ドラマ『GTO』(フジテレビ系)が28年ぶりに復活した。『GTO』をリアルタイムで見られることに感動しているし、この年齢になって学園ドラマを見るとは思わなかった。

28年ぶりの『GTO』続編。「反町の鬼塚」は安心すると実感す...の画像はこちら >>

当時、教頭を演じていた中尾彬が55歳…

 昔の名残りで火曜放送と思っていたが、今回は月曜10時スタートである。1998年当時は火曜9時に『神様、もう少しだけ』(フジテレビ系)が放送され、『GTO』は火曜10時からだった。当時は2時間かけて2本ぶっ通しで見るのを楽しみにしていたものである。

 初回は15分拡大版。今回の『GTO』は文部科学省とタイアップしているようだし、すごい力の入れようだ。

 令和版『GTO』にはかつてのスタッフが再集結しており、脚本はもちろん遊川和彦が担当。1998年版『GTO』だけでなく『女王の教室』(日本テレビ系)も執筆したレジェンドで、芯の強い教師を描くことには定評のある手練だ。

 正直、原作マンガを読んでいただけに、初めてドラマ版を見たときは「これがGTO?」となんとも言えない気持ちになったが、今は逆に反町GTOに郷愁を覚えている。歴史は人の気持ちを変える。そもそも、1998年版は脚本が良かった。第1話から、壁をハンマーで壊すあの有名回である。

 現在、反町は52歳。1998年版で教頭を演じていた中尾彬は当時55歳で、2026年版の反町隆史より3つ年上なだけ。
そんな今の反町で続編をつくるというのだから、楽しみにしていた。

 主題歌「POISON」をオリジナルに戻したあたりも、制作陣の本気を感じた。原曲を使っているし、映像は1998年版のシーンと今の鬼塚を交錯させたオープニングだ。やはり、反町の鬼塚は安心する。

いきなり夫婦共演の大サービス

 初回は、反町演じる鬼塚英吉が妻・あずさ(松嶋菜々子)から離婚届を突きつけられるという波乱の幕開けだった。初っぱなから出し惜しみせず、大サービスである。今年1~3月に放送された『ラムネモンキー』(フジテレビ系)から、連続で離婚届を突きつけられている反町。

 現在はキャビンアテンダントになったフライト帰りの冬月先生(あずさ)にハンバーグを振る舞おうとする鬼塚。「なぜ、CAの制服に名札をつけたまま帰宅する?」と冬月先生にツッコみたくなるが、一方の鬼塚もエプロンにトレードマークの星が付いているし、あえてのツッコミどころなのだろう。

 夢を叶えてCAに転職した冬月先生に対し、行く先々で問題を起こし学校をクビになり続けている鬼塚。愛想を尽かした冬月先生から、鬼塚は離婚を切り出されてしまった。相変わらずプリプリ怒っている冬月先生が、またなつかしい。

「元暴走族」という経歴にドン引きする宇梶剛士

 序盤から知り合いに会いまくる鬼塚。しょんぼり歩いていたらかつての教え子・渡辺マサル(山崎裕太)が運転するトラックに轢かれそうになるし(『101回目のプロポーズ』のオマージュ?)、新たに赴任した高校ではかつての天敵である中丸浩司教頭(近藤芳正)とも再会。
反町隆史ですらイケオジにシフトチェンジしたのに、およそ30年まったく顔が変わらない近藤芳正が驚異的だ。

 そんな中丸教頭が「こいつは元暴走族なんですよ!」と告げ口した途端、同校校長を演じる宇梶剛士が「えっ!? そうなんですか……?」とドン引きした場面には笑った。まごうことなきホンモノ、ブラックエンペラー元総長の宇梶が鬼塚の経歴を知り「うーむ」という顔をしているおまゆう。同族嫌悪か?

 もしかしたらこの校長も元ヤン設定で、鬼塚がピンチに陥ったときは「実は、俺も昔は……」と救いの手を差し伸べるのかも。そんな流れが見られたら、おもしろい。

今どきの高校生を描く解像度の低さに危惧

 1年B組の担任を務めることになった鬼塚。1998年版と同様に、啖呵を切る形で自己紹介した。

「今日からおまえらの担任になる鬼塚英吉だ!」

 1998年版では「今日からてめえらの担任になる鬼塚英吉だ」と名乗っていたので、彼も若干おとなしめになったようだ。

 だとしても、現代っ子とはかなりギャップがある。生徒たちに「あだ名つけようぜ」と呼びかけるも、返ってきたのは「なんで、そんなことする必要あるんですか?」「あだ名で呼ぼうというのも陽キャの理論というか」「いじめにつながる危険性がある」といった冷めた反応ばかりだった。鬼塚からすると、「あだ名も呼べないこんな世の中じゃ」といった心境か。

 疑問に思わないところがないではない。生徒をあだ名で呼ばず、さん付けで呼び合う学内ルールは今やめずらしくない。
クビになってばかりという設定の鬼塚だけに、平成からいきなり転生したかのような浦島太郎的な価値観が不自然に思えた。曲がりなりにも平成~令和を生き抜いてきた教師なのに、現代っ子の価値観とギャップがありすぎる。

 加えて、今どきの高校生の描写が極端すぎたのだ。青春の謳歌を啓蒙する鬼塚に「学校は楽しむものじゃなく、未来へのステップだと思います」と達観した考えを表明したり、鬼塚が発した「合コン」というワードに「意味がわからないから検索しときまーす」と一斉にタブレットで検索し始めたり、「高校時代のクラスメイトが人生の大切な友人になると思ってる奴はそんなにいない」と言い出したり。

 マクドナルドに集まり雑談している姿を見るかぎり、今の高校生は決してそんなにドライじゃない。もちろん誇張してはいるだろうが、今年70歳を迎える脚本家が「今の高校生はタブレットばかり凝視して、話し相手を見ようとしない」とイメージだけの偏見で考えた設定……という感じがして、その解像度の低さが悪い意味で目についたのだ。令和版『GTO』の懸念点として、そこは非常に気になる。

“不適切にもほどがある教師”鬼塚

 鬼塚の浦島太郎状態を際立たせる描写として、屋上でこそこそタバコを吸う場面も印象的だった。最近のドラマではめっきり見ない喫煙シーンだ。このシーンを挟み込んだだけで、スタッフの攻めの姿勢が窺えた。

 たしかに、屋上でタバコは昭和の定番だ。しかし、今の高校生にとってイキって吸うにはタバコの値段も高くなりすぎた。あと、今どきは教師側も敷地内でタバコは吸えないのでは?

 しかも、学校から支給されたタブレットを駆使し、屋上でこっそり「エロ 動画」と検索する始末である。
もはや、不適切にもほどがある教師状態の鬼塚。

 このままだと破天荒というより、平成からアップデートできていないただの“空気読めないおじさん”になってしまいそうで不安だ。

生徒に媚びる鬼塚

 1998年版と比べると、鬼塚のキャラクターは変わった気がする。率直に言うと、マイルドになった。

 新しく赴任した高校では生徒が教師を10段階評価する「フィードバック制度」が設けられており、低評価が続くと減給、解任の可能性もあるという。その制度を知らされるや、いきなり生徒に媚び媚びになる鬼塚。

「困ったことがあったら、なんでも遠慮なく相談してね! 鬼塚です。鬼塚英吉、よろしくお願いします!」

 選挙運動ばりにヘコヘコする姿は、「こんなの鬼塚じゃない」と言いたくなるキツさだった。他人の評価を気にしないのがいいところだったはずが、冬月先生に離婚を迫られただけに背に腹は代えられない鬼塚。

 クビになるわけにはいかない状況に主人公を置くシナリオは、令和版『GTO』制作におけるコンプラ対応と兼ねているのかもしれない。

52歳になって優しくなった鬼塚

 鬼塚のキャラ変といえば、妙に熱血教師化した感も受けた。

「生きてても仕方ないんで、俺はもうすぐ死ぬ」とほのめかす不登校生徒の片山健太(森本陸斗)に振り回される鬼塚。首吊り自殺した……ふりをする健太を助けようと右往左往する姿は、我々が知る鬼塚の対応ではなかったと思う。

 昔の鬼塚は「やってみろよ。
なんなら、手伝ってやろうか」と突き放し、冬月先生から「なに考えてるんですか!」と責められながら、最終的に唯一無二の方法で手を差し伸べるタイプだった。

 つまり、52歳になって丸くなったのだろう。角が取れて優しくなった鬼塚が今の高校生とどう向き合っていくかは、令和版『GTO』の注目ポイントだ。

ヒールの教頭が言うことのほうがもっともな構造

 健太が不登校になった理由はコロナだった。自身が罹ったコロナに感染し、母は他界。葬儀で泣き崩れる父を見た健太は、その手を握ろうとした。しかし、父は健太の手を振り払った。

「『こうなったのはおまえのせいだ』って言われた気がした。『おまえが死ねばよかったのに』って言われた気が……。それから、お父さんには1回も触れてないんだよね。っていうか、小学5年から誰にも触ってないかも」(健太)

 以来、人と接するのを避けて学校に通わなくなった健太。人との接触がトラウマになっているから、彼はドライな校風を持つ高校への進学を選んだのかもしれない。

 1998年版~令和版の間に起こった出来事を取り上げている、今回の『GTO』。
相対する事象は難しいものばかりだが、それらに対し鬼塚はどのように体当たりするのか?

 今と対峙するという意味で、学校側の対応も重要ポイントである。たとえば、健太の登校を促そうとする鬼塚に対し、中丸教頭が口にした「今は学校に来ることが絶対に正しいという時代じゃない」という言葉。

「教師がそれ言っちゃおしまいだろ!」と鬼塚は返したが、中丸の主張も正しいだけに切ない。今は通信制を選ぶ高校生も増えているし、高校に通わず大検合格を目指す生き方も肯定するべきだろう。

 主人公の教師よりヒールの教頭が言うことのほうがもっともな構造が、令和のドラマにはある。昔の空気感と今の空気感を両立させる難しさが、このシーンからは垣間見えた。

小栗旬のエピソードを思い出すGTOらしさ

 集団自殺に参加する自殺志願者たちを乗せたワゴンに立ちふさがり、強引に停車させた鬼塚。そのワゴンから健太を降ろし、ついでにほかの自殺志願者もつまみ出し、全員を助けるあたりは鬼塚らしい。

 1998年版ならワゴンの窓ガラスをハンマーで叩き割り、運転手をボコボコにして自殺サークルを壊滅させるくらいしていた気はするが、今の鬼塚は52歳である。ひと暴れした後に体があちこち痛む“あるある”を挟みつつ、平成世代の教師が令和の難題に立ち向かう姿には意義がある。

 冷笑世代の健太は「これから分断とか温暖化とかいいこともなさそうだし、なんで生きてなきゃいけないんだよ!?」と、鬼塚に迫った。彼が抱く“生きていることに疲れる気持ち”を聞き、共感しかけた自分がいる。今の日本では、楽しい未来も期待できそうにない。

 そんな健太の問いに対する鬼塚のアンサーは、「お前が死んだら俺がさびしいからだよ」だった。1998年版と同様に、教師と生徒ではなく友だちとしての関係を築こうとする鬼塚。友だちがいなかった健太の最初の友だちに鬼塚がなるということ。

 気弱ないじめられっ子だった吉川のぼる(小栗旬)の最初の友だちになったのも、鬼塚だった。1998年版のエピソードを思い出すのだ。このクサさが、『GTO』だ。やっと、鬼塚らしくなってきた。

「自分を許してやれ、健太。悪いのはコロナだ、おまえじゃない。お母さんだって、きっとそう思っている」(鬼塚)

 かつて、生徒と親の間にある壁をハンマーでぶち壊した鬼塚。しかし、今は自分から親に歩み寄る覚悟を教えている。パワーダウンは否めないが、歳を重ねることで獲得した良さもある。

続編『GTO』は鬼塚の成長する姿がテーマ

「POISON」の歌詞と重ね合わせて考えてみたい。口に出して言えないことをSNS等で文字にして発信する生徒たち。言いたいことを言えずとも行動にして伝えようとする鬼塚。両者の対比が令和版『GTO』の肝に思えた。鬼塚と交流するにしたがい、生徒たちは言いたいことを言える人間へと変わっていくのかもしれない。

 ただし、それは重労働である。1998年版ではうまく行っていたことも、今はうまく行かない。そのギャップに鬼塚はきっと苦しむことになる。

 逆に言うと、暴力が許容されていた時代にあえて鬼塚はいらないはずだ。今みたいな時代だからこそ、鬼塚は光る。

 現代のコンプライアンスのなかで『GTO』の醍醐味である痛快さを融合させる難しさは、初回時点ではっきりと感じた。同日同時間帯にTBSで放送されていた『あらびき団』がコンプラお構いなしにぶっ飛んでいた事実を考えると、ドラマ制作の難しさを思い知る。

 だからこそ、令和版『GTO』の意義が見えてきた。鬼塚が発するメッセージに生徒が感化される構図だった1998年版に対し、令和版『GTO』は浦島太郎的な鬼塚が成長していく様子がテーマになる。

 そういう意味で、1998年版とはあまり一緒にできないだろう。新しいドラマとして、見どころを変えて追うべき続編になると思う。

<TEXT/寺西ジャジューカ>

【寺西ジャジューカ】
1978年、東京都生まれ。2008年よりフリーライターとして活動中。得意分野は、芸能、音楽、(昔の)プロレス、ドラマ評。『証言UWF 最後の真実』『証言UWF 完全崩壊の真実』『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実 』『証言 長州力 「革命戦士」の虚と実』(すべて宝島社)で執筆。
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