北朝鮮は日本にも引けを取らないビール大国だという。辺境リポーターの大熊杜夫さんは「英国直伝の本格的な醸造スタイルで多種多様なビールを作っている。
その味わいは驚くほど素晴らしい」という――。
■「隠れビール大国」である北朝鮮
「北朝鮮製」と聞くと、読者の多くは制裁下にある貧しい国の時代遅れの粗悪品を思い浮かべるかもしれない。しかし、少なくとも北朝鮮は我々の想像を遥かに超える素晴らしい製品を製造している。それは「ビール」だ。
キリンビールの調査によると、日本は世界で11番目にビールを消費(年間1人当たり34.5L)する有数のビール愛好国だが、市場の主流はすっきりとしたピルスナーに偏重しており、長らくキレとのどごしが至上とされてきた。
一方、筆者が中国・中朝国境の街の隠れた名店で出合った北朝鮮ビールは、日本とは方向性が違う。キンキンになるまで冷やして飲む軽やかでキレのあるビールではなく、英国直伝の本格的な醸造スタイルを色濃く残す、極めて重厚な味わいのビールが多い。グラスに注がれた深い黄金色、あるいは黒色の液体は、麦芽の芳醇な香りとホップの心地よい苦味、そしてきめ細やかな泡立ちで、素晴らしいクオリティだ。
この一杯を前に、「北朝鮮=粗悪品」という先入観が鮮やかに打ち砕かれた。実は北朝鮮は、国家レベルで極めて高度な醸造技術を保持する「隠れビール大国」なのだ。
■イギリスの老舗醸造所の設備を移築
なぜ、北朝鮮のビールは本格的なのか。その背景には、国家の威信をかけた歴史的執念とも呼べるエピソードが隠されている。
北朝鮮の超有名ビール「大同江ビール」を軸に、時計の針を2000年に戻そう。
その年、イギリスで約200年の歴史を持つ老舗のビール醸造所「Ushers(アッシャーズ)」が経営破綻した。同じ頃、北朝鮮は「苦難の行軍」と呼ばれる経済不況に瀕しており、そのために諸外国の人道的支援を受けていた。その援助で調達した資金を元手に、故・金正日総書記の特命の下、この醸造所の設備一式を150万ポンドで丸ごと買い取ったのである。
驚くべきは、その徹底ぶりだ。現地に派遣された北朝鮮の代表団と技術者たちは、単に主要な機械を搬出するだけでなく、工場建屋の中のワークショップ全体を完璧に何も残さず解体して運び出した。当時の関係者が「壁に埋め込まれた配線に至るまで全て引き剥がして持ち去った」と回顧するほど。そうして、数千kmも離れた平壌へと移設したのだ。
■厳格な管理体制が育むクオリティ
ヨーロッパから「そっくりそのまま」運ばれた設備は、平壌の寺洞(サドン)区域に「大同江ビール工場」として再構築され、2002年に生産を開始した。
ちなみに、このときに定められたのが、現代も守られている「麦芽と白米の配合比率によってナンバリングする」という命名規則である。これはロシアの「バルティカ」ビールに倣った手法で、1番から7番までの番号が几帳面に振られており、徹底したナンバリングで多様なフレーバーを管理しているのだ。
結果的に、この社会主義らしい厳格な管理体制が生んだクオリティは、敵対する欧米メディアすらも驚愕させた。
米ニューヨーク・タイムズ紙は「朝鮮半島で生産された最高のビールの一つ」と絶賛し、英経済誌『エコノミスト』にいたっては「北朝鮮が韓国を打ち負かすことができる唯一の分野」とまで称した。
これこそが、彼らのビールが妥協なき本格派である最大のカラクリなのである。
■地方経済自立のための戦略的手段
北朝鮮ビールは、現在の金正恩政権下において、さらに近代的な進化を遂げている。現在、北朝鮮ではビールを単なる嗜好品にとどめず、地方経済自立のための戦略的手段と位置づける「地方工業発展20×10政策」が強力に推し進められている。
特筆すべきは、最高指導者である金正恩総書記自らが、まるで現代資本主義企業のCEOのような極めて実務的な品質管理の号令をかけている点だ。公式報道によれば、長淵(チャンヨン)郡に新設された地方食料工場を視察した際、同氏は「原料の選別から製品の出荷に至るまでの工程別に、標準操作に関する指導書(マニュアル)を作成し、厳格に遵守する体系を構築しなければならない」と具体的な指示を下した。
ただ闇雲に工場を建てて生産させるのではない。品質のばらつきをなくすための徹底したマニュアル化を要求し、さらには「新設された地方工場の間で開発競争、品質競争を積極的に展開せよ」と、各地域の工場同士を競い合わせることで国全体の技術水準を底上げするよう求めているのだ。地域の原料を活かした「地ビール」の開発を奨励し、厳格な品質管理と競争原理を導入する。社会主義国でありながら、その経営手法は驚くほど合理的で近代的なのである。
■各都市にビアホールが続々と誕生
ビール自体の品質の向上と歩調を合わせるように、ビール文化もまた劇的な変化を遂げている。その最前線ともいえるのが、平壌をはじめとする都市部に次々と誕生している大型ビアホールの存在だ。

直近で平壌の和盛地区に新設された「和盛大同江ビール店」の姿は社会主義国家のものとは思えない。店の外には夜空に映える巨大なジョッキ型のモニュメントが鎮座し、市民たちがスマートフォンで楽しげに記念撮影に興じている。店内は1階には広大なホールがあり、2階には個室、さらにビリヤード台まで完備された現代的なエンターテインメント空間もある。洗練されたカウンターに並ぶタップからは数種類の生ビールが注がれ、中でも市民の一番人気は口当たりの良い「2番」だという。
こうしたビアホールでの定番スタイルは、日本のビジネスパーソンが親しむ「立ち飲み居酒屋」や「センベロ」のような感じだ。客たちはビールジョッキを片手に、干し明太(スケトウダラ)を無造作に手で裂き、タレにつけて頬張りながら談笑する。テーブルの上には、厨房でカラリと揚げられた西洋風のフライドポテトもある。
■文明的で豊かな生活の象徴として
注目すべきは、この活気に満ちた大衆酒場文化が、平壌から地方都市へと波及している点だ。金正恩総書記は「各道の所在地(中心都市)に、平壌の『大同江ビール店』のような立派なビール店を構築するように」と直接指示を下しており、実際に中朝国境の羅先市には「豆満江ビール店」が開業した。
ビールを痛飲できるビアホールという空間そのものを「首都並みの文明的で豊かな生活」の象徴とし、それを地方住民にも享受させることで格差感や不満を和らげるのは、とても有効な政策なのかもしれない。
いずれにしても、北朝鮮の人々も我々と同様に美味いビールを飲んで他愛もない話をして、生活のガス抜きをしているのだろう。
■北朝鮮産ホップが生み出す力強い味
では、最近の中国において、北朝鮮ビールはどうなっているだろうか。
筆者が2024年から直近にかけて、丹東や延吉といった朝鮮との国境に近い街で実地調査を重ねたところ、かつて「大同江ビール」一強だった市場に驚くべき変化が起きていた。現在では、他にも「龍城」や「平壌」など、多様な北朝鮮ビールが流通しているのだ。
ここで、国境の街の最前線で実際に味わった銘柄の圧倒的なポテンシャルをレビューしよう。特筆すべきは、丹東に店を構える大同江ビール唯一の海外直営店「朝鮮③ビアホール(朝鮮3啤酒坊)」の存在だ。北朝鮮の切手社が開業記念切手を発行することからもわかるように正真正銘の直営店であり、1階には醸造施設を完備している。北朝鮮レストランで提供されるのは瓶の2号が多い中、ここでは平壌でしか取り扱っていない全銘柄の「生」を味わうことができるのだ。
前提として留意すべきは、北朝鮮のビールは基本的にホップに至るまですべて自国生産を謳っている点だ。他国のビールのような華やかなアロマとは一線を画す、土着的で麦の旨味が引き立つ力強いベースラインが全体に共通している。
■大同江ビール「黒ビール5号」
この直営店が提供する「飲み比べセット」の中で、筆者のナンバーワンを挙げるなら、看板ブランド・大同江の王道ナンバリングをあえて外した黒ビール「5号」である。グラスに注ぐと真っ黒な色合いの本格派で、コーヒーの風味を感じさせるような奥深い苦味と濃厚なコクが漂う。ビールのお供として少し濃いめの味に作られたおつまみ、名物の少し黒ずんだ冷麺と一緒に流し込めば、至福の時が訪れる。日本のクラフトビールファンも、この味わいには唸らずにはいられないだろう。

さらに驚かされたのが、2026年に中国側での仕入れが始まったばかりの「妙香(ミョヒャン)ビール」だ。従来の北朝鮮ビールのイメージやコク重視の傾向を覆す、果実味あふれる鮮烈な酸味が特徴で、現代のビールのトレンドを押さえていた。
一方、日本人の味覚に最も馴染むという意味で安心感があったのが「龍城(リョンソン)ビール」である。中国に流通する北朝鮮銘柄で唯一となる640mlの大瓶を採用しており、口当たりが非常によく、日本の「サッポロ瓶ビール(赤星や黒ラベル)」を思わせる確かな麦の美味さと安定感がある。
■多種多様なビールが製造されている
もちろん、北朝鮮ビールのすべてが完璧というわけではない。「政府高官御用達」という触れ込みのプレミアム感ある「鳳鶴(ポンハク)ビール」は、確かに独特の甘みはあるものの薄く、ボディに物足りなさがあり、期待とのギャップが大きかった。
また、お土産用としても広く普及している「平壌(ピョンヤン)ビール」は、良くいえばライトで飲みやすいが、その味は北京の「燕京(ヤンジン)ビール」にそっくりで、やはり「薄い」印象だ。実態としては、大衆向けの廉価版という印象が拭えなかった。
このように「濃厚な黒、最先端の酸味、王道の安定感、そして大衆向けの薄味」と、その味わいは実に多彩だ。北朝鮮のビールは、単一の味から「多様なターゲットの味覚を狙い撃ちする」段階へと、我々の想像を超えるスピードで進化しているのである。
■外交関係の変化で輸出先を変更
さて、多様なターゲットを狙う北朝鮮のビール戦略は、ポストコロナにおける外貨獲得の一形態といえよう。これら北朝鮮製のビールが中国市場へ流れ込む背景には、制裁下を生き抜くための緻密な工夫が隠されているのだ。

筆者が各銘柄の裏ラベルを検証したところ、特定の巨大商社が流通を独占するのではなく、銘柄ごとに個別の中国企業が紐づく「1銘柄1社」という分散的な構造が採られていた。興味深いのは、一部銘柄の輸入元が「文化発展」や「科技」といった社名を冠していることだ。たまたま彼らの人脈で見つかった貿易会社がそこだったのかもしれないし、一見して貿易とは無縁な業態に「擬態」することで、監視の目を潜り抜けようとしている可能性もある。
また、彼らのサプライチェーンは、我々の想像以上に政治的だ。一時期、中国市場に大量流入していた「豆満江ビール」は突如として姿を消したが、時を同じくして、急接近するロシア市場での販売開始が報じられた。市場原理ではなく、外交関係の変化によって一夜にして輸出先を切り替える姿は、地政学的なダイナミズムそのものだ。
国家レベルで見れば、北朝鮮ビールは制裁を回避し、外貨を稼ぎ、外交カードとして使うための極めて優秀なツールとして機能している。我々が「北朝鮮=粗悪品」という先入観を抱いている間にも、彼らはしたたかに国境の向こう側で極上の一杯を売り捌いているのだ。

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大熊 杜夫(おおくま・もりお)

辺境リポーター、ライター

2001年、神奈川県生まれ。北京外国語大学を経て愛知大学へ。現在、宮塚コリア研究所研究員。専門は中朝国境を中心とした北朝鮮事情、および金日成バッジや北朝鮮ビール等の物質文化研究。コロナ禍の北京留学中に中国全土を踏破し、特に中朝国境地帯へは20回以上も足を運んでおり、「辺境レポーター」としての顔を持つ。徹底した現場主義に基づき、北朝鮮レストランの動向や内部事情にも精通。中日新聞・東京新聞をはじめとする国内メディアのほか、解放日報など中華圏メディアでの取材協力実績も多数。論文に「北朝鮮『肖像徽章』の研究」がある。

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(辺境リポーター、ライター 大熊 杜夫)
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