■民家にクマが侵入するようになったワケ
今年もクマの目撃情報が相次いでいる。
中でも岩手県雫石町の民家にクマが押し入った事件は衝撃的であった。
なんとこの1週間で4度も、クマが屋内に侵入したというのである。
報道によれば、7月5日には、<家の外に追い払ったクマが立ち上がって玄関の扉を開けて再び入ろうとしたので、男性は扉を必死に2分間にわたって閉めていた>といい、さらに8日深夜には、自宅1階の居間で横になっていたところ、<顔の近くに息がかかるのを感じて目を開けると、至近距離にクマがいた>というのである。家の中にエサがあることがわかっていて、何度もやってくるのだという(「読売新聞オンライン」7月11日・13日)。
クマが1度、味を占めたものに執着することは、よく指摘されるところである。
筆者は過去に北海道で発生した人喰い熊事件を数多く発掘したが、馬や鹿、人間を襲ったヒグマは、喰い残した死体を埋めたり、ササなどで隠蔽する。そして横取りを警戒して、現場近くに居座ることが多い。
昨今のクマ出没の背景には、過疎化により人間が山から撤退することで、里山に残された柿や栗のような果樹をクマが荒らし、「人間の食べ物の味」を学習してしまったことが挙げられる。
■黒い大きな物体にジロリと見られ
本件のクマも、里山から住宅地にまで降りてきて、人家にエサがあることを学習し、付近に居座ってしまった可能性がある。
というのは、実は筆者が住む東京都奥多摩町の自宅にも、過去に2度もクマが出たことがあるのだ。
1度目のクマ出没は、ちょうど「リオデジャネイロ五輪」の頃なので、2016年8月のことであった。
午後8時頃、ウッドデッキの方から「ドスン」という、かなり大きな音がした。
その頃はネコを飼っていたので、また暴れたのだろうと思いながら、一方で、そのわりには、やけに大きな音だったなと疑問を感じつつドアを開けた。
ウッドデッキの梁(はり)の上に、なにやら黒い大きな物体がいた。
そいつが筆者のほうをジロリと見た。体長は1メートルほどもあろうか。
頭が混乱したまま3秒ほど眺めていたが、次の瞬間、ほとんど無意識にドアを閉めてカギをかけ、全開だった窓も施錠した。
頭の中は真っ白である。意味もなく室内をウロウロする。映画などでよくあるシーンだが、まさか自分も同じことをするとは思わなかった。
■これは事件なのか、事故なのか
どうする。どうする……そうだ。
でも誰に? 役場? 消防?
そこで筆者は、生まれて初めて110番というものをかけてみた。
きっちり2コール目で、男性の冷静沈着な声が響いた。
「警察です。事件ですか、事故ですか?」
……事件⁉ 事故⁉
思ってもみない質問に、しばし悩む。
とりあえず刑事事件ではないか。強盗とか殺人ではないし。
では事故なのか? しかしなにか起こったわけでもない……。
「事故……ですかねえ」
「事故ですね。事件ではないんですね?」
畳みかけるような質問に、さらに頭が混乱する。
「と、とにかくクマが出たんですよ!」
「クマはどこにいるんですか?」
「わからないですよ」
「わからないって、クマがいるんですよね?」
「だから! 家の中にいるから、外の様子なんてわからないの!」
「クマはどっちに逃げましたか?」
「それもわからんっつーの!」
「あ、場所はわかりました。30分ほどでそちらに向かいますから」
電話は一方的に切れた。
どうやら通話を引き延ばして位置情報を解析していたらしい。
■クマが狙っていた「獲物」とは
それからまんじりともせずに警察の到来を待った。しかしやはり様子が気になる。ドアを細めに開けて外を窺(うかが)ってみた。ウッドデッキはいつも通りで、照明もつけっぱなしである。しかしよく見ると、ものすごい数のスズメバチが飛び回っているではないか。
そこでようやく理解できた。
実はウッドデッキの天井に、キイロスズメバチが巣を作っていたのである。
とはいっても高さ3メートル以上もあり、人を攻撃してくることもなかったのでホッタラカシにしていた(スズメバチは、女王バチ以外はすべて、ひと夏で死んでしまい、空っぽの巣だけが残る)。
クマが狙ったのは、おそらくハチの子だったのだろう。
バットを手に、おそるおそる外に出てみる。なんと、バレーボール大ほどに育っていた巣が叩き落とされ、粉々になっているではないか。
そりゃあそうだろうなあ。かわいそうに……と、そこで赤色灯が通過するのが見えた。しかし道路に出るには、スズメバチの大群の中をかいくぐっていかなければならない。姿勢を低くして、なるべく刺激しないように通過する。
次の瞬間、左ふくらはぎに激痛が走った。激痛なんてものではない。シビレが全身を突き抜ける感じである。
■スズメバチに刺され、激痛に耐えながら
這うようにパトカーに辿り着くと、のんきそうな警官と、猟友会のオジサンが顔を出した。
「通報された方ですか?」
「そ、そうです……」
「クマはどこへ行きました?」
「わ、わかりません……」
そこでようやく苦痛にうめく筆者の顔に気づいたのか、
「どうしたんですか?」
「いやあの……スズメバチに刺されまして」
しかし警察にとってはスズメバチなどどうでもよいらしく、話題はすぐにクマの話に戻る。
「実は他にも通報がありましてね。さすがに拳銃じゃ効きませんからねえ」
などと言いながら、懐中電灯をアチコチに向ける。
「あの、これからどうしたら……」
「家から出ないで大人しくしててください」
「はあ」
再びスズメバチをかいくぐって自宅へ戻る。
その日は激痛のため、早々に寝ることにした。
■「やばい、このままだと死んでしまうかも…」
翌朝……。
多くのスズメバチは姿を消していて、2、3匹が名残惜しそうに飛び回っているだけであった。ふくらはぎはパンパンに腫れていたが、痛みはだいぶ引いていたので、蜂の巣の片付けを始めた。しかし動き始めると頭がフラフラしてきて、とても立っていられない。寝床に這い戻り、1時間ほど横になる。症状はひどくなる一方である。
やばい。このままだと死んでしまうかも……。
死ぬ思いで体を起こし、前後も覚束ない状態でなんとか病院に向かった。
「アナフィラキシーガイドライン」(日本アレルギー学会)によれば、何らかのアレルギーを持っている人の割合は、およそ22人に1人(4.5%)で、このうちアナフィラキシーを発症する人は200人に1人(0.5%)、さらに死亡にまで至るケースは2000万人に1人(0.000005%)程度とのことである(死者数は毎年50人~70人。
筆者の場合、幸い「致命的な人」ではなかったものの、「200人に1人」のレアケースに該当してしまったわけであった。
数日後、隣の集落でツキノワグマが1頭捕殺されたが、それが同一のクマだったのかどうかは不明である。
それにしても何も悪いことをしていない筆者が、なぜこんな目に遭わなければならないのか。
■「フーッ、フーッ」と荒い鼻息
2度目の出没は2020年、なぜかこの年も五輪(幻の東京オリンピック)の年であった。
午後7時40分頃。
やはり自宅離れで仕事をしていると、母屋のほうから、例えて言うなら大型家具がひっくり返るような、ものすごい音がした。
驚いてドアを開けると、暗闇の中、ウッドデッキにぶら下げてあったBBQ用の鉄板がガタガタ揺れている。
なにやら動物がいるようだ。またアナグマだろうか(その年の冬によく見かけた)。そう思って、
「コラ!」
怒鳴ると、鉄板の揺れが止まった。
「フーッ、フーッ」
闇の中に、黒いシルエットが浮かび上がった。
4年前に見たやつよりデカイ……あわててドアを施錠した。
あれは間違いなく、やばいヤツだ。こちらに気づいても逃げようともしない。
ドア越しに様子を覗(うかが)うと、「フーッ、フーッ」と荒い鼻息が聞こえる。ドアの目の前まで来ているのだ。いよいよやばいぞこれは……。
手近のバットを引き寄せて握りしめる(前のことがあったので備えておいた)。
さらに外を覗うと、再び鉄板の油をなめ始めたようだ。ガタガタ音が聞こえる。
こういうときに限ってスマホは母屋である。そこでパソコンに取りすがり、SNSで地元の友人にメッセージを送る(SNSでSOSとは、これいかに⁉)。
すぐに返事が来て、代わりに警察に連絡してもらうことにして、家の中で待機する。
ガタガタは鳴り止まない。
なんとか追い払えないものか……。
■わずか4メートル先に興奮したクマが
窓からそっと顔を出してみた。やはり暗闇でよく見えない。意を決して怒鳴ってみる。
「コラ!」
ガタガタは鳴り止まない。
「オイ!」
まだ止まない。
「オイコラ!」
……止まった。
「フーッ、フーッ」
鼻息とともに、そいつは姿を現した。
真っ黒い巨体。体長は1.5メートルはありそうだ。
顔はひと抱えもある。興奮して毛が逆立っている。
距離は4メートルほどしかない。
前を横切っていたのが、急に方向を変えて、こっちに向かってきた。
うわわわわ……。
慌てて窓を施錠して、カーテンを閉じる。
やばい。窓ぶち破って入ってきたらどうしよう。
バットを握りしめて息を殺す。
しばらく待って、恐る恐るカーテンを開けてみる。
クマの姿は見えなかった。
なんとかしてスマホを取りに行きたいので、意を決して外に出てみた。この時が一番緊張した。
電灯をつけると、ウッドデッキは散々だった。テーブルがぶっ倒され、モノが散乱してメチャクチャである。
そこで理解した。
この半年ほど、テーブルが囓られたり倒れたりしていることが何度もあった。
ベランダのサッシに体をこすりつけたような泥の跡があったりもした。
あれはすべて、コイツのせいだったのだと。
その後、駐在さん3人がやって来て、翌日以降、猟友会さんが駆除に来てくれることになった。
数日後に隣の集落で1頭捕獲されたと聞いたが、その後、拙宅には出なくなったので、コイツだったのかもしれない。
■過去に起きた「凄惨な事件」
冒頭のように、筆者は、数え切れないほど人喰い熊事件を見てきたが、人家にクマが侵入したケースというのは極めてレアである。
有名なところでは、明治11年の札幌丘珠事件(4人死亡)、大正4年の苫前三毛別事件(7人死亡)、大正12年の沼田幌新事件(4人死亡)が凶暴な事例だが、他にもいくつか挙げてみよう。
一八七五年十二月八日、虻田郡弁辺村(現・豊浦町)の山田孝次郎宅に、一頭の猛熊が侵入し、同家に寄留している関川善蔵氏を咬殺し、孝次郎氏の長女と、やはり同家に寄留している亘理慶蔵の母に傷を負わせた。この事件の発生を知った岡田伝次郎氏は、すぐさま山田宅にアイヌ猟師六人とともに救援に駆けつけ、この猛熊を銃殺した(『新版ヒグマ 北海道の自然』犬飼哲夫 門崎允昭)
川上郡剣淵零号線、柳町市太郎(二六)が本月七日、無残にも喰い殺された椿事は当時報道したところだが、今その恐るべき顛末を左に詳報すると、(中略)七日午後七時頃、前記柳町市太郎が独りで夕飯を食している時、突然、前記の大熊が草壁を破って侵入して市太郎に飛びかかったので、卒倒せんばかりに打ち驚き、声を限りに救いを呼びつつ付近の安井某の宅目がけて逃げ込もうと懸命に走って行ったが遂に捕らえられた。安井某は市太郎のけたたましい悲鳴に打ち驚いて硝子窓より眺めると、熊は市太郎の背部より猛然躍り掛かると、その両足をつかんで風車のごとくクルクルと廻しながら悠々草藪中に姿を隠したが、身の毛もよだつこの恐ろしい現場を目撃しながら農家の事とて手の下し様もなく、みすみす恐怖におののきつつ悲鳴の遠ざかり行くを聞くのみであったと。(中略)玉木猟師の弾丸が美事に命中して首尾よく捕獲することを得たが、一方市太郎の死体は被害現場から約五百間の箇所において、わずかに頭と手足とのみを喰い残し、一面に鮮血にまみれた凄惨なる有様で発見され、見る者をして真に率然として肌に粟を生ぜしめた(「北海タイムス」大正6年11月27日)
■巨熊5頭が炭焼き小屋で暴れ回り…
九月三十日夜七時頃、外知床字保多村より山中約十五町奥の炭焼き小屋へ突然、大熊五頭が現れ屋内を暴れ廻り、折柄同小屋内に起居していた佐々木某および山口某両君がかくと知り人と熊との間に大格闘が起こり、大胆にも佐々木は巨熊と組み打っていたが、ついに巨熊のため惨々なる目に会ってその場に打ちのめされ絶命した、一方山口は辛うじて深手を負いながらもようやく部落まで逃げのび村氏に逐一を物語ったが、なにぶん深手であるため生命は覚束ない(「樺太日日新聞」昭和5年10月2日)
数日前、倶知安町字岩尾別の農家付近に一頭の大熊現れ、岩内道路に面した農家の台所より屋内に入り、汁鍋と飯櫃をひっくり返してこれを喰らい悠々逃げ去ったが、当時家族の者は畑に行き、一名の少年が留守をしていたが、恐怖のあまり奥座敷へ駈け込み、頭から布団をかぶり息を殺してうかがっていると、熊はそのまま逃げ去ったと(「小樽新聞」大正5年10月23日)
■明らかに「エサ場」と認識していた
筆者の実体験に戻れば、1度目のケースは比較的ノーマルで、クマは筆者を認めるとさっさと逃げ去った。
しかし2度目のケースは危険である。この時のクマは、明らかに拙宅を「エサ場」と認識しており、筆者を認めると、エサを横取りされまいと排除行動、つまり攻撃に出た。
体格からして十分に育ったオスの成獣で、人間を恐れない危険な個体であった。
この場合は、筆者のように無理に追い払おうとはせず、身の安全を確保した上で警察に連絡するのがよいと思う。
そして冒頭のケースにもあるように、再び出没する可能性が高いので、確実に駆除することが肝要だろう。
それにしても物損ですんだのは幸いであった。
もしもあの時、窓から侵入されていたら、怪我ではすまなかったに違いない。
「人喰い熊評論家、クマに襲われ重傷」
などと報道されたら、天下の笑いものではないか。
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中山 茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家、人喰い熊評論家
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。新刊『人喰い熊大国ニッポン』(小学館新書)が8月1日に発売予定。
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(ノンフィクション作家、人喰い熊評論家 中山 茂大)

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