■1000人座れる待合室にいたのはたった20人
1000人分の座席が、整然と並んでいる。中国・四川省富順県、高速鉄道の富順駅の待合スペースだ。ある日の午後、この広い空間にいたのは、わずか20人ほど。大多数は空席だった。
富順県の人口は、およそ70万人。島根県とほぼ同じ規模だ。住民の多くは農村で暮らし、その数は少しずつ減り続けてきた。それでも2021年、この県に初めて高速列車が乗り入れると、地域が活気づくのではと住民は期待した。
しかし、ほとんどの駅で乗客の姿はまばらだ。ウォール・ストリート・ジャーナルは2024年11月の記事で、利用者のほとんどいない高速鉄道の駅が中国各地に増えたと指摘した。
習近平国家主席は、前任の胡錦濤氏の構想を引き継ぎ、主要都市を結ぶ総延長約1万6000キロメートルの高速鉄道計画を一気に拡大した。
だが、空振り感は否めない。2024年の時点で、富順県を中心とする半径64キロほどの範囲に、高速鉄道の駅が少なくとも12駅も建設された。これに対し、高速鉄道を運営する中国国家鉄路集団の負債は、同年時点で1兆ドル(約159兆円)に迫る。同記事はこの事業を「巨大な金食い虫」と評した。その推計では、債務を維持するだけで年に250億ドル(約3兆9800億円)が出ていく。
一般に、中国が新興国のインフラ整備に資金を出す広域経済圏構想「一帯一路」は、巨額の融資で相手国を返済不能に追い込む「債務の罠」だと批判されてきた。その罠に、いま中国自身が陥ろうとしている。
■「4万2000キロを超す赤字路線」の指摘も
富順駅とよく似た閑散とした高速鉄道駅は、中国各地にある。収支から見ると、中国の高速鉄道網で黒字の区間はほんの一握りで、大半の区間は赤字である。
ただ、その全体像は決算を見ても浮かんでこない。高速鉄道の収支が、旧型の在来線車両「緑皮車」の収支と合算されて公表されるためだ。
路線ごとに見ていくと、収支の偏りがはっきりしてくる。香港の英字オンライン紙アジア・タイムズは2025年6月、中国のニュースサイト「観察者網」が2024年5月に公表した記事を引きながら、次のように伝えている。2023年末の総延長4万5000キロのうち、採算が取れているのは2300キロであり、全体の6%にすぎない。黒字は北京―上海、北京―天津など6路線で、いずれも都市化の進む沿海部を走る、と。ただし国家鉄路集団は路線ごとの収支を公表していない。この6%は、中国メディア側の集計にもとづく数字である。
収支を左右するのは、その路線をどれだけの人が使うかだ。これを測るのが「輸送密度」という指標だ。乗客数に移動距離を掛けた「人キロ」を路線の長さで割ったもので、1キロメートルあたりがどれだけ使われているかを示す。
インド独立系シンクタンクのオブザーバー・リサーチ・ファウンデーションは、北京交通大学の趙堅教授が分析した2015年時点のデータをもとに、路線ごとの格差を示している。
同分析によると、北京―上海線の4800万人キロに対し、より距離の長い蘭州―ウルムチ線は230万人キロ。約20分の1という低い水準だ。中国の高速鉄道全体の輸送密度も1700万人キロで、同じ年の日本の新幹線(3400万人キロ)の半分にすぎなかった。路線が長ければ建設費も維持費もかさむが、肝心の輸送密度は、そうした路線ほど低い。
中国国営の英字紙チャイナ・デイリーは今年1月、国家鉄路集団の発表として、2025年末に中国の高速鉄道網が総延長5万400キロに達したと報じた。約3000キロに達する日本の新幹線網と営業距離を単純比較すると、約17倍にあたる。しかし財政の健全化は後手に回っている。
■閉鎖された20カ所の「ゴースト駅」
富順県の駅から遠くない場所に、さらに新しく開業した別の駅。ここも同じように、がらんとしていた。その前で、50歳の男性が米から作った冷たい菓子を1杯40セント(約64円)で売っている。
ウォール・ストリート・ジャーナルの取材に応じた男性は、長年にわたり、各地の建設現場を渡り歩いてきたと語る。
だが景気が悪化して賃金は4割減り、都会での生活を諦め、生活費の安い故郷に戻った。都市で駅を造る仕事を終え、今は乗客のいない地方の駅を日々眺めている。男性は高速鉄道の便利さを認めたうえで、「我々はもう飽和状態だ」と同紙に語った。
アジア・タイムズは、湖北省在住のコラムニストが中国のネットメディアに語った見解を取り上げている。無秩序に造られた高速鉄道の駅は政策の誤りの産物だ、というのがその主張だ。
2008年のリーマン・ショック後、中央政府が4兆元(当時のレートで約57兆円)の景気刺激策を打ち出すと、資金を得た各地の地方政府は、市街地から遠く交通の便も悪い場所にまで次々に駅を造った。いま地方政府は財政難で交通網への補助を削らざるを得ず、それが駅の閉鎖に拍車をかけている、との議論だ。
当然のように利用客は集まらず、すでに閉鎖された高速鉄道駅もある。同紙が引くこの記事によれば、2010年以降に閉鎖された駅は少なくとも20カ所ある。多くは安徽省や雲南省など内陸部だが、遼寧省や江蘇省といった発展した沿海部にも及ぶ。
米国営放送のVOAも、20を超える高速鉄道駅が完成後に使われないまま放置されるか廃止されたと報じている。
■雇用確保と鉄鋼消費のための鉄道建設
不調の一因は、需要予測の軽視にある。
路線を敷くかの意思決定において、旅客需要の予測は二の次だった。国内で余剰となった鉄鋼をいかに消費し、いかに雇用を生み出すか。その視点で議論が進んだ。
2009年、武漢と広州を結んだ、中国初の長距離高速鉄道。世界金融危機のただなかの門出だった。
オブザーバー・リサーチ・ファウンデーションは、経済危機に対して中国共産党が「借金頼み」で対応したとの見方があったと論じる。中国の動きは「鉄道ケインズ主義」とも呼ばれており、これは不況期に政府が財政支出で需要をつくり出すケインズ主義になぞらえた言葉である。
高速鉄道でコンクリートと鉄鋼の需要を生み、数百万人分の雇用を確保する。この2つの目的に合わせて、高速鉄道網の計画が進められていった。
特に、鉄鋼の過剰生産との関わりが深い。アジア専門英字ニュースサイトのアジア・センティネルによれば、世界の粗鋼生産に占める中国の割合は、2005年の31%から2015年には50%へ上昇した。
生産量は増え続け、頼みの綱だった米欧日韓向けが輸出全体に占める比率は下がった。ASEANや中東、アフリカ向けの増加で一部は穴埋めされたが、それでも余った鉄鋼の引き取り手は、国内に求めるほかない。その受け皿が、高速鉄道網だった。
■春節でも空席が目立った車内
アジア・センティネルは、中国科学院の陸大道氏の分析を取り上げている。陸氏は、高速鉄道網が「基本的な経済論理」を逸脱する形で広がり、その拡大が財政を圧迫したと批判する。駅から先の交通手段、いわゆるラストワンマイルの整備がないまま、高速鉄道をつくること自体が目的と化した。地方には立派な駅とゴーストタウンが生まれた。
高速鉄道ははなから収益性を念頭に置いていなかった。鉄鋼の過剰供給を吸収するため、債務を財源に人工的な需要をつくり出す仕組みにすぎない。
収益が目的でなかったのなら、採算が最初から取りにくい構造だったのも当然だ。
高速鉄道の建設費は、在来線の約3倍。しかも旅客専用で貨物を運ばないことから、建設費も運営費も旅客運賃だけで賄うしかない。必然的に高額となる運賃だが、肝心の乗客はいるのか。
昨年1月の春節(旧正月)、帰省客であふれるはずの高速鉄道に空席が目立った。住民たちは米議会系アジア向け放送局のラジオ・フリー・アジアの取材に、安い切符を求める人々の多くが緑皮車に流れていると証言した。
中国のSNSには「みんなどこに行ったの?」という書き込みとともに、年間最大の大型連休に似つかわしくない空席だらけの車内を撮った動画が投稿されている。
■黒字路線の足を引っ張る赤字路線
人々が在来線に移るのは、運賃の差が大きいからだ。
広州在住の乗客は、広州―長沙間は緑皮車で9時間かかるが、運賃は100元(約2360円)ほどだと説明する。高速鉄道では400元(約9440円)近くになり、およそ3~4倍の出費を迫られる。好景気と言い難い中国で、この差は大きい。
だが鉄道会社にとっては、すでに高額なこの運賃でも収入が足りない。アジア・タイムズによれば、2024年の鉄道旅客数は前年比10.9%増の40億9000万人に達した。それでも中国国家鉄路集団の総収入1兆2800億元(約30兆2000億円)に対し、純利益は38億8000万元(約915億円)。収入のわずか0.3%にとどまった。
同社は2024年6月15日、武漢―広州など利用者の多い4路線で、正規運賃の上限を最大20%引き上げた。アジア・タイムズは、赤字路線を支えるための措置だとみている。
こうしたやり繰りを迫られる一方、路線の建設は止まらない。赤字などまるで存在しないかのように、線路はなお、内陸のさらに奥へと延びていく。
重慶―昆明間は、すでに高速鉄道が約5時間で結んでいる。それでも中国国家鉄路集団は別のルートで、200億ドル(約3兆1800億円)を投じる新線を建設中だと、ウォール・ストリート・ジャーナルは報じている。工事は今年2月に橋梁が、6月にトンネルが全線でつながり、年内の開業が見込まれている。所要時間は約2.5時間に縮まる。
■出稼ぎに出たくても、列車の運賃が払えない
重慶と昆明を結ぶ新線によって、四川省高県に初めて高速鉄道が通る。駅の予定地では、真新しいマンションが次々と姿を現している。中国国家鉄路集団は、この新線が「地域経済を支え、国家の統一を促進する」と強調する。
だが、高県に多いのは養豚農家や穀物農家だ。この県の人口は約37万5000人。2019年からの人口流出で1割近くが減った。1人当たりの生産額は、全国平均の3分の2にとどまる。
人が出ていくのは、交通の便が悪いからではない。北へ40分の宜賓市には高速鉄道が通っており、そこから人口2000万人(東京都の1.4倍)の成都へも約2時間で着く。足りないのは線路ではなく、明らかに雇用だ。
高架の真下に家と畑がある女性は、ウォール・ストリート・ジャーナルに、「まじめに働いてもっと稼ごうと思ったら、外に出て仕事を探すしかない」と語った。稼ぎがなければ運賃は払えない。成都へ出稼ぎに出ようにも、頭上を走るその列車には乗れないのだ。
■際立つ東海道新幹線の異常さ
国家鉄路集団の2020~22年の損失額は、250億ドル近くに上る。
同社は経費を削り、2023年に黒字へ転じた。ただしウォール・ストリート・ジャーナルによれば、この黒字化は政府補助金を含む10億ドル(約1590億円)超の「その他収入」があってのことだ。
もっとも、公共交通が補助なしでは成り立たない事情は、中国に限った話ではない。アメリカの全米鉄道旅客公社(アムトラック)をはじめ、フランスやドイツの鉄道も、国の資金を受けて施設を整備し地方路線を維持している。
都市の地下鉄やバスに至っては、ニューヨークでもロンドンでも、運賃収入だけで賄えるものではない。補助を受けずに黒字を出す日本の東海道新幹線のほうが、世界的にはむしろ例外的である。
ただし、黒字区間が沿岸部の数本に限られるとされる中国は、それでも異常だ。赤字が出ても国が面倒を見るという前提のもと、採算を度外視し人口密度の低い地域にまで路線を拡大してきた結果が、いまの負債である。
財務体質はその後もじわりと改善している。中国政府の発表によれば、2025年の輸送収入は1兆204億元(約24兆1000億円)と初めて1兆元を超え、資産に対する負債の比率も1ポイント下がって62.5%になった。それでも負債額は依然として6兆元(約141兆円)を超える。
■中国と組んだインドネシアの「時限爆弾」
中国のインフラ事業といえば、国境を越えて技術を持ち込んだインドネシアが思い浮かぶ。
インドネシアでは2023年、東南アジアで初めて高速鉄道が開通した。首都ジャカルタと第3の都市バンドンを結ぶ「Whoosh(ウーシュ)」の事業費は、72億ドル(約1兆1400億円)に上る。
2015年の入札では日本のほうが低金利の融資を提示していたが、インドネシアは中国を選んだ。ブルームバーグによると、事業費の75%は中国の融資でまかなわれている。
この事業に限れば、融資の条件はさほど厳しくない。過大な融資で相手国を返済不能に追い込む「債務の罠」の批判は当てはまらないと、米国際政治誌のフォーリン・ポリシーは評している。
とはいえ、事業は採算ラインから程遠い。完成は当初の2019年から数年ずれ込み、費用は10億ドル以上膨らんだ。2025年の乗客数は約620万人で、日本の協力で建設されたジャカルタの地下鉄が同じ年に4500万人を運んだのと比べると、桁がひとつ違う。2026年4月に債務再編案がまとまり、8月にはインドネシア政府が運営会社の60%持ち分を引き取る方針が公表された。
インドネシア当局は開業前から損益分岐点到達まで40年かかると認めていた。運営費こそ運賃収入で賄えているものの、利払いや為替差損、減価償却で赤字だ。インドネシア国有鉄道会社の社長さえ、この事業を「時限爆弾」と呼んだ。
■スリランカが陥った「債務の罠」
インドネシア以外でも、中国が技術輸出するインフラプロジェクトを通じ、途上国に広く貸し付けが行われている。カタールのアルジャジーラによると、2025年に途上国が中国に返済すべき債務は合計350億ドル(約5兆5700億円)にのぼった。
資金の返済に行き詰まると、どうなるか。巨額の債務を返済できなくなったスリランカ政府は、ハンバントタ港の運営権を99年間、中国企業に貸与した。「債務の罠」の典型例とされる。
こうして海外のインフラ事業でも債務の重荷が表面化している中国だが、国内でも無理な高速鉄道計画により、赤字を垂れ流している構図だ。対外的な「債務の罠」とは性質が異なるものの、無計画な事業の赤字を税金で補填している構図は、ある意味では中国が自ら陥った債務の罠といえよう。
習近平政権としては、鉄鋼供給の受け皿とすること、雇用を生み出すことに加え、赤字に目をつぶる理由がもう一つある。同化政策だ。
蘭州―ウルムチ線は、甘粛省の蘭州と、新疆ウイグル自治区の中心都市ウルムチを結ぶ。アジア・センティネルは、辺境を貫くこの路線が採算に合うかどうかに、中国共産党は関心を払わないと指摘する。
その真の狙いは、漢族の政治支配の最西端とされてきた蘭州と新疆との時間的・地理的な距離を縮めることにある。これは、ウイグル族が多数を占める新疆の住民を同化する「中国化」の柱だ。
仮に同化が進まなくとも、この高速鉄道は警察や軍を送り込む直通ルートとなる。
■旗振り役の習近平が認めた過剰投資
しかし、建設の旗を振ってきた当人が、ここに来て急ブレーキを踏んだ。
習近平氏は、共産党の幹部を育てる中央党校での講演で、「一部の高速鉄道駅や都市鉄道路線は、完成後に運営上の困難に直面している」と認めた。高速鉄道以外にも過剰投資は顕在化しており、「一部の大型競技場や展示施設、博物館は利用が低調で、一部の工業団地は遊休化している」とも加えている。今年1月、香港英字紙のサウスチャイナ・モーニングポストが人民日報を引用して報じた。
必要のない路線をつくりすぎた。その認識に、ようやく体制のトップが至った形だ。
同じ時期に、経済政策の司令塔である国家発展改革委員会は、都市間鉄道の名目で高速鉄道や地下鉄をひそかに建設することを固く禁じた。
これまで一部の地方政府は、承認基準の厳しい地下鉄をつくる目的で、審査を通りやすい都市間鉄道を抜け道に使ってきた。
新しい都市間鉄道には、年1500万人という需要見通しが要件として課された。開業から5年で旅客数が予測の半分に届かない地域は、次の着工を認めない。
承認を厳しくすれば、これから積み上がる投資は抑えられる。だが、すでに抱えた赤字と負債をどう減らすのかは、依然として答えが出ていない。
■同じ轍を踏み続ける中国高速鉄道
だが、振り返れば5年前にも同じことが起きていた。
2021年3月、内閣にあたる国務院がすでに同じ警告を発していた。オブザーバー・リサーチ・ファウンデーションは、利用が輸送能力の8割に満たない区間では、並行する路線の新規建設が止められたと指摘する。公表からわずか3日で、1300億元(約3兆700億円)を超える事業が止まったが、この条件を逃れた路線網はその後も広がり続けた。
ほかに有効な手は見出せていない。運賃を上げれば、自ずと客足が遠のく。建設費の負担を地方に転嫁すれば、地方財政がひっ迫する。課題が山積するなか、収益性確保の具体策を欠く。
1000人分の座席に、わずか20人の旅客が列車を待つ富順駅。その光景に、無秩序に拡大した中国高速鉄道網の不合理が凝縮されている。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)

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