■日本で捕まった国際犯罪組織の最高幹部
警視庁は7月5日、プリンス・グループの幹部の一人とされるフー・シー容疑者(44)を、出入国管理法違反(在留カード提供など)の疑いで再逮捕したと発表した。同容疑者は中国出身でキプロス国籍。調べに対しては容疑を一部否認しているという。
朝日新聞は、匿名・流動型犯罪グループ対策本部が2つの行為を問題視したと報じている。一つは、4月17日ごろに大阪市内のホテルで自分名義の在留カードを別の女に手渡したこと。もう一つは、5月28日、そのカードを使って東京都中央区役所での印鑑登録手続きを別の男に代行させた行為だ。
同容疑者は2023年11月に「高度専門職」の在留資格を得ており、4月に中央区へ移り住んだとする虚偽の住民異動届を出したとして、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで6月14日にすでに逮捕されていた。
フー容疑者は「安全に暮らせる場所がほしかった。日本が候補になった」と語ったとされ、警視庁は日本の永住権取得を狙った動きとみて調べを進めている。
グループをめぐっては今年1月、大きな動きがあった。
CNNによると、陳容疑者は米連邦検察当局から、国際犯罪ネットワークを運営した疑いで指名手配されていた。中国政府の要請を受けたカンボジア当局が、合同捜査を実施。数カ月にわたる捜査の末に身柄を拘束し、他の中国人2人とともに中国へ引き渡した。
だが、首謀者が身柄を拘束されてなお、カンボジア国内では労働者を監禁し、オンライン詐欺への加担を強制する収容型施設、いわゆる「詐欺コンパウンド」の増殖が止まらない。
■ネットカフェ店主から首相顧問へ
陳容疑者は、中国・福建省の出身だ。
米財務省の情報によると、1987年12月16日生まれ。CNNは、省都・福州で、最初の事業としてネットカフェとゲームセンターを営んだと報じている。
2011年、陳容疑者はカンボジアの不動産投資へ乗り出す。当時のカンボジアでは、西部の港町シハヌークビルが大きく変貌しつつあった。2010年代、カジノ免許を容易に取得できる緩い規制に引き寄せられた中国系デベロッパーが次々とカジノを建て、かつてののどかなリゾート地はギャンブルの一大拠点へと変わりつつあった。
カジノとオンラインギャンブル産業が急拡大するにつれ、シハヌークビルは組織犯罪やマネーロンダリング(資金洗浄)、オンライン詐欺の温床にもなっていく。
CNNによると、陳容疑者は到着後まもなく、政府に25万ドル(約4060万円。7月9日現在のレート、1ドル162.31円で換算、以下同)を寄付すれば取得できる帰化制度を利用し、カンボジア国籍を手に入れた。やがて閣僚級の政府高級顧問にまで上り詰め、フン・セン元首相、さらにその息子で後継者のフン・マネット現首相の個人顧問を歴任した。有力実業家に与えられる名誉称号「ネアック・オクニャ」も授与されている。
奨学金や慈善活動を手がけ、政財界と太いパイプを持つカンボジア最大級の複合企業を率いる陳容疑者を、CNNは、「童顔の大物」と描く。
■逃げ道は「4カ国のパスポート」
しかし、カンボジア社会で上り詰めた陳容疑者には、裏の顔があった。複合企業の会長として不動産や金融を手がける一方、その事業を隠れ蓑に、もう一つの「帝国」を築いていたのだ。
米司法省の起訴状によれば、プリンス・グループは表向きは不動産開発・金融サービス・消費者サービスを標榜する巨大企業で、30カ国以上で数十の事業体を展開していた。
だが水面下では、陳容疑者と側近らがこれをアジア最大級の国際犯罪組織へと成長させていたとされる。カンボジア各地に築いた詐欺コンパウンドでは、人身売買で連れてこられた労働者が暴力の脅しのもとで暗号資産詐欺を強いられていた。
こうした犯罪事業を法執行機関の摘発から守るため、陳容疑者らは各国の公職者に賄賂を渡していた。
不正な収益の隠蔽も周到だった。アメリカとイギリスの当局は、プリンス・グループが世界各地に張り巡らされた100社以上のペーパーカンパニーや持ち株会社を通じ、汚れた資金を各国に還流させていたと指摘する。
一方で陳容疑者は、カンボジアのほか地中海の島国キプロス、南太平洋の島国バヌアツ、カリブ海のセントルシアのパスポートも保有していた。いざというときの逃げ道を、いくつも用意していたとみられる。
■1日48億円を稼いでいた詐欺手法
慈善家で首相顧問という顔の裏で、陳容疑者が率いるプリンス・グループはまったく異質な「事業」を動かしていた。
中核を担っていたのは、「ピッグ・ブッチャリング(豚の屠殺)」と呼ばれるオンライン投資詐欺だ。詐欺師はSNSやマッチングアプリで標的に近づき、数週間から数カ月かけて友情や恋愛感情をじっくり育てる。
頃合いを見て偽の暗号資産への投資案件に誘い込み、被害者が出金しようとすると手数料や税金を次々と請求する。最後は詐欺師もプラットフォームも被害者の前から忽然と姿を消すという手法だ。起訴状によると、陳容疑者の側近の一人は、グループが2018年に詐欺スキームを使って1日3000万ドル(約48億7000万円)を稼いでいた、と豪語したという。
こうした拠点で働かされているのは、多くの場合、自ら犯罪に加担した者ではない。人身売買の被害者だ。米ブロックチェーン分析企業のチェイナリシスによれば、犯罪組織はカスタマーサービスやデータ入力といったまっとうな求人を装って労働者を集め、現地に着いた途端、パスポートを取り上げて施設に閉じ込める。
起訴状は、プリンス・グループが2015年頃から、カンボジア国内で少なくとも10カ所の詐欺コンパウンドを運営していたと認定した。仕事を求めて集められた数千人が人身売買の末に送り込まれ、高い壁と有刺鉄線に囲まれた施設で、暴力の脅しのもとに詐欺の実行を強いられていた。
■生存者35人が語った「収容施設」の内側
起訴状によれば陳容疑者自身、殴打や拷問の写真を所持し、組織の意志に従わない労働者を殴れと部下に命じていた。一方、「殴り殺すな」とも念を押していたという。
2023年、プリンス・グループ傘下のカジノ企業「金貝集団有限公司(以下、金貝グループ)」が運営する閉鎖型施設で、中国国籍の男性イー・ミン・ダリさん(25)が殺害された。施設内部で、何が起きていたのか。命からがら脱出した生存者たちが、凄惨な実態を語っている。
金貝グループの表の顔は、高級ホテルやカジノだ。その裏では、カンボジア各地で恐喝や強制労働が横行する施設群を運営していた。
国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナルは、調査時点からさかのぼって6週間以内に施設から脱出または解放された35人の生存者から証言を集めた。それによると、施設管理者から性的暴行を受け、少なくとも2人の女性が妊娠していたことが判明。
このほか、指を切断された男性もいる。ある生存者は、脱走を試みた男性が管理者に喉を切られて殺される場面を目撃したと語った。
■犯罪で得た金で日本の高級物件を買い漁る
強制労働で得た収益で、陳容疑者と共謀者らは世界各地の高級品を次々と手に入れた。
一味が犯罪の収益で高級腕時計やヨット、プライベートジェット、別荘を買いあさったと、米司法省は指摘する。ニューヨークで開かれたオークションでは、ピカソの絵画まで落札した。
陳容疑者は、被害者から盗んだ資金を元手に暗号資産のマイニングも手がけていた。大量のサーバーを稼働させ、暗号通貨を取得する事業だ。起訴状によれば、「コストがないから利益は莫大だ」と豪語していたという。正規の事業なら自己資金で設備を購入し電力を賄う必要があるが、詐欺で奪った金を充てていたため持ち出しはなかった。
陳容疑者らは、こうした資金を日本にも持ち込んでいた可能性がある。香港のサウスチャイナ・モーニングポストが配信した共同通信の報道によると、陳容疑者は2022年、東京・千代田区にプリンス・グループの日本法人を設立した。
自ら事業を興すことで、長期滞在の在留資格を得る狙いがあったとみられる。2024年にはプノンペンの本社付近から港区の高級マンションへ住所を移している。現地の関係者によれば、陳容疑者は頻繁に来日していたという。
日本に物件を持っていたのは陳容疑者だけではない。国際調査報道NPOのOCCRPと調査報道メディア「Tansa」によると、同グループ関連企業のある取締役は2019年、千葉県千葉市の高級住宅地の物件を購入した。別の取締役は2021年に港区青山の物件を、さらに別の取締役は昨年5月に渋谷の物件を、それぞれ購入している。グループの関係者たちは、次々と日本の不動産に手を伸ばしていた。
■世界中で始まった「帝国」の摘発
陳容疑者が築き上げた帝国に対し、各国の法執行機関が一斉に動いた。
先陣を切ったのは米司法省だった。米ビジネスニュース専門局のCNBCによると、同省は昨年10月、陳容疑者が所有する暗号資産ウォレットから約150億ドル(約2兆4300億円)相当のビットコインを押収した。司法省史上、最大規模の押収となった。
米公共ラジオ放送局のNPRの報道では、陳容疑者は同月、電話やインターネットなどの通信手段を用いた詐欺を指す「ワイヤー詐欺」の共謀、および資金洗浄の共謀で起訴されている。
畳みかけるように、アメリカ・イギリス両政府は同日、陳容疑者と共犯者、関連企業への共同制裁を発動。イギリス当局もロンドン北部の邸宅(約1560万ドル、約25億3000万円相当)とオフィスビル(約1億3000万ドル、約211億円相当)を差し押さえた。
アジアの当局も、この流れに加わった。シンガポールは同月30日、金融資産1億1400万ドル(約185億円)超相当とヨットなどを押収。台湾の検察は昨年11月、容疑者25人を一斉に拘束し、約1億5000万ドル(約243億円)相当の資産を差し押さえた。フェラーリ、ブガッティ、ポルシェなど高級車26台に、台北の高級マンション11室が押さえられている。
同日、香港警察も現金や株式など約3億5300万ドル(約573億円)相当を押収した。
■共犯者だったカンボジア警察
各国の制裁と並行して、カンボジア政府も2025年7月、国内最大規模の取り締まりに乗り出した。
当局は200カ所以上の詐欺センターを閉鎖し、著名な首謀者も複数逮捕したと胸を張る。だがアムネスティは、独自の調査でその数字に疑問を突きつけた。同団体が特定した86カ所の詐欺コンパウンドのうち、当局が実際に介入した形跡を確認できたのは、わずか24カ所にすぎない。
取り締まりの最中も、被害者は守られるどころか、施設から施設へとたらい回しにされていた。東アフリカ出身の生存者ウィンタさんは、16歳のとき、クルーズ船で働けるという偽の求人に騙されて人身売買された。
摘発が始まると、当局の目を逃れるために別のコンパウンドへ移送されたという。「椅子に手錠でつながれ、2日間立たされた。それから殴られ、車に乗せられた」とウィンタさんはアムネスティに語っている。
プレイベン州の施設では、警察と施設側があからさまな共犯関係にあったと、複数の生存者がアムネスティに証言している。警察が施設に顔を出すことはあったが、実際にやることといえば、遺体を引き取り、管理者と世間話に興じながらコーヒーを飲む程度。取り締まりの期間を通じて、逮捕された者はいない。
■東南アジアに拡散する詐欺グループ
グローバルサウス研究メディアの米チャイナ・グローバル・サウス・プロジェクトは、取り締まりを受けてコンパウンドから姿を消した詐欺グループの大半はカンボジア国内のホテルやアパートに身を潜めており、一部はすでに国境を越え始めていると指摘する。
スリランカにはすでに1万~2万人規模が流入しつつあり、マレーシアやベトナムへの移動も確認されている。取り締まりによって犯罪が根絶されるどころか、詐欺グループはかえって周辺国へと拡散しつつある。
2026年1月、中国国営テレビCCTVが一本の映像を放映した。手錠をかけられ、頭にフードを被せられた男が、治安部隊に両脇を固められて飛行機のタラップを降りてくる。陳容疑者だった。
中国公安部は陳容疑者を「大規模な越境オンラインギャンブル・詐欺犯罪組織の首謀者」と断じ、法に基づき強制的に身柄を拘束したと発表した。だが、一人の「黒幕」を捕まえたところで、カンボジアの詐欺産業を一掃することはもはやできない。
国際調査団体のヒューマニティ・リサーチ・コンサルタンシーが昨年5月に公表したレポートによると、カンボジアのサイバー犯罪が生み出す年間収益は、推定125億~190億ドル(約2兆~3兆円)。同国GDPの実に6割に相当する。
■今日も20万人が詐欺拠点で働かされている
アムネスティは昨年6月の報告書で、カンボジア国内50カ所以上の詐欺コンパウンドにおいて奴隷化・人身売買・強制労働・拷問が横行していると指摘した。今年6月の調査報告書では、さらに33カ所を追加で挙げ、合計で86カ所の拠点を確認したと述べている。施設内に拘束され続けていた16カ国出身の73人が、この報告書に証言を寄せた。
CNNは国内に約300カ所の詐欺拠点が存在し、最大20万人が従事しているとの推計を伝えた。カンボジア経済の柱である縫製・繊維産業の雇用者数は、国連調べで約100万人。これに対し、詐欺に従事する人間の規模は、その5分の1に上る。
中国からカンボジアへ渡った詐欺界のカリスマにはついに手錠が掛かったが、一大産業となった詐欺行為はその後も鳴りを潜めることはない。
かつてまばゆいばかりのビーチで知られたシハヌークビルは近年、中国系企業の大量進出と一斉撤退を経て、ゴーストタウンの様相を呈しつつある。陳容疑者ら詐欺グループがもたらした治安の悪化は、これに輪をかけて、平和だったビーチタウンに拭えない汚点を残した。運営者はアジアへと広がっており、各地で治安の悪化が懸念される。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)

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