■85歳の麻生氏が尽くした「最後のご奉公」
7月17日、ついに皇族数確保のための改正皇室典範が成立した。いわゆる「旧宮家」の皇籍復帰を願い続けてきた筆者にとっては、まことに喜ばしい歴史的慶事である。
改正までの道のりは平易なものではなかった。なにしろ「立法府の総意」を目指すはずが、直前まで日本維新の会が「15歳という年齢制限」に強く反対しており、与党の足並みすら乱れていたのだから。
そんな状況を変えた立役者の一人は、自民党の麻生太郎副総裁であった。自民党の責任者を務めてきた麻生氏らが「強く伏してのお願い」をして、頑なな維新を説き伏せたのである。
麻生氏といえば、所信表明演説の中で「かしこくも御名御璽をいただき」と御名御璽に触れた戦後唯一の首相であった。「臣茂」と称したエピソードでも知られる祖父・吉田茂元首相の薫陶を受けて、皇室への思いは並々ならぬものがあるのだろう。
麻生氏は現在、現職国会議員として最高齢の85歳だ。いつ政界引退しても不思議ではない年齢での尽力は、いわば「最後のご奉公」として皇室の課題に取り組んでいるかのように感じられた。
■突如向けられた「外戚」批判
さて、本稿を麻生氏への感謝から始めたのには理由がある。彼への批判が異様に勢いづく中なればこそ、そんな声ばかりではないことを示したかったのだ。
麻生氏は令和5(2023)年に「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」座長を副総裁として引き受け、議長公邸での全体会議にも欠かさず出席するなど、自民党内でも目立つ存在だった。
それゆえに、かねてから熱心な「愛子天皇」論者にはかなり憎まれてきたのだが、憂慮すべきことに彼への憎悪は、ここ数カ月の間に過激化の一途を辿っている。
麻生氏といえば、三笠宮家の故寛仁親王に嫁がれた信子妃殿下の兄としても知られる。だからこそ今、次のようなアジテーションがSNSを中心に盛んに飛び交っているのである。
「養子を迎え入れた三笠宮家が天皇を輩出した暁には、その『外戚』として君臨したいという野望を持っている」
唯一の派閥の長としてすでに自民党内で絶大な権勢を振るっている麻生氏が、さらなる栄華のために政権与党を動かしている――といった政治的ナラティブが共有されつつあるのだ。
皇位継承論争に起因するネガティブキャンペーンに秋篠宮家が苦しめられ続けていることを思うと、野放しにしては皇室の未来に禍根を残しかねない。「安定的な皇位継承」実現という本来の目的のためには、今のうちに芽を摘んでおかねばなるまい。
■100万回超表示された「麻生家は藤原氏」論
麻生氏への極端な批判は、ほんの少し前までほとんど見られなかったが、いったい何が転換点となったのだろうか。
筆者の見立てでは、おそらく今年6月10日に発売された『文藝春秋』7月号である。
「三笠宮寛仁親王妃家に養子が取られたら、麻生さんが天皇の外戚になり、平安時代の藤原氏のようになる。政治的権力者と天皇の権威との距離がぐっと近くなって、皇族の政治的中立性が揺らぐ可能性もある」(御厨氏)
『文芸春秋』公式X(旧Twitter)アカウントが、上の抜粋とともにWeb版記事をシェアしたところ、そのインプレッション数は100万回以上にも達した。
反響の大きさからして、この鼎談企画こそが麻生氏批判の急変をもたらした可能性が高い。
■麻生家の血を引かない養子で、なぜ「外戚」なのか
しかし、正直なところ筆者には、まともに取り合う価値がある言説だとは思えない。
それというのも、改正皇室典範に規定される「養子皇族男子」はそもそも麻生家の血を引かないため、たとえ三笠宮家に養子入りされるとしても、麻生家の影響力は極めて限定的となるはずだからだ。
道長の頃にあれほどの栄華を誇った、実際の「平安時代の藤原氏」はどうだったか。後三条天皇――約170年ぶりに藤原氏を外祖父に持たなかった――の御代を契機として、摂関政治は緩やかに衰退へと向かった。
後三条天皇は両親がどちらも道長の孫であるため、藤原氏の血を色濃く引いていたのだが、それでも摂関は権力をそのまま保ちはしなかったのである。それなのに、麻生家の血が一滴たりとも流れていない養子の系統から天皇が立ったとして、どうして麻生家が権勢を振るうことができようか。
また、麻生家がもしも養子に影響力を及ぼせるとしても、その系統が即位するのは最速でも悠仁親王殿下の次代のはずだから、今から50年は先の出来事であろう。仮に三笠宮家が麻生家の血を引く男系男子で続いていた場合であっても、麻生家へのミウチ意識はかなり薄れる頃合いである。
ましてや、その頃には麻生家の側も世代交代を重ねているから、麻生太郎氏が首相経験者として有している政治的影響力をそのまま引き継げはしまい。
外戚云々と騒いでいる人々は、「麻生元首相が150歳になっても権勢を保っている」ことを大真面目に恐れているのだろうか。本来の意味での外戚である、皇后の生家が権勢を振るう可能性について心配するほうがよほど現実的だ。
■「麻生家が藤原氏になる」と繰り返した野田元首相
さて、麻生家が藤原氏と化すことなどありえないと考える筆者にとって、最も許しがたいのが野田元首相である。なぜかといえば、首相経験者という肩書きゆえに、彼には強い発言力があるからだ。
6月22日に放送されたインターネット番組「NoBorder News」の中で、野田氏は次のように述べている。
「麻生さんの妹の信子さまが当主である宮家が、養い親として養子を受け入れることができて、男子が生まれたら皇位継承順位が付く。それはいくらなんでも、藤原道長じゃないですか。藤原家じゃないですか、麻生家が」
また7月6日には、自身のホームページでもこう述べている。
「昨秋、突然に三笠宮寛仁親王妃家という新しい宮家が創設され、麻生元総理の妹である信子さまが当主に就かれましたが、信子さまが養親になる意思があれば縁組を進めて良いのでしょうか。(中略)平安時代の藤原家のように、令和は麻生家が『この世をばわが世とぞ思ふ』時代になるのでしょうか」
彼はこのように揶揄を繰り返しており、そのたびに『時事通信』などの大手マスコミに取り上げられてきたのである。ゆえに野田氏こそが、御厨氏の「麻生家が藤原氏のようになる」という見解を世に広めた第一人者だといってもよい。
■「突然できた新宮家」は養子のためだったのか
筆者がとりわけ野田氏を批判する最大の理由は、彼の振る舞いが「令和の藤原氏」という揶揄にとどまらないことだ。
「昨年9月に突然作られた『三笠宮寛仁親王妃家』の信子さまは、麻生太郎・自民党副総裁の妹。高市政権の『利害関係者』とも言えます」
野田氏は『文芸春秋』の鼎談にて上のように述べているし、また「NoBorder News」では「どさくさで宮家が作られた。議論もなく、いつの間に決まったんだろうという感じ。どさくさで、どっと来た」などとも述べている。
このように信子妃殿下の新しい宮家について、唐突感を強調するとともに、あたかも「養子縁組の受け皿を増やしたい政権の都合によって急造された」と印象付けたいかのような発言まで繰り返しているのである。
彼の中では、宮家であることが養子縁組の大前提とされているようだ。しかし、養子はあくまでも皇族が個人単位で取られるものであることは、具体的な典範改正案が公表される前から自明であった。
なぜならば、宮家とはそもそも皇室典範に規定される存在ではないからだ。たとえ宮家がどれほど増やされたとしても、皇室が受け入れられる養子の最大枠が増えるわけではないのである。
とある宮家に属する方々がそれぞれ養子を取られて、結果的に一つの宮家で複数人をお迎えになる。あるいは、とある皇族がお一人で数名の養子を取られる。
野田氏自身、首相在任中の平成24(2012)年3月26日に「(宮家は)法的な制度としては位置付けられていない」と述べているのだが、忘れてしまったのだろうか。皇室への関心の高さを自負している彼のことゆえ、このような皇室制度を語るうえでの基本的な事柄を失念したとは考えがたい。
■皇族が「政争の具」になってしまった
失礼を承知で申し上げるが、熱心な「女性宮家」推進論者として知られる野田氏の昨今の言動は、「麻生氏への属人的嫌悪感を煽ることで、養子反対の機運を盛り上げたい」がゆえに扇動に走ったとしか思えないのだ。
旧宮家の男系男子を迎える養子案を「麻生家の野望」と結びつける言説は、養子案への不信を広げた。その結果、「愛子天皇」論を勢いづかせることにもなった。
「少なすぎれば結局は皇統が途絶える。多すぎると混乱が起きて、政争の具になる」
野田氏は件の鼎談において、望ましい皇族数についてそう述べているが、筆者はこれを目にした当初、「象徴天皇制のもとで皇族が政争の具になってしまう状況とは、具体的に何を想定しているのか」と疑問を抱かずにいられなかった。
しかし今日、そのような状況が確かにありうることを認めねばならない。言葉を濁さずにいえば、妃殿下の兄であることを以て麻生氏を揶揄してきた野田氏こそが、まさに政争の具にした張本人だと指摘せねばならないのである。
中道改革連合の小川淳也代表は7月3日の会見で、麻生家が藤原氏のようになることを懸念する野田氏の発言について、次のように述べた。
「我々一般国民にせよ皇室の方々にせよ、まかり間違ってもそのような受け止めにならないことを願いたい、祈りたいと思います」
しかし残念ながら、そう受け止める者がいまや相当数になってしまった――。
■むしろ野田氏こそ「令和の藤原時平」ではないか
最近では、麻生氏の姪であることが改めて注目された結果、生まれながらの皇族であるにもかかわらず、彬子女王、瑶子女王両殿下への風当たりも強まっている。いまや三笠宮家に関するニュースは、誹謗中傷めいた反応で溢れかえるようになった。
野田氏が繰り返してきた言説は、かねてより男系継承の重要性を訴えてきた三笠宮家そのものを委縮させかねない。想像を逞しくすれば、政界入りが噂される麻生氏の子女を尻込みさせ、麻生一族を福岡県に封じ込めるという結果さえ生むかもしれない。
そう考えると、麻生家を平安貴族に例えるならば、菅原氏のほうが適切なのではないか。脳裏に思い浮かぶのが、かの菅原道真が九州・大宰府に左遷された「昌泰の変」だ。
道真が左遷された背景まではあまり知られていないが、彼は醍醐天皇の弟である斉世親王に娘を嫁がせていた。左大臣・藤原時平がこれを材料とし、「陛下を廃位して斉世親王を即位させ、外戚として権勢を振るおうと謀っている」と天皇に讒言したと伝えられる。
そしてこの時に道真の息子たちも、さらには斉世親王までもが連座させられているのだ。三笠宮家との親戚関係をことさらに取り上げて麻生氏を排撃しようとする、今の世相に通ずるものがあるとは思わないだろうか。
現代の政治家に「令和の藤原氏」というレッテルを貼るとすれば、それにふさわしい者はむしろ野田氏のほうであろう。筆者からみれば、天皇に代わって主権者となっている国民の耳に、外戚云々と吹き込む彼こそが「令和の藤原時平」なのである。
■皇位継承を語る「静謐な環境」は壊された
筆者は比較的最近まで、一般国民やマスメディアの喧騒をよそに「静謐な環境」を保とうと努めてきた――と国会議員たちにおおむね好意的であった。
しかし、養子の子孫が皇位継承資格を有するという当然の結論について「だまし討ち」などと立憲民主党らが騒ぎ出してからというもの、もはや永田町にもろくに期待できなくなってしまった。
だが考えてみれば、それ以前から野党政治家の代表格までもが「令和の藤原氏」という印象操作に走るありさまだったのだから、評価が甘かったというべきなのかもしれない。
あくまでも皇族数確保のためとされた議論でもこうなのだから、いずれ「安定的な皇位継承」実現のための議論を行うならば、間違いなく今回以上に紛糾することであろう。
政府の有識者会議が「皇位の継承について具体的に議論するには現状は機が熟しておらず、かえって皇位継承を不安定化させるとも考えられます」と述べているのは、まことに正しかった。はたして、機が熟すことなど本当にあるのだろうか。
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中原 鼎(なかはら・かなえ)
皇室・王室ウオッチャー
日本の皇室やイギリス王室をはじめ、君主制、古今東西の王侯貴族、君主主義者などに関する記事を執筆している。歴史上でもっとも好きな君主は、オーストリア皇帝カール1世(1887~1922)。
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(皇室・王室ウオッチャー 中原 鼎)

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