自分の親などを在宅で看取ることになったら、何に気を付ければいいのか。在宅緩和ケア医の萬田緑平さんは「多くの人が亡くなる直前までもつ欲求は、オムツに排泄するのではなく、これまでと同じようにトイレに行きたいということだ」という――。

■最期の言葉が「トイレに連れていけ」
緩和ケア専門の医師として、在宅で最期を迎えるがん患者の人を2000人以上、看取ってきました。患者さんたちを診ていると、亡くなる前日まで、家族や看護師さんの手を借りて歩いてトイレに行ったり、亡くなる間際に「トイレに行きたい」と言う人は珍しくありません。トイレに連れて行って便座に座らせると、そのままそこで亡くなる方もときどきいます。
それとは反対に、トイレに行けそうもないと思ったらすぐに諦めておむつを受け入れる人もいますが、割合で言ったら「おむつは嫌だ。トイレに行くんだ!」と言って頑張る人がほとんどです。
最近も、何度失敗してもトイレに行くことを諦めないおじいちゃんが、死ぬ間際に「トイレ連れてけ~」と騒ぐので、体重が落ちてもう軽くなった体をひょいっと抱き上げポータブルトイレに座らせたら、安心されたのか、そこで事切れたということがありました。僕の診療所に来る患者さんとその家族は、「患者本人のしたいようにするのが一番」という方針に賛同する方々なので、おじいちゃんの最期は「最高にうまくいった」看取りだったわけです。
患者さんにとって「トイレに行きたい」という気持ちが切実なものであることは、もうずいぶん昔に大学病院で外科医をしていた頃に気が付きました。僕は勤務医時代から、診察がなくても病室に立ち寄って患者さんと雑談するなど、患者さんが病院でもつらくなくいられるように手伝っていたつもりです。けれども、終末期の患者さんが、亡くなるギリギリまでトイレに歩いて行くのを手伝うなんていう光景は見たことがありませんでした。
■ポータブルトイレには尊厳がない
病院では寝たきりの患者さんがトイレに行きたいと思っても、動くと体力を消耗するからとおむつにされます。よろよろだけど介助があればなんとか歩ける患者さんでも、転んで骨折などしたら危ないし、病院の看護体制も問われてしまいます。
どうしてもおむつは嫌だと言うと、ポータブルトイレが準備されますが、みなさん一様にポータブルトイレも嫌がります。
ポータブルトイレは、使用後の排泄物を誰かに処理してもらわなければならず、同室の患者さんがいれば、カーテン越しに音や臭いが漏れ、情けなさや申し訳なさでいたたまれない気持ちになります。患者さんにとってはトイレとは別物で、かなりおむつに近い代物なのです。
つまり、排泄は人間の尊厳に関わるわけです。自尊心の強い人ほどおむつになったときの精神的ダメージは大きく、みるみる生きる気力が衰えていきます。
■「おむつにしたら」と言ってはいけない
だから僕は緩和ケア医になってからは、患者さんの家族や看護師に「おむつにしようねって勧めちゃダメだよ」と言っています。「おむつにしたら?」という言葉は患者さんにとって、「そろそろ生きるのを諦めたら?」というのと同義語であり、「トイレに行きたい」というのは「私は生きている!」という叫びかもしれないのですから。
ほぼ寝たきりだったり、思うように動けない人にとって、起き上がってトイレに行くのは、とても辛くて苦しいことのはずです。それでも「トイレに連れてってくれ」と言う理由には、身体的な欲求もあると思います。
■男性が残尿に悩まされるワケ
男性は高齢になってくるとみなさん、残尿に悩まされます。残尿とは、排尿後に膀胱内に尿が残っている状態です。原因はさまざまですが、加齢に伴う男性ホルモンのバランスの変化により前立腺が肥大してくると、だんだん尿道が狭くなってくるのが一般的です。

たとえば50歳までなら、立った姿勢でおしっこをすればスッキリして残尿はゼロですが、便座に座ってすると残尿が30ml、寝たままおむつに排尿すれば、下腹に力が入らないので、たぶん残尿が100mlぐらいあるんじゃないでしょうか。臨床基準では残尿50ml以下が正常、日常診察では100ml以下ならOKとされることが多いのですが……。
80歳にもなると、一定の割合の人は立っていれば残尿が200ml、座っていれば300mlほどで、寝ていたらさらに多い量が溜まる。要するに、一度排尿してもまた膀胱がすぐにパンパンになってしまうような状態になります。だから健康な人でも夜中に何度もトイレに起きたりするわけです。ちなみに女性の場合も、男性ほどではないけれど、加齢によって膀胱のしなやかさや弾力性が弱まり、頻尿になったり残尿が出てきたりします。
■トイレに歩いていけるうちは…
そして、100歳近くの患者さんになると、1時間おきに起きてトイレに歩くという人もいます。「それが辛いんだ~」と言うけれど、「じゃあ、尿カテーテルにしましょうか?」と訊くと、ほとんどの人は嫌がります。そして、そういう人に尿カテーテルを入れると、トイレに歩かなくて済むようになる代わりに、あっという間に弱っていってすーっと逝ってしまうのです。
なぜなら、尿カテーテルを入れれば残尿に苦労せずに楽にはなるけれど、トイレに行く必要がなくなり歩けなくなるからです。歩けなくなると生きる気力もなくなり、酸素をあまり必要としなくなるため呼吸も弱くなります。呼吸筋が弱っていくと、やがて自分の痰をゲホンッ! と出すこともできなくなります。

だから、辛くても眠れなくても、頑張って歩いてトイレに行っている人の方が長生きです。僕の著書のタイトル『棺桶まで歩こう』(幻冬舎新書)じゃないけれど、トイレ問題と、「歩いてるうちは死なない」ということは繋がっていて、実はトイレに歩いていっているおかげで生きていられるんです。
■亡くなる前日までトイレに通える
在宅緩和ケア医になり、「患者さん本人の好きなようにする」という方針で診ていると、ほとんどの患者さんに共通しているのが、「点滴してくれ」と言わないことと、「トイレに行きたい」と言うことです。特に「トイレに行きたい」というのが気力を奮い立たせる鍵で、「目標は亡くなる前日までトイレに行くこと!」と言うと、ほとんどの患者さんは「そんなことが可能なんだ!」と目を輝かせます。
もうひとつ、トイレ問題についてハッとさせられた出来事があります。昨年、僕の愛犬が18歳で亡くなりました。そのとき僕は日本にいなくて看取れなかったのですが、預けていた方が、犬が亡くなるまでの様子を動画におさめておいてくれました。
亡くなる数日前になると、犬は横たわったまま、ずっと動かずに弱い息をしていて、いつ逝ってもおかしくないように見えます。ところが、そんな状態なのにトイレの時だけはよろよろと立って、ちゃんとおしっこをするのです。その様子はまさに人間と同じ。その姿を見て、人間も犬もトイレに行くというのは“本能”と説明してもいいのかもしれない、と思いました。
亡くなる当日は、下顎呼吸に移り、呼吸が止まったかな? と思うとしばらくしてまた吸ったりを繰り返し、優しい言葉をかけてもらいながら、最期の息を鳴き声とともに吐ききって穏やかな寝顔で逝きました。
その姿は、人が亡くなる時と全く同じ。人が亡くなる時の動画は見せることができないけれど、犬であれば見せられるので、最近は講演のいちばん最後にその動画を見せて、人はこうやって亡くなるんだよ、ということをお伝えしています。
■在宅看護で本当にあったトイレ話
最後に、僕が初めて見たすごいトイレの話をしましょう。ある患者さんのご自宅を初めて訪問したときのことです。患者さんが寝ている部屋に通されると、なんとその部屋のど真ん中に水洗トイレがあったのです。「何これ~⁉」と訊くと、お父さんが水道関係の設計技師で、ご家族の介護のために工事をして部屋まで配管を通し、ベッドからすぐに移動できる位置に水洗トイレを設置したのだそうです。そんなケースは聞いたこともなかったので面白かったですね(笑)。きっと、そこまでしてあげようと家族が思うぐらい、患者さんはトイレに行くことを熱望されたのでしょう。
「トイレに行きたい」という思いはどこまでが本能なのか、そうでないのかはわかりません。いずれにしても、患者さん本人が望み、ご家族もそうさせたいのなら、身体的には辛いかもしれないけれど、「トイレに行くことが生きるためのトレーニングなのだ」と理解して頑張ってほしいですね。

----------

萬田 緑平(まんだ・りょくへい)

医師

「緩和ケア 萬田診療所」院長。1964年生まれ。
群馬大学医学部卒業後、群馬大学医学部附属病院第一外科に勤務。手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行う中で、医療のあり方に疑問を持つ。2008年から緩和ケア診療所に勤務し、在宅緩和ケア医として2000人以上の看取りに関わる。著書に『穏やかな死に医療はいらない』(河出書房新社)、『家で死のう! 緩和ケア医による「死に方」の教科書』(三五館シンシャ)など。

----------

(医師 萬田 緑平 取材・構成=浜野雪江)
編集部おすすめ