■新聞に載った「中国全土に毒ガス」
戦後81年。実際に太平洋戦争を体験した世代は、急速に減っている。残された証言は貴重だ。だが、その証言のすべてが正確かといえば、話は別である。
語り手に悪意があるとは限らない。記憶は時間とともに変容し、後から読んだ本や他人の話が、いつの間にか自分の体験として上書きされることもある。そうして十分に検証されないまま、証言が史実として受け取られることさえある。
なぜ、こんなことが起きるのか。実は、これは筆者もひとごとではない。
筆者の親戚の男性は長命だったが、晩年になって「戦争体験を聞きたい」という研究者の訪問を受けた。根が真面目だったからか、事前にじっくりと本を読んで勉強し、聞き取りに協力した。
その聞き取りが、1999年某日の朝刊に掲載された。記事では、親戚が「中国全土に毒ガスはあった」と証言したことになっていた。
いや、確かに当時、中国大陸を侵攻していた日本軍の一部が毒ガス兵器を保有・使用したことは知られている。でも、親戚は徴兵されて出征した元上等兵で、職業軍人ではない。なぜ、その立場から「中国全土に毒ガスはあった」と断言できたのか……。
■親族は動揺、緊急会議が開かれる事態に
しかも、新聞はそんな証言を疑いなく真実として掲載した。さらに記者の取材に対する専門家のコメントまで添えられていた。専門家が親戚の証言を直接検証したわけではない。それでも紙面上では、結果として、元上等兵の体験に専門家のお墨付きが与えられたように見えた。
親戚本人がどこまで語り、聞き手や記者がどのように整理したのか、今となっては確かめようがない。
困ったのは筆者の親族も同じだった。「そんな話、一度も聞いたことがない」「いよいよボケてきたんじゃないか」親族の間でにわかに緊急会議が召集される事態になった。
真偽のほどは、筆者にも今もってわからない。ただ、確かなことが一つある。
晩年、本人が入居していた施設にお見舞いに行ったとき、部屋の本棚には太平洋戦争関連の本がびっしりと並んでいた。そして親戚の男性は、インパール作戦についてあたかも自ら参加したかのように語って聞かせた。だが、従軍したのは中国大陸であり、インパールとは何の縁もない。
では、証言が史実として広がるまでに、いったい何が起きているのか。「語られた記憶」と「起きた事実」の間に何が介在するのか? 研究者たちは、まさにここを問い続けてきた。
■聞き手が「殺した前提」で尋ねている
今回、話を聞いたのが731部隊の日中戦争における細菌戦を研究し、愛知学院大学文学部准教授を務める広中一成氏だ。『七三一部隊の日中戦争 敵も味方も苦しめた細菌戦』(PHP研究所)などの著書がある広中氏は、15年以上にわたって戦争体験者の聞き取りを続けてきた。
そこで気づいたのは、オーラルヒストリーで起こり得る問題であった。
広中氏がまず指摘するのは、聞き手による誘導だ。
「オーラルヒストリーの証言映像を見ていると、インタビュアーが明らかに誘導していると感じる場面があります。『その時の戦場ではどんな殺し方をしましたか』と、もう殺した前提で聞くんです。『その時の心境はどうでしたか』『日本の戦争遂行についてどう思いましたか』『戦争責任についてどう』と続く。これは少し答えを誘導しているのではないでしょうか。戦争責任を調べたいという目的が先にあって、それに沿った答えを引き出そうとしているのだろうと、ずっと疑問に思っていました」
質問が結論を先取りしていれば、語り手の答えも、その枠組みに沿ったものになりかねない。だからこそ広中氏は、聞き取りの際に答えの誘導を避け、極力質問は少なめにし、まず「言いたいことを言ってもらう」スタイルを貫いてきた。それが15年に及ぶ聞き取りの現場で行き着いた方法だという。
■カメラが回った途端、証言が変わるケースも
しかし聞き方を工夫しても、証言の語られ方が変化する可能性は残る。
広中氏はその一例として、戦争体験の証言を映像で記録しているある研究者のケースを挙げる。その研究者によると、カメラや録音機材が回っていない時には普通に証言していた体験者が、収録が始まると、それまでとガラッと異なる語り方を始めたという。
なぜ話が変わったのか。語り手は「今まで誰も聞いてくれなかったから、嬉しくなって」と答えたという。
「聞いてくれる人に喜んでもらえるように、ちょっと多めに言ってしまう。記憶が曖昧なところも、曖昧と言うと申し訳ないから、ちょっと付け加えてしまう。そういうことがまれに起きているようです」
長く聞き流されてきた話に、遠方から来た研究者が真剣に耳を傾ける。そうした状況では、聞き手を意識することで語り方が変わったり、曖昧な細部が補われたりする場合がある。
これは、語り手が意図的にウソをついているという話ではない。証言は、記憶をそのまま取り出したものではなく、聞き手との関係や収録の状況にも影響されながら形づくられる、ということである。
■記憶は変わっても、体は覚えている
ここで広中氏が強調するのが、戦争体験の記憶が持つ独特の二面性だ。
「もちろん70年、80年前の話ですから、普通は忘れます。昨日、一昨日に何を食べたか忘れてしまうのと同じように、細部はぼやけていく。ところが皆さん、戦場のことは覚えていると言うんです。
だから、証言をそのまま史実とみなすことはできないが、証言全体に価値がないわけでもない。その両面を受け止めることが、証言と向き合う出発点となる。しかし実際には、その見極めが十分に行われないまま、証言が史実として扱われるケースもあるという。
「厚生労働省など公的機関が作った証言集を見ると、聞きっぱなしでそのことが果たして本当だったかどうかはっきりしないところがたまにあります。私はこういう不信感を常に持って見ているので、貴重な証言なんですけど、本当かな、と思ってしまう。わからないまま研究対象とするのは難しい。
広中氏自身は体験者からの聞き取り後、必ず一次資料と突き合わせる。特に数字は記憶違いが生じやすいことを念頭に置いて聞く。それが15年の経験から身についた作法だという。
■「語り継ぎ」の過程で話が強くなる
証言の残され方には、もう一つ問題がある。どのような体験が選ばれ、語り継がれるかという偏りだ。
広中氏は、博物館や戦争資料館では、空襲を受けた子供たちの体験談など、被害の証言が目立つ一方、日本人が中国や南方で行った加害については、証言が残りにくいと指摘する。
「被害を伝えようとする人は被害を多めに語り、加害を伝えようとする人は加害を強めに語ってしまうときがあります。隠したいことは隠してしまうかもしれない。10人殺したのが楽しかったとか、生きた捕虜を使って銃剣の練習をしたとか、そういう話は語り継げないですよね。でも、語り継がなければいけない話でもある。両面がなければ、戦争ではないわけですから」
体験者が減ると、その記憶を次世代へ継承する取り組みが始まる。語り部の証言を台本にして学校などで語り継ぐ活動もその一つだ。その現場も知る広中氏は、率直に言う。
「語り継ぎの過程でも盛られてしまうことがあります。戦争はひどいということを伝えたい気持ちから、強めの表現になってしまう」
すべての継承活動で誇張が起きている、という意味ではない。ただ、「戦争の悲惨さを伝えたい」という目的が先に立つことで、一部の表現が強められたり、複雑な背景がそぎ落とされたりする可能性はある。
被害の証言は残りやすく、加害の証言は残りにくい。さらに継承の過程で、語りやすく、理解しやすい物語へと形を変える場合もある。歴史家には、そうして形成された語りを史料と突き合わせ、どこまでが確認できる事実なのかを見極める作業が求められる。
「オーラルヒストリーというのは、本当に慎重に対峙すべきものです。証言は裏付けを取って初めて史料となる。出発点であって、ゴールではありません」
■戦争証言を「史実」として残すために
証言だけでなく、一次資料もまた、作成した人間の立場や目的から完全に自由ではない。そこに歴史研究の難しさがある、と広中氏は言う。
長い年月を経た証言が変化する可能性を、完全になくすことはできない。真剣に話を聞いてくれる人を前に、語り手が曖昧な記憶を補ってしまう場合もある。それは人間に起こり得る反応であり、証言者だけを責めても問題は解決しない。
重要なのは、受け取る側が「当事者が語った」という一点で思考を止めないことだ。
証言は出発点であって、ゴールではない。語られた内容を尊重しながらも、裏付けを取り、語られた状況や文脈を確かめ、他の資料と突き合わせる。その作業を経て初めて、歴史を考える素材として使える。
戦争を直接体験した人が急速に減るなか、こうした検証は以前より難しくなっている。だからこそ必要なのは、証言を無条件に信じることでも、最初から疑って退けることでもない。体験者の言葉を尊重することと、史料としての検証をすることを両立させる姿勢である。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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