■寺を継ぐことに反発を覚えていた
愛媛県今治市にある禅寺「海禅寺」で、住職の父の元、副住職を務める薬師寺寛邦さん。「寺の息子」として生まれたものの、20代前半は寺を継ぐことに反発を覚えていたという。音楽活動にのめり込み、2007年にメジャーデビューを果たす。
「でも、そこで行き詰まってしまったんです」と、薬師寺さんが当時を振り返る。
「仏教から、住職を継ぐことから逃げるための手段としての音楽だったので、周りからCDを売るために色々なことを言われた時に窮屈になって、自分が何を伝えたいのか、そもそも何をしたいのかがわからなくなってしまいました」
そんな時、偶然立ち寄った書店で「禅の本」を見つけ、吸い寄せられるように手に取った。
「それを読みながら、幼い頃から意味もわからず音読していた経典『般若心経』がどういうものだったかを初めて考えるようになったんです。自分の内側にもともとあった仏教、禅を通して自分自身と向き合えば、本当に歌いたい、伝えたいメッセージを表せるのではないかと思いました」
イチからやり直そうと2011年、30歳にして京都市の天龍寺へ修行に入った。そこで大きな“気づき”を得る。
「修行時代、毎朝4時半に起きて約20人でお経を唱えるのですが、その時間が心が落ち着くというか、整っていく感じがあって、これを音楽にしたいと思ったのです」
■「すごく面白いものができた」と「やばいかな」
実はメジャーデビューの少し前にも、仏教への見方が変わり、曲作りの転機になった出来事がある。ある地方でライブを行った際、「故郷を想う」曲を歌うと、終演後に老夫婦が薬師寺さんの元にやって来た。そして、「曲を聴いていたら、自分を育ててくれた人のことを思い出した」と話してくれたのだという。
「その時、自分が歌で伝えていることと、父(住職)が法要でしていることはそれほど差がないのではないかと感じました。それまで仏教(僧侶)と音楽(ミュージシャン)を明確に線引きをしていたのですが、“分ける意味ってなんだろう”と思ったのです」
修行時代での読経によるインスピレーション、「これで音楽を作りたい」という気持ちを大事に、薬師寺さんは『般若心経』にメロディーを乗せて歌ってみたいと思い立った。
「ハモることが好きだったので、自宅のスタジオを使って多重コーラスを入れてみることにトライしたのです」
ひたすら『般若心経』を唱え続け、自分の声をハモらせていく。そうして出来上がったのが代表曲『般若心経』である。
「音源ができた時、『すごく面白いものができた』というのと、『やばいかな』『大丈夫かな』という二つの気持ちがありました。でも家族や仲間に聞いてもらうと、癒される、面白いやん、いい雰囲気というポジティブな反応。私自身も、散歩しながら音楽の『般若心経』を聴いていると、当たり前の景色が違って見えるという、不思議な感覚でした」
やがて僧侶の薬師寺さんが『般若心経』を歌う動画がSNSで注目され、中国や台湾、香港など海外からライブの依頼が舞い込んだ。
コロナ禍ではライブができなくなったが、日本のお寺でミュージックビデオを撮影することに切り替えた。さまざまなお寺で、そのお寺のイメージにアレンジした『般若心経』の曲を歌い、映像を作るのだ。それがコロナ禍でぐんぐん広がっていった。
■賛否を生むようなギリギリのライン
薬師寺さんは「ヒット商品」を生み出すコツについて、こう話す。
「今、流行っている音楽がこういう感じだからと、それに寄せて作っても、聴く人には絶対に届かないと思います。
もう一つ、賛否を生むようなギリギリのラインを乗り越えていく勇気も必要ではないかという。
「般若心経をリリースした際、友人の僧侶から『崖から飛び降りた』『俺ならできない』と言われました。私自身も曲ができた時、『やばいかな』と心配した気持ちをお話ししましたが、それでもこの曲を多くの人に聴いてほしかった。そんな自分の好奇心、本当の気持ちを大事にすることだと思います」
でも仮に好奇心から発案した何かがうまくいかなくても、「思い通りにいく人生は面白くないですよ」と笑う。
「メジャーデビューした時のことは世間から見れば成功したと言えないでしょうし、修行時代も想像以上に苦しかったです。そして今も思うようにいかなかったり、イレギュラーなことも多々起こったりしますが、だから人生は面白いんだと、最近はその過程を楽しむようにしています。苦しみといいますか、“試練”があるからこそ、人は自分が何を求めているのかを見出し、また幸せを感じられるのです」
■『般若心経』は特殊
ところで、なぜ『般若心経』を選んだのか。
「『般若心経』は特殊です。他のお経では明確な功徳やご利益、災を消しますというメッセージがあったりするでしょう。でも『般若心経』にはそれがありません。
私はYouTubeで薬師寺さんの『般若心経』を聴いた時、正直、「生き方を問われている」ようには受け取れなかった。ただ、繰り返し聞きたくなるような心地良さを感じた。薬師寺さんは「なんでも自由に感じてくださっていい」と述べつつ、「『般若心経』の文字に一文字一文字向き合っていくと、心悩むことが自動的にリセットされるはず」と言う。これを読むあなたも、ぜひ一度聴いてみてほしい。
■新しい形の住職
最後に、「寺を継ぐ」ことに今はどのような思いでいるのだろうか。
「住職というのは言葉通り、“住みながら職を全う”することで、檀家(ある寺院を経済的に支える家)制度があり、それによってお寺を守っていくという文化が江戸時代からありました。でも私の世代交代のタイミングでは、それにとらわれず、新しい形の住職ができればいいなと考えています」
自ら出向いて歌うように、住職になったらいろんな場所で「心を整えるきっかけ」が作れればいい――『般若心経』を歌いながら多くの人とつながってきた僧侶・薬師寺さんらしい答えだと思った。
薬師寺寛邦(やくしじ・かんほう)
1979年生まれ。
【YouTubeチャンネル】https://www.youtube.com/channel/UCIzrjVw3rZfaoorzW75JOCA
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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ノンフィクション作家、ジャーナリスト
1978年生まれ。本名・梨本恵里子「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)、『老けない最強食』(文春新書)など。新著に『国民健康保険料が高すぎる! 保険料を下げる10のこと』(中公新書ラクレ)がある。
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(ノンフィクション作家、ジャーナリスト 笹井 恵里子)

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