の後楽園ホールで行われた。

この日はガッツさんの月命日。祭壇にはボクシングのリングと現役時代のガウンや三度笠などが置かれ、遺影の脇にはガッツポーズさながらに、赤いカーネーションで形作られたグローブが配置されていた。ボクサーとしてのガッツさんが全面に押し出され、具志堅用高、ファイティング原田、渡嘉敷勝男、平仲明信、徳山昌守、内藤大助、井上尚弥など蒼々たる世界チャンピオンがズラリ参列した様子は圧巻だった。


 主催がボクシングの世界チャンピオンやガッツさんの事務所「株式会社ガッツエンタープライズ」だったということもあるが、ガッツさんがボクサーとして活躍したのは70年代。参列したデヴィ夫人が「今日は初めてガッツさんの本当の姿を拝見した」と語ったように、一般にはボクサーとしてのガッツさんを知らない人が増えた。しかし、ボクシングの世界チャンピオンだったという実績は、ガッツさんが生涯大切にしたプライドだった。


「現役時代から少しずつ芸能活動を始めていたのですが、芸能界には“チャンピオンがなんだ”と失礼な対応をする人もいた。ガッツさんは“こっちがお邪魔している立場だから”と、グッと我慢したそうです。もしカッとなって暴れでもしたらチャンピオンとして築いた栄光がパーになってしまう、と。バラエティー番組などでは何を言われても、されても、ギャグを言って周りを楽しませることに努めていたのは、生来の明るさもあるとはいえ、プライドのためでもあった。繊細な面もあり、街でジロジロ見られるのも好まなかった。外へ出てストレスをためて何かしでかさないよう、晩年はほとんど外出せず、家で新聞を読むなどして静かに過ごしていることが多かったんです」(芸能ライター)


 自宅はいつかリングに改装できるよう考えて建てたほどボクシングへの思いも強かったが、俳優への憧れも強かった。

現役引退後、本格的に俳優・タレントとして活動。芸能事務所に所属せず自身で事務所を設立し、ギャラの交渉も行っていた。演技のレッスンは受けず自己流で身につけ、それがかえってガッツさんのカラーになった。NHK朝ドラ「おしん」や「北の国から」(フジテレビ系)などの大ヒットドラマの出演が際立つが、映画では憧れの俳優・高倉健と「神戸国際ギャング」や米映画「ブラック・レイン」で共演。日本映画にとどまらない活躍をみせた。


「米映画『太陽の帝国』にも日本兵役で出演しています。演出をしたスティーヴン・スピルバーグ監督から直々に『オーディションを受けてほしい』とオファーがあり、請われてツーショット写真も撮影しています。スピルバーグ監督は元世界チャンピオンに敬意を払い、キチンと気をつけの姿勢で写真におさまっていることに、ガッツさんは喜んでいました」(芸能ライター・前出)


 芸能界での成功とは裏腹に、事業の失敗や映画製作、1996年の衆院選落選などでは約3億円の借金を抱えた。しかし、必死で働きすべて返済した。


 晩年は痩せて無精ヒゲが目立ちファンから心配する声が上がっていたが、体調は良かったという。自身の体調管理に自信をもち、「入院は盲腸のときだけ」と検査などを積極的に受けようとはしなかった。肺炎にかかり体調を崩したのは、亡くなる前月の5月。

都内の病院に入院し、長女・佑季さんに“幻の右手”を握られながら、77歳の喜寿を3日後に控えた6月2日、静かに息を引き取ったという。


 ボクサーとしても、芸能人としても成功をおさめた人生に満足し、潔く世を去ったガッツさん。最期も見ごとだった。


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