有事の際、自衛隊が頼る通信手段の一つ。そのスイッチを握っているのが日本政府ではなく、イーロン・マスクだとしたら、どう思うだろうか。

大げさな話ではない。今年7月に公表された令和8年版防衛白書には、自衛隊がスターリンクをはじめとする民間衛星の活用を進める方針が明記されている。スターリンクはマスクが経営するSpaceXのサービスだ。

ウクライナ戦争でスターリンクが大活躍したのはよく知られている。ロシアに通信インフラを破壊されたウクライナ軍が、スターリンクで戦場の情報共有を保ち、継戦できた。白書もその点を評価している。だが、同じスターリンクをめぐって、マスクがある国の要請を拒否した事実があるのだ。

ウクライナ軍の要請を、マスクは拒否した

自衛隊の通信は“イーロン・マスク次第”になるのか。防衛白書が...の画像はこちら >>
2022年秋、ウクライナ軍はクリミア半島沖のロシア黒海艦隊への攻撃を計画した。無人艇で艦隊に接近し、スターリンク経由で制御する作戦だった。ところが、クリミア沿岸100キロ圏内はスターリンクが有効化されていなかった。ウクライナ軍はマスクに緊急で接続を求めた。マスクはこれを断った。無人艇は制御を失い、作戦は頓挫した。


この経緯は2023年9月、伝記作家ウォルター・アイザックソンがCNNやワシントン・ポストを通じて報じ、マスク自身も同年9月のイベント「All-In Summit」の壇上で「クリミアへの接続要請を断った」と認めている。断った理由は「ロシアとの核戦争に発展しかねない」という判断だったとされる。

その判断が正しかったかどうかはここでは問わない。確認すべきは一点だ。民間企業の経営者の判断が、一国の軍事作戦の遂行を左右した。

ところが、防衛白書は、こうした事例に触れることなくスターリンクの有用性を高く評価し、自衛隊での活用拡大を宣言している。スターリンクが役に立った。だから自衛隊も使う。白書の論理はそこまでだ。回線のスイッチを誰が握っているかは書いていない。

白書がどれだけ詳細に「敵」を描写しているかを見れば、この落差が際立つ。中国のサイバー部隊については「Salt Typhoon」「Volt Typhoon」「Flax Typhoon」という各APTグループの特徴と攻撃事例を表にして掲載している。
北朝鮮については「2024年1月から2025年9月までの間に少なくとも28億ドル相当の暗号資産を窃取した」と具体的な数字まで記している。

さらには、ロシアの情報工作部隊の組織名も出てくるくらいに詳細だ。

敵の手口は細かく書くのに、自衛隊が依存しようとしているスターリンクの回線を、その経営者がどう扱ったかには触れない。「新しい戦い方」に700ページを費やした白書の、最大の問題点である。

自衛隊のデータに「アメリカの法律」が届く

問題は通信だけではない。白書の「防衛省次世代情報通信戦略」という解説欄にはこう書かれている。

「現行のオンプレミス型を主体としたインフラ整備から脱却し、民間のクラウドサービスを併用するハイブリッド・クラウドへの移行を進める」

これまで防衛省は自前のサーバで情報を管理してきた。それを見直し、民間クラウドも使っていくという方針だ。有力な選択肢は、AWS、Microsoft Azure、Google Cloudなどの米系大手サービスだ。日本では政府や地方自治体もAWSを初めとしたクラウド、それも海外企業のサービスがもっとも普及している。防衛省も、その流れに乗るというわけだ。

ここで問題になるのが「CLOUD法」だ。2018年にアメリカで成立したこの法律のもとでは、米当局が法的手続きを通じて、米国企業に対してデータの提出を求めることができる。
防衛省が日本国内のデータセンターを使っていても、運営するのが米国企業なら、米国法と無関係ではいられない。保存場所が日本国内だからといって、米国法の影響を完全に遮断できるわけではない。

より明確にいえば、自衛隊の情報がアメリカに筒抜けになるのと同義である。

もちろん、防衛省のあらゆる機密情報を、そのまま民間クラウドに置くという話ではない。それでも、外国企業と外国法の影響を受ける基盤をどこまで利用するかは、防衛政策上の論点になる。日米は同盟国だから心配ない、という話にするのは簡単だが、これは信頼の問題ではなく、制度の問題だ。白書は多くの文字数を費やしながら、この問題を完全にスルーしているのだ。

自衛隊の役割は植民地軍なのか

自衛隊の通信は“イーロン・マスク次第”になるのか。防衛白書が書かなかった依存の構造
昼間たかし氏の新著『「デジタル主権」戦争 国家と巨大企業が奪い合う「見えない支配」の全貌』(扶桑社新書)に詳しい
同じように肝心のところをスルーした記述は、情報戦でも明確だ。白書は「SNSやインフルエンサーなどを媒体とし、偽情報の流布や、対象政府の信頼低下や社会の分断を企図した情報拡散などによる情報戦への懸念が高まっている」と書いている。また「中国は数十億ドルをかけ、他国メディアへの投資を通じたプロパガンダの促進や偽情報の拡散、検閲などを実施している」とも書く。さらには、日本を標的にした偽情報・プロパガンダの事例も「多くみられている」という記述もみられる。

ここまで書いておきながら、その偽情報が流れる場所、つまりXやTikTokといったプラットフォームを誰が運営し、何を増幅させ、何を見えにくくするアルゴリズムを設計しているかについては、白書は踏み込まない。


「媒体」は問題にしているのに、その媒体を誰が支配しているかは、全く問題にしていないのだ。

敵国のミサイルやサイバー部隊を警戒するのは当然だ。だが、それと同時に、通信のスイッチも、データの置き場所も、情報の流通路も、外国企業が握っている。白書はその構造を問わない。これは自衛隊が敗戦の屈辱を忘れ、白書を通じて自分たちは宗主国にすべてを提供する植民地軍であると自白したようなものだ。

筆者はこうした「依存の構造」を2年間取材し、新著『「デジタル主権」戦争』(扶桑社新書)にまとめた。スターリンク、クラウド、決済インフラ、認知戦の主戦場……それぞれの回線のスイッチを誰が握り、日本はどこに依存しているか。防衛白書が書かなかった「見えない占領」の全体像を描いた一冊だ。情報を誰が、どう取扱い、どう保管するかを考えない防衛論など、まったくの空論である。

文/昼間たかし

【昼間たかし】
ルポライター。1975年岡山県に生まれる。県立金川高等学校を卒業後、上京。
立正大学文学部史学科卒業。東京大学情報学環教育部修了。ルポライターとして様々な媒体に寄稿。著書に『コミックばかり読まないで』『これでいいのか岡山』
編集部おすすめ