世界で「安楽死」を合法化する国が増えている。日本も認めるべきなのか。
国際ジャーナリストの堤未果さんは「2016年に安楽死を合法化したカナダでは、その後、本来なら適切な福祉や治療、緩和ケアが必要な『障害』を持つ国民が次々と死を選んでいった」という――。
※本稿は、堤未果『堤未果の「すばらしい新世界」』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
■安楽死を拡大して160億円を浮かせるカナダ
2020年10月。
カナダ議会予算局が提出した一通の報告書が、議事堂を凍りつかせた。
そこに書かれていたのは、死が間近でない患者にまで安楽死を拡大することで、本来かかるはずだった「終末期ケア」のコストが浮き、年間最大1億4900万カナダドル(約160億円)の医療・社会保障費が削減できるという試算だ。
議会という場で、「死」が倫理の問題から「コストの問題」に引きずりおろされた瞬間だった。
人間の「尊厳」への配慮が消え、社会保障という巨大なダムの決壊を防ぐための、効率的な排出口であるかのように。
一部の議員からは、「命に値札をつけるのか!」「予算節約のために、国民が受けるケアの代わりに死を売りつけるのか!」などの怒号が飛んだものの、オルダス・ハクスリーが1932年に書いたディストピア小説『すばらしい新世界』の管理官たちがそうだったように、当局は至って冷静だった。
「これは医療サービスの節約になるのだ」
イヴ・ジルー予算局長が説明する淡々とした口調は、国家にとって、高額な長期ケアや福祉サービスを提供するより、安楽死という「出口」を提示する方が、遥かにコストパフォーマンスが良いという結論を代弁していた。
■社会の歯車として機能しない個体の排除
一方この試算に肯定的な与党自由党は「安楽死は医療サービスの一部だ」とし、コスト削減のために死を勧めるわけではないが、結果として予算が節約されることは、持続可能な公的医療制度にとってプラスである」と賛成、一部の野党は「個人の選択権が重視されるべき」というリベラル持論で擁護した。
この話の最も恐ろしいところは、議会内で賛否が分かれたことでなく、いつの間にか安楽死法に関する議論の前提が「財政的合理性」にすり替わっていたことだろう。
予算局の出したこの報告書の上で、慢性疾患や障害を抱える人々が「削減可能なコスト」としてカウントされた瞬間、ハクスリーが描いた「社会の歯車として機能しない個体の排除」は、政府の公式な正解(エビデンス)へと、昇格したのだ。

そして2021年3月、カナダという国はついにルビコン川を渡った。
死が間近でない障害者や慢性疾患を持つ国民にも「安楽死」の扉を開いたことで、かつてトルドー首相が熱弁した「慈悲」や「選択の自由」といったものが、合理的な「個体の選別」へと変わったからだ。
■「障害」をもつ人が次々に安楽死を選択
このニュースが流れるや否や、激怒した障害者たちが議会を取り囲み、90以上の障害者団体が共同声明を発表、「十分な福祉やサポートがない中で、安楽死という選択肢を示すのは、国が『死ね』と強制するのと同じ」と訴える騒ぎになった。
彼らが求めていたのは、政府が善意で差し出す「死ぬ権利」ではなく、「尊厳を持って生きる権利」だったからだ。
だが、路上で叫ぶ障害者たちの「生かしてくれ」という悲鳴は、国内のリベラル左翼が掲げる「平等の権利」という大合唱にかき消されてゆく。
ハクスリーの『すばらしい新世界』の住人たちが、老化や病という不快をシステムから排除することを「当然の権利」としたように、カナダの世論もまた、コストのかかる生よりも、効率的な死を「人道的」と言い換えたのだった。
この法改正以降、カナダの末期ではない患者の安楽死人口は2022年で463人だったのが、2023年には622人、2024年には732人とみるみる上昇している。2024年には末期ではない患者の増加率(17%)が末期患者を上回り、その6割以上が、本来なら適切な福祉や治療、緩和ケアが必要な「障害」を持つ国民だった。
■承認当日に「スピード安楽死」
カナダ政府が2021年に行ったルール変更は、「安楽死の対象拡大」だけではない。それまでは申請から承認まで10日間の熟考期間が設けられていた。人は死にたいと思っても、直前までさまざまな理由で気が変わるからだ。
だが政府はこの期間を「非効率」とみなし、死が予見可能で、患者の苦痛が証明できれば「熟考期間は必要ない」として、撤廃したのだ。

2024年のオンタリオ州報告書によると、2023年に承認から24~48時間以内に安楽死を受けた人が200人以上にのぼり、記録された219件のうち約30%が承認当日に実行されていた。社会福祉サービスの提供より「安楽死の手続き」の方が早いのだ。
かつてトルドー首相が「弱い人々を守るブレーキをつけてあるから安全ですよ」と繰り返した言葉は、一体どこへ行ったのか。
本当に死を望んでいるのか、それとも追い詰められているだけなのか――その問いを立ち止まって確かめる時間すら、このシステムは与えてくれなくなった。
■日本で安楽死法が成立しない最大の壁
安楽死後の臓器提供が合法化されている世界5カ国の一つ、カナダでは、臓器の新鮮さを維持するために、安楽死患者が死亡宣告される前に摘出することを可能にする議論がされている。人生の最後に「誰かの役に立つ」という美談に収めてしまう危険があり、私たち日本人にとっても他人事ではない。
高齢化大国のトップランナーで、在宅緩和ケアをしている萬田緑平医師日く「世界一死にたくないくせに、長生きしたくない国民」が住む、日本はどうだろう?
そもそも日本では、安楽死が認められていない。たとえ患者が医師に要求しても実行したら最後、医師は刑法202条の「自殺関与及び同意殺人罪」で6カ月以上7年以下の拘禁刑だ。
日本において安楽死法が成立し得ない最大の壁とは何か。そこにはこの国特有の「同調圧力」と「忖度(そんたく)文化」という、顔のない支配者がいる。
ハクスリーが描いたディストピアには、あからさまな強制はない。
市民は幼少期から「そうするのが当たり前」という条件付けによって、自らの意志でシステムに従順でいることを選ばされる。
もしも日本で安楽死が制度化されたならそれは個人の「自由意志」ではなく、周りに「迷惑」をかけたくないがゆえに「忖度する」という無言の圧力だろう。
■筆者の夫が訴えてきた「患者の権利」
韓国でも、「良い死に方とは何か」という世論調査の1位は「家族や知人に負担をかけないこと」だった。日本だけの問題ではない。アジア共通の「迷惑をかけてはならない」という倫理観が、「死を選ばせる空気」と結びついた時、「選べる自由」は「選ばされる義務」に変わる。
まさに、ハクスリーが予言した「飼い慣らされた自由」の現代版だ。
実は日本には、「患者の権利」を明文化した法律が存在しない。
参議院議員を18年務めた筆者の夫(川田龍平氏)は、難病を抱える当事者として、ずっとこの問題を訴えてきた。
コロナ禍でも、情報開示が不十分な中で実施されたワクチン接種について、各国で問題視された「インフォームドコンセント」の欠如を、国会の場で厚労省に繰り返し訴えたが、政府はのらりくらりとどこ吹く風だったという。あれは氷山の一角だ、やはり「患者の権利」を何としても法制化しなければならない、と今も怒りを口にしている。
「インフォームドコンセント」という言葉自体、日本では本来の意味からずれており、患者が治療方針を決める権利ではなく、医者や病院が患者の意思を「尊重してあげる」という上から目線になっているのだ、と。
医療現場では、患者が医師や医療スタッフに気を遣い、権利どころか本人の意思すら伝えにくいという声が多い。「自分の身体を預けてお世話になる先生」に、物申すことは、相手の心証を悪くするようで、不安になるのだ。

この一連の構造が、自分の死に方を自分で決められない日本人の無力感の根底にある。
安楽死の議論以前に、生きている間でさえ、自分の身体と治療について自分の意志を通すことが、この国ではひどく難しいのだ。

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堤 未果(つつみ・みか)

国際ジャーナリスト

東京生まれ。NY市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連、アムネスティ・インターナショナルNY支局員、米国野村証券を経て現職。日米を行き来し、各種メディアで発言、執筆・講演活動を続ける。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で日本ジャーナリスト会議黒田清新人賞、『貧困大国アメリカ』(3部作、岩波新書)で日本エッセイストクラブ賞、新書大賞受賞。多数の著書は海外でも翻訳されている。近著に『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)がある。

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(国際ジャーナリスト 堤 未果)
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