中小企業の承継は、創業家だけの問題ではない。雇用、取引先、技術、顧客との関係を次世代へ渡せるかが、地域経済の持続性を左右する。
中小企業庁の「2025年版中小企業白書」は、経営者の半数以上が60歳を超える一方、若い後継者への交代が新商品、組織風土、投資を生む可能性を示す。問われるのは、承継後に何を残し、変えるかだ。
自動車整備・タイヤ業界では、判断が難しい。安全を支える熟練技術を継ぐ一方、季節による仕事量の偏り、人材不足、工賃の適正化にも向き合う必要がある。先代の信用だけに頼れば収益構造は時代に取り残され、改革を急げば働く社員との関係を損なう。後継者には、現場技術と経営数字を理解する時間が要る。
その渦中、2019年7月に株式会社比良タイヤ工業所の三代目社長に就いたのが、当時29歳の田中佑弥氏だ。1966年創業、1981年法人設立の同社は、名古屋市で大型トラックから一般乗用車までのタイヤ販売・交換・管理、車検、車両販売を手掛ける。就任時はフィットネス、環境関連、便利サービスなど立ち上げ直後の事業が並び、翌年コロナ禍が始まった。会社は2期連続の赤字に沈んだ。

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信用づくりは、入社当初の「分からない」状態から始まった。車や工具の知識は乏しく、アルミホイールの意味さえ分からない。
社長の息子でも特別扱いされず、先輩社員の指導を受け、約3年間、未熟さと向き合った。負けたくない一心で技術を覚え、少しずつ顧客を任されるようになった。
知識ゼロの経験は営業の強みになった。専門家が語る性能と、顧客が知りたい価値は同じではない。静粛性の高いタイヤなら、数字や構造でなく「家族とのドライブ中に会話しやすくなる」と伝える。自身が分からなかったからこそ、顧客の戸惑いを想像できた。
顧客へ価値を伝えられるようになり、社長として会社全体の採算に向き合った。田中氏は売上だけでなく、事業別の数字を見直した。赤字部門には厳しい判断を下し、社員が離れることもあった。全員に好かれるより、会社を残し、働く社員の生活を守る。若い後継者に最も重かったのは、決断の結果を自ら引き受けることだった。
厳しい整理の一方、先代が始めた事業をすべて否定はしなかった。
再建の糸口は、フィットネス事業だった。立地、設備、営業時間、顧客ニーズを分析し、過剰な設備を省いて毎月会費が入る形へ整えた。こうして、繁忙期に売上が偏るタイヤ事業を補う安定収益が育った。
フィットネス事業が収益の土台になると、本業の価値を問い直した。長年据え置いたタイヤ作業料金を改定し、作業の正確さ、速度、安全確認に見合う価格を顧客へ説明した。社員にも、自社サービスに自信を持つよう伝えた。別事業の支えがあったからこそ、顧客を失う不安の中でも適正価格へ進めた。

判断を自分のものにできた背景には、先代である父との距離もあった。社長を譲った父は答えを与え続けず、田中氏が経営者として決める機会を残した。新規事業の経費に疑問を持ちながら就任時に止められなかったことを、田中氏は準備不足と振り返る。先代を責めず、数字を理解し、意見を言える後継者になる必要があった。
数字を自分の言葉で説明できるにつれ、社員との向き合い方も変わった。
年上の社員や先代が採用した人にも、成果と役割を率直に話す。厳しい話を避ければ関係は一時保てるが、赤字が続けば全員の雇用は守れない。嫌われる可能性まで引き受けたことが、承継後の転換点だった。
現場、採算、価格、社員との対話を担った先に、事業承継の本質が見える。先代のやり方を守るか壊すかの二択ではない。比良タイヤ工業所は、先代が築いた信用と人材育成の文化を残し、新たな収益構造と適正価格を加えた。田中氏は、与えられた三代目でなく、現場と赤字を経験して経営者になった。

離職や赤字、判断の遅れまで語り、承継を美談で包まない姿勢が記録の信用を高める。再建後の利益構造、社員の定着、顧客評価を示し続ければ、田中氏の経験は、同族承継に悩む中小企業へ現実的な判断材料を提供するだろう。

田中氏の承継は若さを売る物語でなく、現場の未熟さと赤字に向き合い、判断の責任を負った再建の記録だと感じた。この経験が、次世代の承継者に現実的な示唆を与えると期待したい。
【取材/執筆:Y.U】
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