今日(2026年7月28日)から日本でEV軽自動車を発売したBYD。嫌な予感! のある人も少しいるのではと思う。


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 私が中国製の車を見たのは、約30年前のことだ。三重県四日市の港に、ジープのようなトラックベースの車が上陸した。エンジンを始動してもらったところ、ガタガタと酷い振動と共に爆音が響く。内装のチリはズレ、ドアを閉めれば頼りない金属音が鳴り響いた。「日本では絶対に売れない」「束になってかかっても日本車には追いつけない」と、当時の誰もがそう確信したはずだ。

 しかし、日本車やドイツ車などのグローバル大手との合弁事業を通じてノウハウを貪欲に学んだ中国は、わずか四半世紀で全く別の「巨大な怪物」へと変貌を遂げた。内燃機関(エンジン)の歴史では百年越しの差を埋められないと悟るや否や、国策として一気に電気自動車(EV)へのシフトを断行。世界最大のバッテリーサプライチェーンを自国に築き上げ、基幹部品を自社で垂直統合生産する技術と圧倒的なコスト破壊力を手に入れたのである。

 そして本日、2026年7月28日。中国のEV最大手であるBYDが、日本専用に開発した軽EV「RACCO(ラッコ)」を正式に発売した。ニュースを聞いた私の頭をよぎったのは強い「嫌な予感」である。そのデジャヴの先には、かつて世界を席巻しながらも、中韓勢の猛追によって壊滅的な打撃を受けた「日本の家電産業」の惨劇が重なって見えるからだ。


 日本の「聖域」軽自動車市場に突入した「ラッコ」の衝撃

 日本の新車販売台数の約4割を占める軽自動車は、長らく輸入車の不入の地、「ガラパゴスな聖域」と呼ばれてきた。狭小な日本独自の規格、厳しいコスト制約、高い品質要求。海外勢には参入不可と見られていたこの市場に、BYDは「日本専用車」という異例の体制で本気の投資をしてきた。

 投入された「RACCO」のパッケージングは恐ろしいほど的を射ている。全高1.8メートルの車体に、子育て世代や高齢者に人気の「両側電動スライドドア」を標準装備。国内メーカーがバッテリーコストやガソリン車との共食いを警戒して足踏みしていた「スーパーハイトワゴンの軽EV」という最大空白地帯に真っ先に乗込んできたのだ。

 守るべきガソリン車の利権も販売網の縛りもない新興勢力だからこそ、ユーザーが今最も欲しい車型を、圧倒的なスピードと戦略的価格(補助金適用で199万5000円~)で提示できる。この柔軟性と合理性こそが最大脅威である。

 「嫌な予感」の正体——かつて見た「家電敗北」のデジャヴ

 「嫌な予感」の正体、それは「自動車産業の家電化」と「過去の成功体験による死角」である。1980~90年代、日本の家電製品は世界市場を支配していた。ソニーのテレビ、パナソニックの白物家電、シャープの液晶技術。誰もが「日本の家電なら間違いない」と信じて疑わなかった。
圧倒的な品質と細部へのこだわりは日本の誇りであった。

 しかし2000年代、デジタル化とモジュール化の波が押し寄せると状況は一変した。コアパーツを購入し、ソフトと組み合わせて組み立てれば一定品質が確保できる製品へと変化したのだ。製造技術が平準化し、競争軸は「熟練の職人技」から「圧倒的な生産規模、部品調達力、スピード、コスパ」へと移っていった。

 日本企業は「自前主義」や「過剰品質」にこだわり続けた結果、市場の変化スピードについていけず沈没した。気がつけば見下していた中韓メーカーにシェアを奪われ、家電部門が切り売りされる事態となった。

 「擦り合わせの機械」から「走る巨大家電」へのシフト

 今自動車産業で起きている変化は、まさにあの「家電の歴史」のトレースである。ガソリン車は約3万個の部品がミリ単位で噛み合う「擦り合わせ技術」の結晶であり、日本の製造業が最も得意とする領域だった。これらは新興国が短期間で真似できるものではなかった。

 しかしEVへのシフトは、自動車を「走る精密機械」から「走る巨大家電」へと本質的に変化させる。EVの部品点数はガソリン車の約半分に減り、主要構造のモジュール化が急速に進む。勝負を決めるのは「幾多のギアをいかに滑らかに噛み合わせるか」ではなく、「いかに安く高品質なバッテリーを大量調達し、魅力的なソフトを積み、素早く市場に届けるか」という完全に家電と同じ土俵になるのだ。


 「中国車なんて安物で故障が多い」と高を括る声は今も根強い。だがこれは、かつて「韓国メーカーのテレビなんてすぐ壊れる」「画質は日本のブラウン管が世界一だ」とタカをくくっていた日本の家電メーカー幹部たちのセリフと瓜二つである。

 歴史の分岐点に立つ日本の自動車産業

 車は単なる移動手段から、車載OSや大画面ディスプレイと一体化した「移動するデジタル空間」になりつつある。BYDの「RACCO」にも10.1インチ画面や先進安全装備が惜しみなく投入されている。若い世代にとって「伝統のエンジン」より「スマホと繋がり維持費が安く使いやすいEV」の方が魅力的に映る可能性は高い。

 もちろん命を乗せる車は、販売網や信頼性という壁が家電以上に厚く、明日すぐ街が中国車で埋まるわけではない。

 しかし、じわじわと営業車やセカンドカーとして侵入し、「乗ってみたら案外いい」という体験が積み重なったとき、雪崩を打つように風向きが変わる。そのときには追いつけないほどコストとソフトの差が開いているかもしれない。

 全就業人口の1割近くを支える自動車産業が家電と同じ道をたどれば、日本経済の打撃は計り知れない。今日の発売は、単なる新型車発表ではない。日本の製造業最後の砦に向けられた「時代の警鐘」であり、私たちは苦い歴史の分岐点に立っているのだ。
【編集:TY】
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