創造力は育むにはどうすればいいか。昔ばなし研究者の沼賀美奈子さんは「スイスの昔ばなし研究者マックス・リュティは、昔ばなしは、背景や心理描写を語らないことで、物語の骨格だけがくっきり浮かび上がる、と分析している。
説明がないからこそ、子どもは耳から入った言葉を、瞬時に自分の頭の中で映像化しなければならない」という――。
※本稿は、沼賀美奈子『昔ばなしの魔法』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■自分の中にイメージがなくても時間が過ぎる
雨の日の午後。ゲームの時間はもう終わり。
「はい、もうおしまい」とタブレットを取り上げた瞬間、子どもが不機嫌そうに叫びます。
「えー、ひまだー! 何すればいいの?」
「絵でも描いたら?」と提案しても、「何を描けばいいかわかんない」。
「ブロックは?」「めんどくさい」。
結局、ソファーでゴロゴロしながら「ねえ、テレビ見ていい?」をくり返すだけ……。
そんな姿を見て、モヤモヤしたことはありませんか?
この子は、与えられた映像がないと、自分で時間を過ごすこともできないの?
自分の「これやりたい!」という意思がないんじゃない?
これは、子どもの性格のせいではありません。
現代の環境が、視覚優位になりすぎているからです。動画やゲームは、完成された世界を一方的に与えてくれます。キャラクターの服のしわ、背景の雲の動きまで、すべてが完璧に描かれています。

子どもはそれを受け取るだけで楽しめますが、その代償として、「自分の中にイメージがなくても時間が過ぎてしまう」経験が増えます。
ゼロからイチを生み出す、手持ちぶさたで退屈な時間が奪われていること。これが、創造性の芽を摘んでいるのです。
■昔ばなしが「子どもの想像力」を育む理由
失われた生み出す力を取り戻すために、昔ばなしの読み聞かせは最高のリハビリになります。
なぜなら昔ばなしには、「顔がない」からです。
絵本やアニメには絵がありますが、元々の昔ばなしには「声」しかありません。
そして昔ばなしの語り口は、徹底して細かい描写を省きます。
むかしむかし、あるところに、おじいさんがいました。
このおじいさんが、太っているのか痩せているのか、白髪なのかハゲているのか、着ている服は何色か。昔ばなしはいっさい説明しません。
スイスの昔ばなし研究者マックス・リュティは、これを昔ばなしの「抽象性」と呼び、背景や心理描写を語らないことで、物語の骨格だけがくっきり浮かび上がる、と分析しました。
説明がないからこそ、子どもは耳から入った「おじいさん」という言葉を、瞬時に自分の頭の中で映像化しなければなりません。

僕の知っているおじいちゃんかな? いや、もっとヒゲが長いかな?
声を聞いた瞬間、子どもの脳内ではものすごいスピードでフルCGの映画制作が始まります。監督も、美術も、キャスティングも、すべて子ども自身です。
■ゼロから自分だけの映像を立ち上げる
「鬼が来た!」と言われたら、自分にとって一番怖い鬼を想像する。
「美しいお姫様」と言われたら、自分が思う美しい人を思い浮かべる。
この「何もないところから、自分だけの映像を立ち上げる」トレーニングこそが、AIには真似できない創造力の源泉になります。
子どもが昔ばなしの世界を想像できるのは、大人とは違う理由からです。
大人は知識や理屈で情景を補いますが、子どもにはそれがない。
でも、その代わりに子どもが持っているのが、圧倒的な感情の強さや感性の鋭さ。
主人公と自分をピタリと重ね合わせ、ピンチのときのハラハラ、助けが来たときの喜びといった感情を使って、物語に没入できるのです。
知識や理屈がないからこそ、感性がダイレクトに動く。
昔ばなしが持つ余白と、子どもの内側から湧き上がる感情のエネルギーが出会うとき、創造力が引き出され、育まれます。
■創造する力は才能じゃない、余白で伸ばせる
日本の昔ばなし「桃太郎」を思い出してみてください。

絵本のイメージに慣れていると忘れがちですが、昔ばなしの「桃太郎」には、ほとんど決められた絵になるような描写がありません。
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
ここには、山の形も、川の色も、家の造りも出てきません。桃太郎の服装も、「きびだんご」の見た目も、鬼ヶ島の鬼の顔も、ほとんど説明されません。
その代わりに、子どもの側でどんどん設定が生まれます。
山はうちの近くのあの山かもしれない。川はこの前行った川かもしれない。鬼ヶ島は、地図のどこにもない不思議な場所かもしれない。
リュティが言うように、昔ばなしの舞台は「どこでもない、どこにでもありうる場所」として語られるため、子どもは自分の経験や感情を自由に使って、物語の世界を組み立てられるのです。
「桃太郎」が子どもにとってただの英雄物語ではなく、「もし自分だったら、どんな仲間を連れていくだろう?」と、物語を自分なりに変形して遊べる“型”にできるのは、この抽象性ゆえです。
子どもたちが、自分の言葉やイメージで物語を語りなおす姿を見てきて、創造性が育つのを実感しています。

かくいう私も三歳で祖母仕込みの「桃太郎」をそらんじるようになってからずっと「桃太郎」をその時々で語りなおして生きてきたように思います。
■現実ではありえないことに触れると起きること
世界の昔ばなしにも、リュティが指摘した特徴と「生み出す力」を育てる要素が色濃く表れています。
たとえばグリム童話の「ブレーメンの音楽隊」を見てみましょう。
年老いたロバや犬、猫、にわとりが、「もう役に立たない」と言われて家を追われ、ブレーメンを目指して旅に出るという筋書きです。ここでも動物たちの見た目や表情の細かい描写はほとんどありません。
にもかかわらず、子どもはロバの背中の重たさ、夜道の心細さ、泥棒を追い払う場面の痛快さを、自分なりの映像として思い描きます。
さらに、「動物がしゃべる」「音楽隊になって暮らす」といった、現実では起こりえない展開も、昔ばなしでは当たり前のように起こります。
こうした常識では考えられない物語を楽しむ経験が、子どもにゼロイチを生む力を育てるのです。
リュティは、昔ばなしを現実世界をつくりかえ魔法をかけた世界だと考えていました。そこでは、カエルが王子になったり、死んだ人が生き返ったり、年老いた動物が音楽隊として新しい人生を始めたりします。
この“ありえない飛躍”に何度も触れることで、子どもは「目の前に見えている世界がすべてではない」という感覚を自然に身につけます。

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沼賀 美奈子(ぬまが・みなこ)

昔ばなし研究者、大学講師

忙しい毎日の中で、研究とITベンチャー共同経営、3児の育児を両立させてきた実体験から、寝る前の5分、昔ばなしを読み聞かせることが「親子の救い」になることを発見。
時代に流されない昔ばなしの知恵を子育てに生かす活動を行っている。白百合女子大学大学院で児童文学を専攻、昔ばなし研究の第一人者・小澤俊夫氏に師事。小澤昔ばなし研究所に所属し、昔ばなしの研究を行う。昔ばなしを聞かせ続けた子どもたちは、難関中学や東京大学へ合格。著書に絵本『じゅうにしのはじまり』(世界文化社)等。

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(昔ばなし研究者、大学講師 沼賀 美奈子)
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