「おカネと肩書さえあれば、法律もルールも骨抜きにできる」—。民主主義国家を掲げながら、実態は一部権力層による私物化が横行するフィリピン。
その社会の底に澱のように沈殿しているのが、幹部公務員や政財界上層部を“神聖不可侵の特権階級”として崇め奉る歪んだ慣習。国家の秩序を守るべき官僚や警察幹部が、まるで王侯貴族のように振る舞い、周囲もまた「お上」として盲従する。この不条理な階級意識こそが、市民の命を脅かす悲劇を繰り返す元凶となっている。

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その致命的な弊害が最悪の形で露呈したのが、2026年8月、フィリピン南部サンボアンガ市の名門「アテネオ・デ・サンボアンガ大学」付属中等部で起きた銃撃事件だ。15歳の少年が校内で拳銃を乱射し、尊い命が奪われた。この凶行の背後には、権力者の威光にひれ伏す“特権スルー”という闇が横たわっていた。

犯行に及んだ少年の父親は、フィリピン税関局(BOC)保安部門の要職に就く高級幹部。少年は父親の車で登校し、地下駐車場からそのまま校内へ入った。本来なら生徒や来校者は金属探知機による厳重な手荷物検査を受ける。しかし、幹部や政財界の有力者の子女が乗る車両は、検査を事実上免除される“特別扱い”が常態化していた。

「VIPの車に乗っている」「偉い先生のお子様」——それだけで誰も制止できず、カバンの中身を改めることすら憚られる。特権階級への過剰な忖度がセキュリティに巨大な穴を開け、政府支給の官品拳銃「グロック22」を含む致死性兵器が、あっけなく教室へ持ち込まれてしまった。


さらに深刻なのは、公務員や警察官といった公権力を握る者たちの「銃器管理のルーズさ」と「特権意識による増長」だ。政府支給の拳銃は国家から託された厳重管理義務を負う道具であり、私物でも家族の玩具でもない。しかし、特権階級の自覚に浸る幹部層の間では、家庭内での銃器保管すら杜撰なまま放置されている。

この甘い体制が招いた惨劇は、サンボアンガだけではない。同年6月、レイテ島タクロバン市で起きた高校生による銃撃事件でも、酷似した構造が露呈した。犯行に使われた拳銃は、少年の叔母にあたる女性警察官が所有していたものだった。警察官でありながら甥に自宅へ侵入され、保管していた拳銃を持ち出されるという失態。市民を守るべき立場の者が、身内の14歳の少年による銃器奪取すら防げない。これは単なる不注意ではなく、「自分たちは特別で、ルールを破っても咎められない」というおごりの象徴である。

フィリピン社会では、高級官僚や治安機関幹部、地方の有力政治家(クラン)らは、法を超える存在として扱われがちだ。彼らやその家族は、交通違反から税金の免除、重大な防犯チェックに至るまで、あらゆる場面で“特別扱い”を享受する。現地メディアがこうした特権階級の慢心を報じるたび、市民の間には失望と怒りが広がる。
一般庶民には厳しい規則や罰則を徹底的に押し付ける一方、自らや子女は特権の傘に守られ、チェックすら受けずにすり抜ける。この二重基準こそが、フィリピンの発展を阻み、治安を腐敗させる元凶である。

税関幹部でありながら息子の過激化や銃の持ち出しを防げなかった父親。甥に拳銃を奪われ学校での凶行を許した女性警察官。彼らに共通するのは、特権階級という立場に甘え、公僕としての責任感を著しく欠いていた点だ。

そして市民や学校側もまた、「偉い人の車だから」「警察関係者の家族だから」と遠慮し、毅然と検査を行わなかった。権力にひれ伏す悪習を断ち切らない限り、どれほど金属探知機を増設しようと、第二、第三の悲劇は必ず繰り返される。

フィリピンが真の法治国家へ生まれ変わるためには、肩書や権力に関係なく、すべての人間が法の前に平等であるという当たり前の原則を取り戻さなければならない。“特権階級を崇める”という時代錯誤の悪習を打破することこそ、今この国に課された最大の課題である。
【編集:ソムチャイYASUMA】
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