一見、透明に見える空気の中には、実にさまざまな「微粒子」が漂っている。遠くの山並みが霞んで見えるのもそのためだ。
なところでは花粉やPM2.5、ウイルスなども
目に見えない「微粒子」に魅せられ
最初に話を伺ったのは、金沢大学・微粒子システム研究グループの瀬戸章文教授だ。「微粒子」の世界に魅了されたきっかけは、大学で受けた粉体工学の講義の面白さだという瀬戸教授。4年次に研究室を決める際も迷わず微粒子研究を選び、30年以上にわたり研究に打ち込んできた。教授にとって微粒子の領域は「人類がまだ見たことのないものを情報として得るための挑戦」だと言い、今回注目した微細水粒子研究も「水の中にあるまだ見ぬ宇宙」の探求で、自分たち研究者が挑むべきミッションだと力を込める。
― そもそも「微粒子」とは
瀬戸 固体や液体の非常に小さい物体で、流動性を持っているのが特徴といえるでしょう。例えば、小麦を小さく砕いていくとやがて小麦粉になって、サラサラと流動性を持つイメージです。
実際の大きさで言えば、1000分の1ミリが1ミクロンで、天気予報などでよく耳にするPM2.5は2.5ミクロン以下の微粒子ということを表していて、大体それくらいより小さいものが微粒子と言われています。
瀬戸章文(せと・たかふみ)
金沢大学理工研究域フロンティア工学系 微粒子システム研究グループ 教授
― それくらい小さいともう目には見えない?
瀬戸 空気中の埃も微粒子ですが、部屋の中で太陽の光が当たるとキラキラ光るのがわかるように、目に見えるものもあります。それがさらに小さくなっておよそ1ミクロンより小さくなると、もう光が反応しなくなり、目に見えない領域に入っていきます。
とはいえ、ウイルスのように目には見えなくても体に影響を与える微粒子はたくさんあるわけで、何とかその情報を得ようというのが私たちの研究になります。もちろん、微粒子の影響には良いものも悪いものもあり、それもポイントの一つになります。
「過飽和」を重要なキーワードに
― そうした中でアイシンの微細水粒子に出会ったと
瀬戸 2021年に最初にお話をいただいたときに、ナノ構造の特殊膜を使って空気中の水分を吸着させ、微細な水粒子に変換させて供給できる「ハイドレイド」という技術を開発されたとお聞きしました。それが髪や肌に潤いなどの好影響を与えていることも確認できていて、メカニズムを解明するためその微細水粒子の大きさを測定できないかという依頼でした。
そして、これまでの研究で2ナノメートル(1ナノメートルは100万分の1ミリ)より小さいことが示唆されているということでした。残念ながら、その大きさの微粒子を直接測れる装置は世の中にまだありませんから、測定は困難だとお伝えしたのです。
― それがどのように共同研究へ発展したのですか?
瀬戸 決め手は井上部長の熱意です。「時間はどれだけかかってもいい。何とかお願いしたい」という言葉と真剣な表情に気持ちが動かされました。さらに、微粒子の研究者としてその生成メカニズムを解明したいという思いが、私の中に沸々と湧いてきたことも大きな理由になります。そうしたことからアイシンの装置について研究を進めていくと、「現象解明の鍵は、微細水粒子の計測装置の原理でもある『過飽和』にあるのではないか」と気づいたのです。
例えば、空気中の水蒸気が冷却され、飽和状態を超えると「過飽和」という状態になります。
瀬戸教授の研究室では、アイシンが提供したナノ構造の特殊膜を活用し、学生も積極的に参加して共同研究を進めている
人々の生活に密着した活用にも期待
― 現在の研究の状況は?
瀬戸 当初の依頼にお応えする微細水粒子のサイズ計測についてもトライを重ねていますが、アイシンの開発したデバイスが非常に興味深いことから、現在はデバイス自体の研究に比重が移ってきています。改めて微細水粒子を生成するアイシンのナノ構造の特殊膜を見ると、「これは考え抜いて作られているな」と毎回思うほど完成度が高く、研究対象としてどんどん面白くなってきています。
さらに、ハイドレイドで作られた微細水粒子と髪や肌などの生体の間で何が起きているかについては、「過飽和」と「準安定」をキーワードに研究を進めています。ハイドレイドで生成される微細水粒子は、おそらく空気中で安定した状態で存在しているのではなく、絶えず状態を変化させながら、髪や肌に触れることで相互作用を起こす可能性があると考えられるからです。
― 微細水粒子の活用で今後期待されることは?
瀬戸 人々の健康や環境保全などの分野で、高いポテンシャルを持っていると思います。特に、喉や皮膚の潤いは健康な生活に関連するので、潤いをもたらす微細水粒子の活用は、美容にとどまらず、日常の健康を支えるテクノロジーとして期待しています。
また、ハイドレイドはもともと調湿を目的に開発された技術であることから、湿度が重要な伝統工芸のものづくり、例えば我々の大学がある石川県では山中塗や輪島塗などへの応用にも可能性を感じています。ほかにも、より精密に蒸気を制御する技術が進展すれば、例えば、食材の新しい調理法や保存法など、食の分野をはじめとして、人々の生活に密着した活用も期待できるでしょう。我々もそうした可能性の広がりに貢献できるよう、また、学生の教育にもつなげながら研究に邁進していきたいと思います。
なぜ髪や肌の潤いが持続するのか
アイシンで微細水粒子の可能性を追求しているのが、ハイドレイド事業推進部長の井上慎介だ。アイシンは自動車部品の売り上げが95%を占めているが、2020年までベッド事業を展開しており、睡眠の質を向上させる寝室の湿度調整に取り組むなかでハイドレイドを開発したのが井上だ。2021年から行っている瀬戸教授との微細水粒子の共同研究は、髪や肌への効果を解き明かす上で非常に得るものが大きいと井上は話す。
井上慎介(いのうえ・しんすけ)
株式会社アイシン VC事業センター 新事業創生ラボ ハイドレイド事業推進部 部長
― ハイドレイドの開発経緯と現在わかっている効果は?
井上 寝室の湿度を調整するため、クルマの排出ガスから有害物質を除去する触媒の技術とナノ構造の特殊膜を組み合わせ、空気中の水分を吸着させて、水粒子に変換して供給する仕組みを開発しました。その上で、肌に潤いを与える効果を確認するため、愛知医科大学医学部の西村直記先生(当時。現・日本福祉大学スポーツ科学部教授)と共同研究させていただき、保湿効果が長時間持続する結果が得られたことから、試験的に美容室でも使っていただいたのです。
すると、髪や肌の潤いが持続するといった声に加え、カラー剤の持ちが良くなるという保湿効果以外の声も寄せられたのです。そこで、お客様にハイドレイドの多様な価値をもっとお届けしたいという思いから、メカニズムを解明したいと考えました。
― それで水粒子のサイズ測定を依頼したと
井上 最初の依頼はサイズ測定でしたが、実は、私たちが最も明らかにしたかったのは、ハイドレイドで供給した微細水粒子と髪や肌などの生体の間で、いったいどんな作用が起きているかということでした。これまでの研究で微細水粒子の大きさは約1ナノメートル辺りではないかと推測され、髪のキューティクルの隙間・約20ナノメートルや、髪の構造を決めるコルテックス(毛皮質)の水の通り道・約8.5ナノメートルより小さいと考えられます。このため、そうした隙間に入っていけるというのは、考えられるファクターの一つではあります。しかし、そこでどんな作用をしているのかがわからなかったのです。
ハイドレイドの可能性に新たな気づきも
― そこが共同研究の核心部分になるわけですね
井上 ナノ構造の特殊膜が作る微細な水粒子と生体側の間がどうつながっているかを解明する上で、メカニズム解明の糸口となる「過飽和」と「準安定」の2つのキーワードを先生に示していただいたのは、非常に大きかったです。加えて、微細な水粒子をより最適に制御するためには、特殊膜カートリッジの形状自体も重要な要素になることなど、突き詰めるべきことに新たな気づきを得たことも、大きな進展でした。
― 共同研究の進展による今後の可能性は?
井上 例えば、さまざまな知見をデバイスに盛り込めるようになれば、微細水粒子の大きさをコントロールできるようになるかもしれません。そうなれば、目的に合わせてハイドレイドを活用できるわけで、可能性はさらに広がっていきます。
そしてもう一つ。準安定については、特殊膜から出た水粒子は安定した状態ではなく、生体に触れたあと、空気中にいたときの状態のままでいることはないだろうと私たちは思っていました。それについて、先生からも「準安定を前提に生体に触れて変化すると考えれば、確かに説明できる」との見解が得られたことで、微細水粒子と生体側の効果のメカニズム解明へ、さらに研究を突き詰めていく力をいただいています。
研究と社会実装を進め世界に貢献
― 共同研究では小型のデバイスも作ったと
井上 先生の研究室と共同で、円筒状の小型化した試験用のデバイスを作りました。作動させて手を近づけると温かく湿った風を感じることができますし、ガラスを近づけると曇ります。これまでハイドレイドの通常の装置で検証していたことが、鉛筆ほどのサイズの試験用デバイスでも「何かが出ている」と確かめられるようになったのです。
そうした研究を一緒に進めながら、特殊膜で作られた微細水粒子が空気中でどんな状態にあり、生体に触れたとき何が起きるのか、解明へまた一歩近づけたと思っています。
― 社会実装も新たな展開を見せています
井上 今年4月から、美容・健康関連機器の開発・製造・販売を手掛ける名古屋の株式会社MTGとの協業により、髪用装置の全国展開を始めました。
― グローバルサプライヤーの視点からこれから提供したい価値は?
井上 ハイドレイドは空気中の水を使う技術ですから、世界中どこでも使える可能性を持っています。また活用分野も、髪や肌への効果にとどまらず、植物の発育や有益な菌の培養をはじめ非常に幅広く、世界の
私たちアイシンは世界中に拠点があり、そうした会社の資産を活用しながら、「日常の喜び」というハイドレイドの価値を、より多くの皆さんに届けていきたいです。
― 今後の展望やビジョンは?
井上 ハイドレイドの社会実装は、微細水粒子を生み出すアイシンの技術開発力やものづくり力が支えています。また、世界のさまざまな環境の中でも安定した品質が保てるかを追求して社会実装できるのは、アイシンだからこそと考えており、そこは最大限に生かしていきたいと思います。
その上で、ハイドレイドは、人々にとって安心・安全な「水だけを使っている」技術であり、人々の命を預かる自動車の安全性や品質管理の思想にも相通じるものがあると考えています。今後も、研究と社会実装を進めて活用の可能性を広げながら、「“移動”に感動を、未来に笑顔を。」の理念のもと、世界中の人々の笑顔に貢献していきたいです。
ハイドレイド技術サイト
https://www.hydraid.jp/