首相としての約1年間を「後悔はない。やれることはやった」と振り返る石破茂前首相。
だが、自己採点を求めると「甘く言って53点」と答えた。退陣後も高市政権に異を唱え続ける背景には、戦争への「反省」や日米関係をめぐる、いまの自民党の「保守」への強い違和感がある。石破氏は首相として何を成し遂げ、何をやり残したのか。そして、なぜいまも発言を続けるのか。ジャーナリストの城本勝さんが聞いた――。(後編)
■「甘く言って53点」
自民党の立て直しを使命として首相の座に就いた石破茂だったが、約1年間の在任中、衆参で過半数を失い、野党に譲歩を重ねる苦しい政権運営を強いられた。最後は党内の「石破降ろし」の圧力が強まる中、退陣を表明した。
党内の抵抗にも阻まれ、思うように実現できなかった政策や発言も少なくない。それでも石破は、首相時代を振り返って「やれることはやった」と一定の手応えを口にする。
ならば、退陣後は発言を控え、総理経験者として党の重鎮席に収まる道もあるはずだ。ところが石破は、あえて高市政権への苦言を呈し続けている。それはなぜなのか。
首相として何を成し遂げ、何をやり残したと考えているのか。
首相としての1年間をどう評価しているのか。自己採点を求めると、石破は即座に答えた。
「甘く言って53点」
何とも微妙な点数だった。石破茂インタビュー後編は、1年間の首相在任をどう振り返るか、率直な気持ちを問うところから始めた。

■少数与党でも「予算は年度内に通した」
――首相を務めた約1年間を、いま率直にどう振り返りますか。メディアでは、高市首相との国会対応の違いが注目されています。
後悔はありません。やれることはやった。内閣にとって条約や予算を通すことが最大の仕事です。今の内閣と比べるつもりもないが、去年の通常国会は一回も審議が止まってないし延長もしていない。野党の協力が必要な環境だったが、予算は年度内に通したからね(編注:2025年度予算は3月31日に成立。
衆参両院で修正されて成立した予算は史上初だった)、内閣提出の法案も59本中、58本通したからね。
予算委員会で私が答弁した時間も、相当長かったと思います。高市さんの3倍くらいかな。国会というのは説明する場所なんです。野党の議員たちも国民の代表として国会に来ている。野党に賛成してもらうのが無理でも納得してもらうまで議論するのが国会の仕事だと私は思っています。
政策で、どうしてもやりたかったのは自衛官の処遇改善と防災庁の創設でした。国を守るといっても、自衛官が定数の9割しかいない、新規募集の半分しか来ない、ということで何が安全保障なの。それは随分変えることができました。防災庁の設置にも道筋をつけられた。トランプ関税はどうしても乗り切らなければならなかった問題だけど、これも赤沢さん(編註:亮正、石破内閣の経済再生担当相)をはじめとする多くの人たちの奮闘で一応の決着をみました。
■「まだ書いてもいないのに」80年談話に党内右派が反発
その一方で、「戦後80年の総理談話」をめぐっては、安倍晋三元首相の70年談話を評価する、高市首相らにつながる党内右派から激しい反発を受けた。
石破は最終的に、閣議決定を経る「談話」という形式を見送り、「内閣総理大臣所感」を公表した。これは心残りではなかったか。
あのタイミングで総理になったわけですから、戦後80年の節目で何を問うか、ということ。どのような形であれ残したかった。戦争が大嫌いな家で、二度と起こしてはならないという親の元で育ち、『戦艦武蔵』や『零式戦闘機』を読んできた自分が何を言うべきか、ということはかなり当初からありました。
6月23日の沖縄全戦没者追悼式、8月6日の広島、9日の長崎、15日の全国戦没者追悼式、そして9月の国連総会での演説と80年所感。これらは、私のなかでは一連のものなんです。すでに予算は通っていたし、(トランプ関税についても)赤沢さんたちの奮闘で一定の成果は得られていた。それを踏まえて、とにかく8月6日、9日、15日と国連総会の所見は自分の手で書きたかった。
――しかし、特に党内の右派の人たちから「石破は何もやってないじゃないか。その石破に戦後80年の総理談話なんか、絶対に書かせない」、そんな雰囲気でした。
そうね。
人に聞いたわけじゃないけど、右派的な考え方の人からすると、そんなことは安倍さんの70年談話で済んでいるじゃないか、あれは完璧なものだ、あれに何かを加えることは許さない、という凄い雰囲気でした。まだ、書いてもいないのにね。
■「反省がなくて、なんで教訓が生まれるのか」
――石破さんは「保守とは過去や伝統は大切にしても、間違ったことは反省し、改めることだ」と言ったが、保守ではなく「右派」の人たちの態度を、どう見ていましたか。
安倍さんの亜流である高市さんは30年前、国会で「当時の戦争の当事者とは言えない世代ですから、戦争の反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と発言されたそうです。しかし、戦後の憲法は帝国憲法の改正手続きによったものでしたし、国家も連続しています。そうである以上、もちろん自分たちがやったことではないが、反省することが歴史認識の上にあるべきです。
そんな思いで、私は8月15日の全国戦没者追悼式の式辞に「反省」という言葉を入れ、また批判を浴びました(編註:全国戦没者追悼式の首相式辞に「反省」という言葉が入ったのは、2012年以来13年ぶり)。この「反省」という言葉は、安倍さんの頃からなくなりました。反省がなくて、なんで教訓が生まれるのか。
だから党内では「『反省』を復活させるだと。そんなことは絶対許さん」といった雰囲気がありました。でも、反省のないところに教訓はないのですよ。

私の考え方が安倍的なものと違っていたからでしょう。日米安保の問題でも言った通り、私と安倍さんでは考え方に大きな違いが出ていました。昔は安倍さんも憲法改正で9条2項削除とおっしゃっていたのですが、総理になられてからはとにかくアメリカとの同盟を固く守ればいいのだ、日米関係を変えるなどけしからん、という考えになられていた。そんな安倍さんを支持していた人たちからすると、石破なんぞに談話を上書きさせてはいかん、となるのでしょう。この安倍さんの影響は大きいですよ。
■「親米」が「従米」になり、そのうち「殉米」になる
しかしアメリカが日本を利用するだけ利用しようと考えていたのは、ダレスの発言からも明らかだし、それは今も変わっていないと私は思っています。そのアメリカが言うことは何でも聞くなんてやっていると、親米が従米になり、そのうち「ジュン米」になりかねない。
――ジュン米ですか?
殉じるの殉。思考停止してアメリカに殉じるから殉米。主権意識がどんどん希薄になっていると思う。高市さんも同じだ。だいたい、なんで日本の総理が米軍基地に行き、ジョージ・ワシントン(米原子力空母)に行くの。
そこでトランプさんとベタベタするなんて国辱ものだと思っています。日本の主権を軽視していると捉えられかねないのですよ。
石破の発言からは、国会運営など実務的な課題については一定の達成感も感じられた一方、「日米関係の見直し」や「歴史認識」をめぐっては「石破らしさ」を思うようには打ち出せなかった悔しさもにじんだ。
では、これは総理になって良かったと思うことは何か。そう尋ねると、「それは天皇陛下のおそばでお話ができたことだね」と意外な答えが返ってきた。

なんの時に何回、というのは申し上げられないのですが、総理の時に何回か、宮内庁からお呼びをいただいて、天皇陛下にお目にかかることがありました。内奏(編註:首相や国務大臣が皇居に赴き、天皇陛下に国内外の諸情勢について報告すること。慣習的に続いている)というのもありました。は数カ月に一回、時間も30分程度と決まっているようですが、時間はいくらでもいいとのことだったので、資料を作って話に伺いました。
図らずも、6月の天皇皇后両陛下のオランダ・ベルギー訪問では首席随員を務めさせていただき、訪問の前後、一緒に食事する機会もいただきました。もちろん内容も言えませんが、天皇陛下のお話を直接聞く機会があったのは、大変ありがたかったね。
■自民党の「保守」が「溶けちゃってる」
――天皇観、歴史認識にしても、石破さんと高市さんにはだいぶ距離があるように感じます。
安倍さんの後継者と言っている高市さんも、歴史への反省がないところは同じですね。昭和100年の記念式典(編註:4月29日開催の昭和百年記念式典)を見て、これはひど過ぎると思いました。
昔の、明治100年の式典(編註:1968年10月開催の明治百年記念式典)を調べてみると、この時は佐藤栄作総理が昭和天皇を先導し、昭和天皇のお言葉がありました。今回は高市総理の先導もなかったし、天皇陛下のお言葉もなかった。代わりに高市さんが「強く豊かな日本列島をつくろう」みたいな党大会的な演説をされて終わった。
そこからは、戦争から敗戦、そして戦後の復興という昭和の前半の歴史がすっぽり抜け落ちていました。音楽で昭和を綴るのが難しいのはよくわかりますが、選曲もすべて高度経済期以降の歌謡ショーだった。私が期待していた昭和100年の式典ではなかったですね。「何なんだ、これは」と強烈な違和感を覚えました。あまりにひど過ぎる、絶対に許せないと思いましたね。
――高市さんは安倍さんの後継を掲げています。いま、自民党の「保守」をどう見ていますか。
自民党の保守そのものが「保守」と呼べないようなものになっている気がします。自民党議員のどれだけが江藤淳や清水幾太郎を、あるいは三島由紀夫を読んでいるのだろうか、というと、大多数が読んでいないと思うんだよね。だから「保守」というものが、溶解っていうか、「溶けちゃってる」ような気がするんです。保守を論じる人たちは江藤淳、福田恆存、田中美知太郎や清水幾太郎の著作はせめて読んでほしい。
日本の経済が一番良かったのは1994年だと言われています。世界の名目GDPの約18%を日本が占めていました。いまは4%、ピーク時の4分の1以下だ。同様に、1995年の日本のGDPは中国の7.6倍あったのに、いまは中国の5分の1まで落ちている。そういう一種のコンプレックスみたいなものの裏返しで、(自民党の右派政治家は)強い言葉を発したり、勇ましいことを言ったりするのだと思います。
■「このままだとこの国は滅びる」
最後に、首相在任中を振り返って自己採点すれば何点ですかと問いかけると、石破は即座に「甘く言って53点」と答えた。「やれることはやった」と言いながら、なぜ53点なのか。
――53点、微妙な点数ですね。
うん。でも、AとかBではもちろんないけど、Cはもらえると思っています。Cの真ん中位かな。
――やはり未練があるのでしょうか。
未練というのとは違うと思うけど、総理経験者であっても言うべきことは言わなきゃいけないという思いはあります。40年の議員生活がこれで終わるのは不愉快だ。発言を続けるのは、多分このままだとこの国は滅びるのではないかと思うからです。
去年の「80年所感」で言ったように、戦前は天皇陛下お一人が主権者だったが、同時に無答責が定められていて、誰が何を決めているか、誰の責任なのかさっぱり分からないまま開戦し、継戦し、あれだけの犠牲を払うことになった。今だって、勇ましい声、大きな声に世論が流されて、メディアも迎合している。どこか似ていませんか、と。それを後から「ほら、私が言った通りだろう」と言っても、責任を果たしたことにはならないでしょう。
国会が終われば、議員たちは地元に帰り、そこで、皇室典範の改正や消費税問題について有権者の声を聞くことになる。その中には「自民党はおかしいんじゃないか」というお声もあるでしょう。私も地元の有権者の皆さんと語り合いながら、発言していくつもりです。どこまで影響力があるか分からないが、そこから反転攻勢をかける、その覚悟はあります。
■【取材を終えて】「反転攻勢」の覚悟は語ったが…
100分を超えるインタビューの間、石破は何度も「保守とは右派ではなくリベラルだ」と繰り返した。なぜ戦争が起きたかという反省から教訓を得て、アメリカに従属するだけでなく是々非々で臨み、国会での議論を重視するという姿勢。それが、石破が考える保守なのだという。
その「保守」が自民党のなかで急速に溶け始めている。これを止めないと自民党だけでなく日本政治そのものが、砂の城のように崩れ去り、不幸な歴史を繰り返す――。そんな危機感を抱いているのかもしれない。
だが、自民党が変質してきたというなら、その原因の一端は、一年ほどとはいえ政治の最高責任者として総理・総裁の座にあった石破自身にも、その流れを止められなかった責任はあるだろう。
戦前日本で、誰が最終的に決定し、誰が責任を負うのか曖昧なまま戦争へ突き進んだ構造を「無責任の体系」として批判した政治学者の丸山眞男は、「政治家の責任は徹頭徹尾結果責任である」とも述べている。党内野党の立場で、高市批判をするだけで、果たして首相経験者としての責任を果たしたことになるのか。
石破は「時が来れば反転攻勢に出る覚悟はある」とも言った。この政治状況に対して、具体的にどんな発言をし、どう行動していくのか。保守政治家・石破茂の政治責任も問われることになるだろう。

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城本 勝(しろもと・まさる)

ジャーナリスト、元NHK解説委員

1957年熊本県生まれ。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2004年から政治担当の解説委員となり、「日曜討論」などの番組に出演。2018年に退局し、日本国際放送代表取締役社長などを経て2022年6月からフリージャーナリスト。著書に『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)がある。

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(ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝)
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