【週刊誌からみた「ニッポンの後退」】


「侵入してきた九鬼兼太を受け入れながらも激痛が走った。固く閉じたオブジェの扉は開くことができないでただ裂けた、ように笙子(しょうこ)は感じた。

身を反らせながら発した自分の叫び声に自分で傷つき、蒼ざめていった。この世の果てのような暗がりのなかで笙子はもがいた」


 岸恵子が80歳の時、小説「わりなき恋」(幻冬舎)を上梓した。主人公の伊奈笙子69歳、九鬼58歳。


 笙子は十数年ぶりの「性愛」で、自分の体が、「かつて、性の悦びが五感の細部まで沁みとおり、湿った体で呻き声を必死に抑えながら男を逆上させた笙子はもういなかった」と知り茫然とする。笙子は覚悟を決めて婦人科に行き、「干上がってしまった部屋の壁を、柔らかくする薬」をもらう。


 妻子ある年下の男との「夕暮れ時の煌めき」と、別れ。岸は「実体験」にヒントを得たとエッセーに書いている。「プラハの春」について語り合ったのが2人の出会いのきっかけだった。


 こんな言葉が出てくる。


「若いときの孤独は蜜のように甘いけれど、年をとってからの孤独はただの孤独よ」


 ベストセラーになり、瀬戸内寂聴は「直木賞を取ると思った」と書いた。


 女優になりたての頃、「サルトル」を読んでいたら、生意気だといわれたそうだ。文章がうまい。

古今東西の古典への造詣が深い。ドキュメンタリー・プロデューサーとして世界中を“闊歩”した経験に裏打ちされた街や景色の描写が素晴らしい。


 その後も「岸惠子自伝」(岩波書店)などの執筆活動を続け、8月7日、93歳でその華麗な生涯を閉じた。


 映画「君の名は」(1953年封切り)のヒロイン氏家真知子を演じて大スターになったが、その座に甘んじる岸ではなかった。日仏合作映画に出演した縁でフランスに渡りイヴ・シャンピ監督と結婚&離婚。


 恋多き女でも知られた。週刊文春(9月3日号)は「岸が愛した5人の男」の中で、最初にロマンスが報じられたのは鶴田浩二だったと報じている。しかし、鶴田には別に婚約者がいて、悩んだ鶴田が自殺未遂を起こした。


 日仏を行き来する中で出会ったのは、作家で「ベ平連」代表の小田実だった。だが、「小田は独占欲が強く威圧的」(小田と旧知だった水口義朗)で続かなかった。


 濃厚なラブシーンを岸と演じた18歳年下のショーケンこと萩原健一は、岸に“恋慕”し、「岸さんを思ってセンズリこいた」(映画関係者)と言ったという。岸の母親が亡くなった際には、岸の自宅に現れ深々と挨拶し、寂しそうに去っていったそうだ。


 毎日新聞の鳥越俊太郎とも噂になった。岸が70代半ば、小説のモデルになった大手メーカー役員に夢中になった。文春は彼の自宅を訪ねたが、親族によると、「体調を崩し、今は老人ホームにいる」という。


 私は、一度だけ岸に会ったことがある。月刊誌の時だから、私が40代前半、岸が50代の頃だったと記憶している。


 銀座の料亭で作家の渡辺淳一と対談をしてもらった。渡辺は“座談の名手”ではなかった。私は編集者としてイライラしていた。


 私からこんな質問をしてみた。


「岸さん、今でもあなたはとても美しいが、あなたが嫉妬する人はいますか?」


 すると岸は、「いますとも、私の娘です。私もあの頃は、あんなに美しかったんだと嫉妬しています」と真顔で答えてくれた。


 対談が終わり、渡辺は、「岸さん、行きつけのいいバーがあるから、ちょっと付き合ってくれない?」と、しつこく岸に“せがんだ”。


 当時、超売れっ子作家だった渡辺は、派手な女性関係でも有名だった。


 だが、岸は決然として、「今日は帰ります」と告げ、1人で銀座の雑踏の中へ消えていった。


 今は絶滅危惧種になった「銀幕の大スター」の後ろ姿は凛としていた。 (文中敬称略)


(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)


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